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King & Queen 3  作者: 悠鬼由宇
2/8

古文書の秘密

 8階の大会議室には全企画部員が緊張した面持ちで待っていた。そんな彼らを泉さん特有の人懐っこさで解していく。

「初めまして、金光専務の友人の、泉貴志と申します。金光さんとは温泉友達でして、ISSAとか何とか言う変な名前の組織とはイッサい関係ございませんので」

 あーあやっちまった。つまらない親父ギャグに皆ドン引き…… かと思いきや、数名の女子がプッと吹き出しておる! 凍りつくかと思われた会議室は意外にも室温が上昇する。

「いやー、金光さんは僕の命の恩人なんですよ、温泉で心臓が止まっちゃった時にね、彼が熱い口付けをしてくれてね、びっくりして僕生き返っちゃったんですよー」

 おい。間違いではないが、変な所をピックアップして話すなよ。ああ、何人か食いついちゃったじゃないの……

「いやー、僕ね、初めて男性に口付けされたんですけどね、余りにお上手なんで病みつきになっちゃって。なんちゃって」

 企画部女子社員が俺を鬼畜を見る表情で見てるじゃないの…… 折角ひと月前に誤解が解けて信頼信用してくれるようになったのに…

 クスクス笑いで騒然とする大会議場の空気をガッツリと掴んだ泉さんは、

「実は今日、金光さんと皆さんにご相談があって伺ったんですよ、まあ年寄りの戯言と思ってお耳をお貸しくださいな」

 そう言うと泉さんは肩にかけていたビジネスリュックから古ぼけた木箱を取り出して目の前に置いた。


 なんでも、つい最近長年なじみにしている神保町の古本屋から連絡があり、江戸時代以前の温泉に関する古文書が手に入ったのだが興味があるかとの事、すぐにその店に赴き大枚叩いてその古文書を入手したと言う。

「それがこの古文書なのですよ、いやー本当は経費で…… おっとっと、それは妻に内緒ですからね」

 女子達がコロコロと笑い声を立てる。

「この古文書によりますと、江戸時代よりちょっと昔にね、ある山の中腹付近に今は存在しない温泉があったらしいのです。ちょっと調べてみたのですが、現代では全く認知されておらず、明治大正時代にもその温泉についての話は全く見つかりませんでした。そう、『失われた温泉』なのです」

 今度は男子部員が切なそうな表情で天井を見上げている。俺はそこまで入れ込むことが出来ず、先ほどからの疑念を彼に申し上げる。

「泉さん、また何でそのような話を我が社に?」

「ロマン、ですかな。金光さん、その湯を見つけるのは簡単ではありません。もう枯渇している可能性が高いでしょう。もしも見つける事が出来てもそこを整備して湯治施設にすることもできないでしょう、でもね…」

「わかりますっ それ、すごくいいですっ」

 鳥羽社長が真っ赤な顔で叫び出す。


「僕ね、日本中でいくつか所謂秘湯って行きました。最高でした。だって車じゃ行けないし何時間もかけて細い道登ったり降りたりしてやっと辿り着いて服脱いでザブンと入って…」

 バックパッカーだった彼は、ハイキングも好きだったようだ。

「ははは。社長さん、いーですね。いーです」

「…ああ、失礼しましたっ 要するに、人跡未踏の秘湯を探せ! コレですね?」

「僕の個人的趣味なのです、お恥ずかしい」

 

 なんだかこの二人はすごく息が合うように見える。のだが、これは泉さんの策略と見た方が良さそうだ。この短時間で鳥羽社長の性格と趣味嗜好を見抜き、自分の手を使わずに……

「イーエ。凄い夢があります。ロマン湯です。ああ、僕もお手伝いしたい…」

 ほーら引っかかった。海千山千の泉さんにかかったら、バックパッカー上がりの社長なぞ赤子の手を捻るよりも簡単だ、もし本当にやったら事案発生なのだが。

 泉さんは演技がかった驚き方で、

「え? 本当ですか?」

「はいっ 是非、ウチに手伝わせてくださいっ!」

 それにしても社長がこんなに積極的なのは初めて見た。泉マジックの奥深さにちょっとだけ戦慄していると、鳥羽が俺を真っ直ぐに見据えて言う

「専務。やりましょう。お手伝いしましょう!」

 俺はやや引き攣りながら、

「珍しいですね、社長がこんな簡単に… いえ、こんな前のめりなの…」

 確かにこの案件には、夢がある。面白い企画だ。先日の間宮由子騒動で売上の落ちた我が社にとって、再上昇への起爆剤になるかも知れない案件と言えよう。もし見つからなくても、古の夢を追う新進気鋭の企業として新たな顧客が集まるかも知れない。万が一発見できたらー まあ、そんな上手くいく筈もないか。

「全て専務にお任せしますっ 探しましょうよ、追い求めましょうよ、夢を!」

 彼は思い込みが激しい性格なのだろう。今まで気づかなかったが。上手く泉さんに見抜かれ、踊り始めた鳥羽に苦笑いしながら、

「わかりました。治りかけの足で何処まで出来るかわかりませんが。やるだけやってみましょうか!」

「いやー、金光さん、社長さん。ありがとう、ありがとうございます!」

「泉さん、この後お時間があれば、早速企画会議を開こうと…」

 俺が言うと泉さんは、

「いやー。この行動力! 貴方ともっと早く知り合いたかった…」


 では早速これを、と泉さんが木箱を開けると、古びた一枚の古文書が現れる。企画部の皆が一斉に身を乗り出して注目する。中でも企画部の若手女子社員の田所理恵が目を輝かせて眺めている。

 彼女は当社の田所常務の姪っ子なのだ。こんな小さな会社にコネ入社なので、学生時代は合コンにバイト、チャラチャラしたモラトリアムを満喫し、何のスキルも持たないまま就活に全敗し、行くところが無くやむなくこの会社に入社したのだろう、今までそんな目で彼女を見ていた。

 これまでも、言われた事はそこそここなすが、創造性や斬新なアイデアなどに乏しくまあその辺に幾らでもいるチャラいOLってイメージである。そんな彼女が誰よりも食い入るような目で古文書を眺めているので、

「田所、古文書って初めて見るのか?」

 すると彼女は満面の笑みで、

「うわ、これ元亀モノじゃん! こんな状態のいいの、出回っているんですねぇー、かんどー」

 ……

 げ、元気モノ? へ?

「きっと田舎の蔵にでも状態良く眠ってたんでしょぉね〜 あ、山本、加湿器どっかから持っといで、このままじゃすぐに傷んじゃう」

 へ、へい、と返事をし、山本くんが首を傾げながら階下に消えて行く……

「この筆跡、筆圧、安土桃山なんじゃね? どーれどれ」

 俺は唖然としながら、

「な、なあ田所、さっきからお前何を?」

 もはや淫雛な表情となっている田所はいひひひと笑いながら、

「私〜 大学でずっとぉ古文書の研究してたんですよぉ〜」

 な・ん・だ・と……


 部内から一斉におぉぉと声が上がる。俺も思わず声を上げてしまう。コネはコネでも有能な方のコネじゃねえかよ… こんな小さい会社に安土桃山時代の古文書を解読出来る人材がいる事実に愕然としてしまう。

「じっくり拝見させてもらっていーですか、シニア〜」

 おい… シニアって… 失礼だろう

「いやーー どうぞどうぞご覧になってくださいね、田所さん」

「あー、理恵っち、でいーですよぉ」

「いやーー、理エッチさん。いいですねえ、素敵ですねえ」

「も〜〜〜。シニアのエッチ!」

 おい… お前とあんた… 皆ドン引きして… 無いか… 皆は唖然としつつ二人の掛け合い漫才を真剣な眼差しで鑑賞しているのだった。


 古文書を受け取った瞬間。田所の目付きが一変する。その鋭い視線は俺の親友青木刑事のそれを彷彿とさせる。まず全体を眺め、一行一行丁寧に視線を這わせていく。その真剣さはこれまで俺が持っていた、フワフワタラタラな田所像を完全に破壊した。

「えーとですね。これは萩原佐兵衛と言う人物に宛てられた公式な書状です。元亀二年八月二十三日って言いますと、西暦15…71年、ですかね」

 思わずゴクリと唾を飲み込んでしまう。誰だこの方は? どこかの大学の准教授か? 有名な博物館の学芸員ですか?

「す、すげえ…」

「理恵っち〜 マジか…」

 皆も相応に驚いている様子からして、誰も彼女のこの専門知識について知らなかったようだ。それにしても…… 前職の大手銀行にも優秀な奴は腐る程いたが、これ程『有能』な若手社員はいたであろうか… 未だ鳥肌が収まらない。


「…で、その公文書には何て書いてあるんだい?」

 俺をギロリとひと睨み。

「キンちゃん、焦らないでっ 今じっくりと対話しているのだから…」

 す、すんません。思わず頭を下げる。しばらく会議室は緊張感に包まれ、田所の小声だけが響いていた。やがて田所の視線はピタリと止まり、

「え… 晴信って… 泉さん、これ…」

「流石ですね理エッチさん。そうなんです、この書」

 周りは騒然とし、

「晴信〜 誰? 有名な人?」

「聞いたことあるんだけど… 誰だったかな」

「これは歴女のお出ましやね、今日花ちゃん、誰やねん、晴信って?」

 田所の先輩であり、中堅女子社員の村上今日花がメガネをクイッと上げて身を乗り出す。

「この時代の晴信といえばただ一人。武田信玄ですわっ」


     *     *     *     *     *     *


 全員が歓声に近い唸り声を上げる。俺も思わず目を見開く。しかし、田所といい村上といい、若手女子社員のこのスペックの高さは何なんだ…

「信玄は西暦ですと1573年に死亡していますので、この書はその2年前に信玄がその荻原佐兵衛と言う人物に宛てた書なのでしょう。で、理恵、何て書いてあるの?」

「ハイ、これはどうやら浴場の許可状みたいです。簡単に読み下すと、『先に申請のあった景徳山における湯治場の運営を保護する』、と」

 おおおおお。大会議室が騒然となる。俺もちょっと興奮してきた。何これ、歴史新発見なのでは? ちょっと待て、これは上手くすると相当なプロフィットが……

「成る程、数多ある『信玄の隠し湯』の一つって訳ね。だからいずみんが飛びついたのねっ」

 コラ。いずみんって誰だよ失礼だろ…

「いやーー、お嬢様方、素晴らしい! どうです、ウチの組織にいらっしゃいませんか?」

「ヤバ〜 これってヘッドマウンティングじゃん…」

「やば〜 化粧ちゃんとしてないし〜」

 おまえら、社長の前だぞ。それに、マウント取ってどうするんだ…

 それにしても、前から少しは出来る子達とは感じていたが、これ程の専門的な知識を持った有能な社員だったとは夢にも思わなかった。一体どうなっているのだこの小さな会社は?


 若い女子に囲まれデレながら泉さんが満面の笑みで、

「そうなんです。この書は武田信玄の『浴場免許状』と呼ばれるものの一枚です。信玄の隠し湯の事は皆さんの方が良くご存知かと」

 皆が頷きながらニヤリと笑っている。ちなみに俺は全く知らない。隠し湯? 何じゃそれ?

「信玄はどれ位の温泉を隠していたんですか?」

 少し興味を覚え聞いてみる。すると全員が唖然として俺を見つめる… な、何だよ。隠し湯ってからには、人目の付かない山奥深くの誰にも見つからないような秘密の湯治場、じゃねえの?

「キンちゃん〜 それは無いわ〜 専務のくせに…」

「山奥深くって、ウケる〜 さすがキン様〜 ナイスボケ キャハハ」

 一斉にゲラゲラと笑われてしまった。以前居た銀行での会社員生活において、会議で失笑された経験は一切無い。そんな初めての経験に顔が真っ赤になるのを感じ、と同時に銀行員時代には1ミリも感じなかった部下への、そして部下からの愛情を自覚する。


 俺は頭を掻きながら素直になる。

「誰か、教えてくれ、隠し湯って何なの?」

 スッと一直線に手が上がる。今年入社したばかりの新人の庄司智花だ。

「隠し湯、とは、主に安土桃山時代、戦国武将が他国の者に使わせずに独占的に利用した温泉の事です。『隠す』とは『他国』から『隠す』事だったのです」

「へーーー。知らなかった。そうなんだ…」

 さすが俺の秘蔵っ子、庄司智花。二十三歳。来年から俺専属の秘書にしたい。

「そして『信玄の隠し湯』はその中でも最も有名でして、その領土であった山梨県、長野県を中心に今でも数多く存在します。有名な所では、白骨温泉、川浦温泉、赤石温泉などが挙げられます」

「下部温泉は外すなよー」

「平湯もマストだろー」

「そういえば積翠寺のさあ、……」


「いやー。皆さん、素晴らしい。正に少数精鋭、ですな。この会社は」

 泉さんが目を細めながら皆を見回している。俺は頷きつつ、

「ですか? もう僕には皆が何話しているのかサッパリわかりません…」

「地理、歴史、古書解読。温泉巡りに必須の知識のエキスパートが揃っている、しかもこんなにも若くして… 金光さん、良い会社に恵まれましたね」

「ハハハ… どれも僕にはサッパリなんですけどね…」

「専務はそれで良いのです」

 社長がニッコリと笑いながら俺たちに近寄って来る。

「我々、『旅行オタク』だけでは会社は運営できません。金光さんみたいな経営のプロが僕らの尻を叩いてくれて、やっと彼らの生活を守れます。本当に感謝していますよ」

 泉さんは鳥羽の肩に手をそっと置きながら、

「いやー。若社長は良くわかってらっしゃる。こんなに伸び伸びやれる会社、そう無いでしょう?」

「はあ、まあ。そうですね、僕は恵まれています。で、話を先に進めてもいいでしょうか?」


 休憩を挟んで会議は続行する。

「この景徳山はご存知でしょうな?」

「勿論です。今年の正月に登ってきましたよ!」

 課長の上村が日焼けした顔を綻ばせながら話し始める。

「面白い山です。中腹まではハイキング程度の装備で十分。甲府盆地を見渡せる絶好のハイキングコースです。が、それより上はトレッキングの装備ではダメ。頂上まで行くにはロッククライミングの装備が必要です。頂上からの絶景は〜 えーと。あ、これこれ!」

 スマホの写真を見せて回る。凄い。雲海を見下ろし遥か遠くに富士山も見える。山頂は草木一本なく、来るものを拒む感じのゴツゴツした岩場だ。こんな景色はかつて実際に経験したことがない。もし登山をすれば俺も… と思いながら、左脚をそっと摩りフッと溜め息をつく。


「でも… もしそんな湯治場があるなら、僕らが知らないはず無いんですけどね。関東では有名な山なので…」

「いやー。おっしゃる通り。僕もこの古文書読んで地図を調べて同じ事を思いましたよ」

 上村は腕を組みながら、

「中腹までは色々なルートがあって、中腹から山頂までは一本ルートです。昔は二本あったらしいのですが、土砂崩れでそのルートは消滅したと聞きます… あれ…」

 泉さんの目が光る。俺はゴクリと唾を飲み込む。

「課長さんっ そこなんです。その土砂崩れ、いつの頃かご存知ですか?」

「うーん… 山小屋のオヤジが何か言ってたんですけど〜 確か明治時代?」

「いやーー。残念っ。歴史好きのお嬢さん、『安政』と言えば?」

 泉さんの無茶振りに嬉しそうな村上。さっと立ち上がり、

「フツーなら、江戸時代、幕末、安政の大獄。でも、今のお話からすると、安政二年の大地震、安政三年の台風、ですかね?」


 拍手をしつつ目尻を思いっきし垂らしながら、

「いやー、お見事っ 今度一緒に温泉、如何ですか?」

「え? マジ? 超行きたいっ〜」

 おいこら。人の会社の若手女子をサラッとナンパすんじゃねえ。てか村上。お前も軽々しく誘いに乗るんじゃねえ。

「ハハハ。是非に。そう、安政年間にどうやらもう一つの登山道が無くなってしまったようなのです」

 上村が未だかつて見たことのない真剣な表情で呟く。

「あそこか… 中腹からの登山道の途中に行けそうで行けない入り口があったわ… 鎖が張ってあって…」

「そう。なので、高い可能性でその湯治場自体も無くなっているかも知れません。でもね、」

 皆は一斉に立ち上がり、

「うわーーー、調べたいー」

「ホンマ、もし石積みでも残ってたらコレ大発見ちゃう?」

「TV局呼ぶか! ドキュメンタリー撮るか! ええ?」

 皆のテンションが急激に上がる。俺も160年前に消えた幻の温泉を脳裏に思い浮かべ、光子とそこを訪ねる妄想に身を委ねる…


「…… そやな。コレはむしろ冬場の方が発見の可能性は高いで」

「成る程、湯煙が見えやすいですものね。でも雪山ですよね…」

「年末の山は決定だなっ 部長、どうすか、久し振りにっ?」

「いーねー、燃えてくるねえー、よーし。今日からトレーニング開始かー?」

 登山好きな奴らが盛り上がっていると、

「ちょっと、私仲間外れですか?」

 寂しそうに鳥羽社長が呟く。

「え… 社長も登山お好きなんですか?」


 思わず鳥羽に問いかけてしまう。旅行好きバックパッカー、とは聞いていたが。登山も齧っていたのか。そんな軽い気持ちで問いかけたのだが、急激に室温が低下するのに気付く。会議室が物音ひとつしなくなる。どうしたのかと震えながら見回すと、皆が唖然呆然とした表情で俺を眺めているではないか! 来年俺の秘書になる(予定)庄司なぞ、人糞の中で蠢く回虫を見てしまったといった表情だ。見たことないし見たくもないが。


 そんな静寂を破ったのは田所。

「キンさん… 知らないの? この人…」

 こら! 社長を『人』扱いすな!


「エベレスト登った程のぉ、日本を代表する超有名なクライマーですよぉ」


「何だとっ!」


     *     *     *     *     *     *


 大声を上げていた!

 いや、俺だって世界最高峰の登山がどれほど困難か大体理解出来る。日本人でエベレスト登山の成功者は必ずマスコミに出る事も… この社長、一体何者なのだ…

 慌ててスマホでググってみる。


『鳥羽伊知郎』


 ああああ…

 日本を代表するアルピニスト、世界七大陸の最高峰を全て踏破、エベレスト最年少登頂の日本人記録保持者、マッキンレー山最短登頂記録保持者、現在東京で旅行代理店を経営、著書多数…


 おいーー 知らなさ過ぎにも程があるぞ、俺…

 山の世界的スペシャリストの下で仕事していたとは… それも冴えない中小企業の若社長、なんて侮っていて…

 土下座では足りない気がする。俺は今まで何と彼を軽く扱ってきて……

「信じらんない… 鳥羽っち知らないでこの会社居るなんて、流石キンちゃんウケる〜」

 俺は直立不動からの四十五度腰折りで頭を下げる。

「社長、大変失礼しました、私は今まで…」

「流石元支店長〜 腰が低い〜 ウケる〜」

「黙れ。って言うか、お前ら何で教えてくれなかったんだよー」

 

 鳥羽は何故かニコニコしながら、

「まあまあ、いいじゃないですか。ああ、それより、嬉しいな、山に戻れる。しかも仕事で。コレが僕の夢だったんですよっ 金光さんありがとうございます、本当に」

「うわ… 鳥羽っち腰低〜 ハア〜」

「よぉし。では『幻の湯』探索隊、隊長は鳥羽っち! パンパカパーン」

 田所がエア襷を鳥羽にかけてやると、

「ハイっ 謹んでお受けいたします!」

 盛大な拍手。ここまでくると、会社というより大学のサークルだ。でも、以前ほど嫌悪感がない。寧ろ、良い。

「副隊長は俺、迫田が引き受ける」

 何故かブーイング。しかもかなり本気な… おい、お前ら部長だぞ、彼。

「あとは。上村、装備その他、準備頼むぞ!」

「了解です。ックー。萌える〜」

 何故…? 何に?

「あとは… おう、庄司。ハイテク担当で。頼むぞ」


 おい。

 無理だろ。何言ってんだこいつ。こんな若い女子に冬山登山なんて。もしこの子が趣味で山登りが好きであっても、冬山登山なんかさせて遭難でもされたら来年俺の秘書が……


「勿論です。GPSその他、最新の装備はお任せください」

 おい。

 何言ってんだ庄司。最年少だし女子だぞ。いくら上司の命令だからってそんな危ない事をさせる訳にはゆかぬ。高尾山や秩父のハイキングじゃないのだぞ。お前では到底―


「金光専務。私去年、劔登りましたが何か?」

 ……


 俺は余りのショックで呼吸を忘れてしまう。数秒後何とか思い出し、

「嘘… だろ… 俺だって知ってるぞ… 映画で観たぞ、明治時代まで人跡未踏だったんだぞ… あり得ない!」

「あーーーっと。ハイ、これ」

 庄司が自分のスマホを俺に向ける。『劒岳 標高2999m』の看板を手に祠の前でメット姿でサムアップ姿がすごく似合っている庄司の写真だ… 

 この子までこんな… 全身に鳥肌が立つ感覚に襲われるー


「コイツは鳥羽っちの大学の後輩なんですよ。鳥羽っちが直々にリクルートしたんですよね?」

 庄司は違う違うと手を振りながら、

「いえいえ、私から是非に、と。鳥羽せんぱ… 社長は我が登山部のレジェンドですから」

 俺はカクカクと首を振りながら、

「そうか… そう… だった… のか、庄司。よろ、しく… 頼む…」

 すっかりメンタルが崩壊した俺は庄司に頭を下げるのだった。

「りょ」

 片目を瞑って返事をくれる。コレが新人の専務取締役に対する態度。今や悪くない。寧ろ嬉しく思い始めている。俺もようやく、このサークル…、いや、この会社の一員になれた… のだろうか。


「では。ハイテク担当から一つ提案があるのですが」

「庄司、言ってみろ」

「ハイ部長。登山道が無い想定でのこのミッションに、ドローンは必須かと思われます」

 あちらこちらでドローン、ドローンと声が沸き起こる。泉さんを見るとポカンとしている。

「事前に一度、景徳山の中腹地点まで行き、そこからドローンで崩壊した登山道をなぞってみるのです。そうすれば必要な装備も確定できます。上手くいけば…」

「ゴクリ。何だ…」

「それで幻の湯の存在も秒で確定できるかと」


 一同が騒然となる。それではロマンが無いと言うもの。機材に費用がかかるのではという声。誰が操縦できるのかとの心配。

「我々の部では既に新ルートの発見に活用していましたが何か? 部から機材は借りてこられますが、折角なので社で最新の機材を購入しては? 操縦は私ができますが何か?」

 庄司。この会社には勿体なさ過ぎる。尊敬する先輩を追ってこの会社に入ったと言うが、もっと君の能力を発揮できる場所は多くあると思うぞ…

 頭にハテナマークが揺れている泉さんに概要を説明すると深く感じ入っている。時代は驚く程進んでいる、ちょっとでも立ち止まってしまうと見る事の出来るものまで見られなくなってしまう。まあ、お互いそこそこに新しいものを受け入れていきましょう、と言うと、

「いやー。おっしゃる通りですな。やはり貴方、そして、この会社にお願いしてよかった」

 と深くお辞儀をされてしまう。


     *     *     *     *     *     *


 結局部会は夕方まで続き、壮大な計画が動き始めた。部会後、更なる結束を固めるための結団式の会場に挙国一致で『居酒屋 しまだ』が選出され、終業時間後に皆で門前仲町へと向かう。

「急に悪かったな。仕入れとか大丈夫だったか?」

「翔と葵に買出し行かせてるわ。ま、何とかなんだろー 今夜は貸し切りにすっかな」

おいこら受験生をパシらせるな!

「予約客結構いたんだろ、断ってくれたのか?」

「そ。昨日食中毒が出たって言ったら、みーんなソッコー電話切ったわ、ギャハハ」

「…… 口コミで広まらないといいな…」

「そんな口コミ書いたヤツ、探し出して木場に沈める」

 本当にやりそうだこの女……

 それ程広くない店内に企画部員全員、社長、そして泉さんが入るとほぼ満席だ。それぞれ席に着くと早速登山の打合せ、古文書の解釈、幕末討議などが始まる。


「ところで庄司、ドローンって航空法の改正で自由に飛ばせないんじゃないの?」

「良くご存知ですね専務。法に定められたドローンの飛行禁止区域は三つあります」

「それって、都心とか空港周辺とか?」

 庄司はよく出来ました的な笑顔を俺に向け、

「はい。それと150m以上の上空です」

「成る程。なら今回の企画は法的には問題ないんだね?」

「はい。登山届は出すことになりますが」

 流石元登山部部長。この企画は全部こいつに任せた方が上手くいきそうだ。

「それって、入山許可とかの事なの?」

「いえ。日本の山ですと登山に所謂『許可』を受ける必要はありません。その代わりに遭難時の捜索に必要な『登山届』を地元の警察に出します」

「成る程。それは自主的なものなの?」

「谷川岳、焼岳、長野県内の北、中央、南各アルプスなどいくつかの山は条例で『登山届』が義務化されていますが、原則これは自主的に、です。」

「成る程、良くわかった。ありがとう」


 空きかけたジョッキにビールをついでやると、嬉しそうにそれを飲み込む。優秀で有能な部下を持てることは上司の至極である。来年は馬車馬のようにこき使って… いかんいかん。ここは銀行ではない、小さな旅行代理店だ。そんな事も忘れてしまう程の有能な部下に、皆も喝采を送っている。

「よっ 流石元山岳部部長!」

「創部以来、初の女性部長でしたからね〜 よく雑誌にも載っていましたよね」

 鳥羽が嬉しそうに言うと、

「先輩には敵いません。何せ日本大学連合でヒマラヤの…」

 忽ち山岳談義となり、俺は全くチンプンカンプンとなる。そっと席を立ち、泉さんの座るテーブルに顔を出す。


「…なんですよ。信玄は『湯』で戦で負った傷を『治』していたのですね。世界的にも負傷兵を湯治させる君主、武将は古代ローマくらいだったのですよ」

「でもさ、いずみん。信玄だけじゃないじゃん、『隠し湯』って。謙信の燕温泉や関温泉、真田の別所温泉、とかさ〜」

「武田と上杉。この両者に圧倒的に多いですね」

「じゃあ織田は? 六角は? 長宗我部は?」

 …… ココも、俺の知識では全くついていけない。翔なら喜んで聞き入りそうだな。それにしてもこの会社の社員の地理歴史に対する造詣の深さには感服する。俺みたいな生半可な知識では話を理解するのも困難だ。

 俺はどちらかといえば数字に強い。理系に近い文系。組織において人にはそれぞれ役割がある、俺は俺で出来ることをしっかりとやれば良い。彼らを見てつくづくそう思う。


 料理もほぼ出終わり、光子もそろそろ手が空く頃合いにカウンターに一人座る。光子がエプロンを脱ぎながらマジ疲れたーとボヤキながら俺の隣に座る。

 iQOSを取り出し、旨そうに煙を吸い込む。

「そーいえば、ゆーこから変なメールが来たんだけどさ」

 思わず俺の動きが止まる。光子から目を逸らし厨房の奥に視線をやる。あの夜の信じられぬ程の目眩く快楽が脳裏に蘇る。

 俺は動揺を隠す。

「これこれ。『光子先輩。餞別にせんぱいをお渡ししますね』って、なんじゃコレ?」

間宮由子は今日、俺たちに特に挨拶もせずに東京を後にした。


「この『餅別』、もちべつってなんだ?」

「せんべつ、な」

「あーー。せんべつ、な。ハア? 何でアイツからアンタを渡されなきゃいけねーんだ? 意味不明。オマエ、何か貰ったか?」

「お袋に句集。俺には、…別に」

「…そうか」

「そう…」

「……」

「何だよ?」

「…… 別に」


 吸い殻を灰皿に放り投げ、光子は立ち上がり、さー、後もうちょっと〜と呟きながら厨房に戻っていく。

 俺は小さく溜息を付く。

 彼女についた、初めての嘘

 多分それに気付きながら

 さり気なく振る舞う彼女

 治りかけの左足が、シクシクと痛み出す。


     *     *     *     *     *     *


 翌朝、何事も無かったかのように光子は我が家にやって来る。今日は午前中がリハビリの日である。リハビリの日は朝食を共にし、我が家の車で豊洲にある『新豊洲メディカルセンター』まで俺を送ってくれ、リハビリが終わると近くの駅で俺を降ろし車を我が家まで持ち帰ってくれる。

「アレだ、今日辺り松葉杖要らなくなんじゃね? やっとな〜」

「術後三ヶ月も経って松葉杖必要になったのは、誰のせいかな?」

「あ、アレは… オマ… 馬鹿っ」

 光子は顔を真っ赤にしながら下を向く。母と葵が呆れ顔で箸を進める。表面上は何事も無かったかのような一コマ。だが、我お袋は何かを嗅ぎ分けたらしい。光子が車庫から車を出すために先に家を出た後、俺に近寄り囁く。


「だから、あんた言ったでしょ。ちゃんとしなさいよって!」

「え… な、何だよ…」

 お袋はじっと俺の目を覗き込みながら、

「みっちゃんに甘えちゃダメ。あんたがしっかり自分を持ちなさいよ。でないと、あの子壊れてしまうわよ」

「だ、だから、何のこと…」

「あんた。一昨日の晩、どこ行ってたの? その時、これ頂いたんでしょ?」

 お袋は間宮由子のサイン入り句集をひらつかせる。俺は俯いて何も言えなくなる。

「あの子は、本当に優しくて、傷つきやすい子なの。あんたが守らなくちゃ、ぶっ壊れちゃうよ。しゃんとしなさいな」

「…うん。わかってる」

こんな真剣な顔つきのお袋は久しぶりだ。

「もう、何でもないのね?」

「それは間違いない。大丈夫」

「なら良かった。はい、行ってらっしゃ〜い。『馬鹿息子 火遊びの夜 何想う』 どうよ?」

「だから… 季語が無いって…」


 街はすっかりと秋が深まり、間も無く冬の到来を予感させている。通り沿いの銀杏は葉を真っ黄色に染め、気の早い葉は道路にその身をヒラヒラと舞い降ろしている。

 病院への車中。我が家とは打って変わって無言の光子。時折つく溜息が俺の心を重くさせる。俺も流れる見慣れた街の景色を眺めながら、そして移りゆく秋から冬への変さんに心の中で溜息をつく。だがどうやら表に出てしまったようだ。

「何だよ?」

「…オマエこそ。溜息ばっかり」

「別に」

「…」

 そして、無言。この胸の痛みは光子もそうなのだろうか。それともこの痛み以上の苦痛が彼女を蝕んでいるのだろうか…

 

 信号待ちの最中。絞り出すように光子が呟いた。

「しないのに…アタシとは…」

 全てを、悟っている。あの夜の由子との出来事を、光子は正確に悟っていたのだった。

「いやっ ちょっと待て、それはっ」

 信号が青に変わる。だが車は停車したままだ。光子が苦しげな笑顔で俺に、

「わかってるって。こんなヤンキーババアじゃ、な。そりゃ、仕方ねーよ…」

「待てって!」

 後ろからクラクションを鳴らされ、車は渋々と走り出す。


 大通りの脇に光子はハザードを出して車を停める。

「アンタの元嫁… 里子さん。若くて… 清楚だったし… な」

 リビングに飾ってある写真は結婚当時の二十代。そりゃ若いって…

「ゆーこも若く見えるし、清楚系だし…」

「関係ねーって!」

 思わず大声をあげてしまう。確かに由子は若く見えるし口を開かねば清楚系でハイソ系の美魔女であるが。

 俺の顔をじっと見つめながら、大粒の涙をポロポロ流しながら、光子は訴えるように言う

「この半年… わたし幸せだったよ…」

 光子の口調が激変するのは、決まって元彼の話をする時。何故、今…

「貴方みたいなエリートに相応しくない、自分でもわかってる。大学出た由子の方が貴方に合っている、それもわかっているの」

 コイツ… まだそんな事を考えていたのか…

「私の今までの彼は奥さんがいて、家庭があって… だから諦められた…」

「お、おう… でも俺は独身だからなっ 俺はこれからオマエと…」

「でも貴方は… 貴方の心の中の里子さんには私、絶対敵わない… だって死んじゃっているんだもの」

 そんな事考えていたのか… 思わず絶句してしまう。

「だから… 貴方は私を抱かない。違う?」


 全然違うから。俺はゆっくり深呼吸をする。ちゃんと言おう。説明しよう。

「あのな。病院のPTの橋上先生、退院の時、何て言ってた?」

「えー、暴飲暴食、激しい運動… あっ…」

 涙でグチャグチャの顔が瞬時に赤くなる。言ってる俺も耳まで赤くなる。

「そう。ところでお前、今までの経験回数は?」

「えっと、三回…」

「足を骨折していて身動き取れないマグロ状態の男とセックスするにはどうすればいいかお前が知ってたら俺は今松葉杖ついていたかな?」

「ちょ… バカ野郎! 何言ってー」

 突如、元の光子に戻ってくる。一体どちらの光子が本性なのだろうか…


「だから。橋上先生の許可が出たら、お前を抱こうと思っていたんだ。わかるか?」

 光子は顔を紅潮させ頷く。

「あと。実は、俺、怖かった」

「は? 何が?」

「お前に拒まれるのが…」

「な、なに言って…」

 暫しの沈黙。ずっと黙っておこうと思っていたが、この機会に言ってしまおう。

「あと。今までの彼に… 俺、嫉妬してた」

「え…」

「お前を抱いた、三人の男に… 嫉妬してたんだ、胸が苦しくなるほど…」

「…」

 俺は拳を握りしめ、声を絞り出す。

「だから。先週、お前と結ばれそうになった時、嬉しくて… 苦しかった…」


 最早涙も止まり、むしろ呆れ顔で光子は俺を見つめる。

「だから。全然違うから。前妻だの由子ちゃんだの、一切関係ないし、お前と釣り合ってないとか、全く意味不明」

「何だか… 今まで悩んでたの、損したわ…」

 顔に笑顔が戻る。やや見下した表情で、

「てか。アタシ、三回だから。しかも最後にしてから、三十年以上経ってっから。アンタ、ホントちっちぇ〜男だなー」

「う、うるせー」

「アンタなんてヤリまくりのヤリチン野郎だろーが。で、どーだったよ、ゆーこは?」

 あの夜の快楽が蘇り、急激に勃起したのを悟られまいと、

「ば、バカっ 何言ってんだっ」

 それすらも見透かされたようで。そんな俺を鼻で笑いながら、

「アイツはもう二度とアンタとはしない。アタシにちゃんと渡してくれた」

 額からの汗が止まらない。脇も汗でびしょ濡れだ…

「もう。誰にもアンタを、渡さない」

 凄まじい目力。愛の告白と愛の脅迫、紙一重だ。

「俺も、お前を絶対離さない」

 朝から激しくも蕩けるような口付けを交わしていると、車の外で薄緑の服を着た二人組の初老の男性達があっけにとられて俺たちを覗き込んでいる。


     *     *     *     *     *     *


「で、先生よう、いつからセックスしていいんだい?」

 普段無口で一見無愛想な橋上先生はブッと吹き出す。苦しそうにお腹を押さえながら、

「奥さん。フツーにまだしてないの?」

「だって… 先生が激しい運動はダメって…」

「金光さんが激しく動かないような体位ですりゃいいじゃん」

 呆れ顔で先生が突き放す。

「エ… 例えば…」

「騎乗位とか。奥さん細くて軽いからフツーにやれんじゃん?」

「…… アンタやり方知ってっか?」

「フッ 教えてやるよ奥さん。こーやんだよ。よく見といて〜」

 徐に橋上先生は横たわって筋トレをしている俺に跨り、解説を始める。

「いーかい。先ずはしっかり勃たせるんだよ。半ダチだと中折れしちゃうからねー」

「ハイっ」

「そんで右手でこう持って、こんな風に…」

 真剣な顔で頷く光子。途中から話を盛り始める先生。それを信じてさらに深く頷く。先生、そんな体位ホントに可能なんでしょうか?

「江戸時代の春画ではこうなってんだけどさ。上手くいかないんだわ、旦那とじゃ。今度フツーに試してみようか金光さん?」

「て、テメー、ドサクサに紛れて人のオトコ…」

「じゃ、奥さん試してみてさ、結果教えてよー」

 ここにも光子を弄れる強烈なキャラの人がいる。


「じゃあ、もう松葉杖は…」

「うん。要らないんじゃね。全荷重で歩いて良し」

「アンタ、良かったねえ! 頑張ったねえ!」

「奥さん、ヒザ蹴りはNGだからね。やるなら松葉崩しで」

 48手の知識がまるで無い光子はただ無心に頷くだけだ。

「先生… さっきから淡々と物凄い話を… ところで、骨の中の髄内針を取る手術はいつ?」

 先生は真剣な顔に戻り、

「金光さん、五十代じゃない。あと足首とか膝から負傷部位が離れてるよね、」

「はい。どちらもその通りです」

「だから、このまま抜かないでいいんじゃないかな。今度外科の診察の時に聞いてみ」

「え… それって一生このままなんですか?」

 腕を組みながら何度も頷く。医師よりもこの先生の意見の方が確かに感じるのは俺だけであろうか?

「そう。フツーそんな感じだよ。十代とかの若い子とか足首や膝とかの可動域に近いなら抜くけど」

「そうなんだ。じゃあ、もう手術は無いと…」

「そうだね。リハビリも全荷重でフツーに歩けるようになったら、週一でいいんじゃね?」

「そしたらよ、激しい運動も…アレか?」

 光子が顔を赤く染めながらゴクリと唾を飲み込む。

「奥さん、溜まってんねー ウケる〜」

「ば、バカ、そんなんじゃねーっつうーの…」

 でも、良かった。完治はまだまだ先だが、これで会社にフツーに行ける。それに、光子と…


「もう車の運転も出来そうだし。これからはリハビリ一人で行くよ」

「バーカ。アンタの運転じゃ危ねえっつーの。マジ運転ヘタクソだし」

「まあ… 日頃殆ど運転しないから… それにしてもお前ホント上手いよな運転」

 俺も決して下手な方では無いと思うのだが、光子には絶対に敵わない。

「そりゃー、二十年以上、大型転がしてたからなっ」

「大型って… トラック? 長距離トラックか?」

「それな。それでガキ食わせてたし」

 聞いてなかった。そう言えば知り合って半年以上経つのに、未だに知らない事だらけだ。特に三人目の子供を産んでから居酒屋をオープンさせるまでの話は殆ど聞いたことが無い。

「あれー、言ってなかったっけか? アンタとは昔からの付き合いじゃねーんだわな、そー言えば。ま、ボチボチ話てくし。おう、今度真琴にも聞けばいーじゃんか」

「ああ、甲府の。ん? あれっ? なあ、甲府って… 塩山と近いのか?」

「近いも何も〜 真琴の旦那が殺した相手の墓、塩山だし」


「なん… だと…?」


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