やさしい オオカミさん
「いいわね?寄り道はしないでまっすぐおばあさんのお家へ行くのよ?」
「わかってる」と答えながら赤ずきんちゃんが出てくるドアの向こうから心配そうなお母さんの声が聞こえてきます。
「ちゃんと暗くなる前に帰ってくるのよ?」
「はぁい」
赤ずきんちゃんは白く小さな手をふり、お母さんから頼まれたお菓子とぶどう酒の入ったカゴをしっかりと持っておばあちゃんのお家がある森へと急ぎます。
白くふっくらとしたほっぺたと柔らかな茶色のかみの毛を包む真っ赤なずきんはとても赤ずきんちゃんに似合っていました。
小さいのに病気のおばあちゃんの所までお使いに行く姿を見てオオカミは「やさしくていい子だな」と思いながら自分がこれからやらなければならないことを考えると胸がしくしくと痛みます。
どうしてこうなってしまったんだろう。
オオカミは森の小道を行く赤ずきんちゃんを木の後ろに隠れて見つめながら大きなため息をつきました。
色が黒くて背も高く口も大きなオオカミは子どものころからなぜかきらわれて、なにもしていないのに仲間はずれにされていました。
だからみんなにいじめられないよう、みんなの心をこわがらせないように森の奥でひっそりと暮らしていたのですが、ある日木の実を取りに来た母さんヤギとばったり会ってしまったのです。
目を真ん丸にしている母さんヤギよりもびっくりしたのはオオカミの方。
ぴょんと飛び上がり逃げようとした足は地面をうまくけることができずにすってんころりん!
おお、痛い!と泣きながら血が出ているヒザにふうふうと息を吹きかけていると母さんヤギが「だいじょうぶかい?」と優しく声をかけてくれました。
それから持っていた白いハンカチをくるりとヒザに巻いて手当までしてくれて。
こんなにだれかに優しくしてもらったことなんかなかったからとてもうれしくてオオカミはなんどもなんどもお礼をいいました。
すると母さんヤギはにこりと笑って「あんたこわい顔してるけど良いオオカミじゃないか」とほめてくれて。
なにかお礼がしたいとたのめば、母さんヤギは少し考えるように手を組んで。
すぐになにか思いついたのか「じゃあ家のやんちゃな子たちを少しこらしめてくれないかい?」とおねがいしてきた。
もちろんオオカミは「よろこんで」と答えました。
次の日母さんヤギにいわれた時間にこっそりとお家をたずねます。
コンコンとドアを叩くと「手を見せて」といわれたのでドアの間から黒い手を差し入れると「オオカミだ!母さんじゃない」と閉められてしまいます。
困ったオオカミは手を白くするために急いで森の自分の小屋へと帰って小麦粉をまぶしてかけ戻りました。
コンコンコン。
ドアを叩いて今度は白い手を見せると子ヤギたちはよろこんで開けてくれました。
でもオオカミの顔を見て「きゃー!?」とさけんで逃げ回ります。
それを追いかけて傷つけないように丸のみするのはとてもむずかしくとても苦しかったのですが、鋭いキバが少しでも子ヤギの体にふれてしまえば大けがをしてしまうのでがんばってごくんと飲み込みました。
苦労して六匹の子ヤギを飲みましたが、どうしてもお腹が苦しくて柱時計に隠れた最後の子を食べることはできずにふらふらと外へと出ました。
歩くのもつらくて木の下に座り大きくふくらんだお腹をなでながら母さんヤギが帰ってくるのを待ちます。
どうやらいつのまにか寝てしまっていたようで、起きた時にはお腹はぺったんこになっていました。
目の前にはハサミと糸を持って申し訳なさそうな顔をしている母さんヤギがいて。
「ごめんよ。つらいことをたのんじまったね」
「いいや。子ヤギたちみんなにケガは?」
「ああ、おかげでお母さんの言いつけを守らないとおそろしいことになるって学んでくれたよ。ありがとうね」
「そうか。ならよかった」
手当されたお腹の上に手を乗せてオオカミは口を開けて笑いましたが、やっぱりこわい顔になっていたのでしょう。
母さんヤギは青い顔で立ち上がりなんども謝りながら帰っていきました。
せっかく仲良くなれたのにまたさびしい日々に逆戻り。
でもそのあとで三人兄弟のブタの末っ子が小屋をたずねてきてくれて「いつもボクを見下している兄さんたちを見返したいんだ」といっしょうけんめいたのまれて断れませんでした。
一番上の兄さんブタのワラの家を吹き飛ばし、二番目の兄さんブタの木の家も吹き飛ばして協力したのですが、最後に煙突からあついナベの中に落ちてしまってさんざんな目にあったのでもうだれのおねがいも聞きたくないと思っていたのですが。
「こんにちはオオカミさん」
「え!?あ、ああ……こんにちは」
どうもぼんやりとしていたのか、かくれていた木から顔が出てしまっていたようです。
赤ずきんちゃんに元気よくあいさつされてなんとかあいさつを返しました。
「いいお天気ね」
「そう、だね」
「わたしいまから病気のおばあさんのお家へいくの」
「そうか。なら……あそこに咲いているお花をつんで持って行ってあげたら喜ぶんじゃないかな?」
なんとか赤ずきんちゃんの気をオオカミから別のものにうつそうと道に咲いているお花を指さすと白いほっぺたを赤くして「うわあ、かわいいお花!教えてくれてどうもありがとう」と走っていきます。
オオカミはほっとして今のうちにおばあさんのお家へ先回りすることにしました。
赤ずきんちゃんはお花をつむのに夢中で気づいていません。
心の中で「ごめんよ」と謝りながら木々を抜けておばあさんのお家へとたどり着きました。
コンコンコン。
ドアを叩くとごほごほっとせき込む音がして「赤ずきんかい?開いているよ」とおばあさんが答えます。
オオカミは大きくしんこきゅうしてからドアを開けておばあさんの寝ているベッドへと急ぎました。
「おや?あんた川むこうの森に住んでるオオカミじゃないか!一体どうしたんだい?」
びっくりしながらもおばあさんは入ってきたオオカミにむかって優しい声でなんの用かとたずねてくれます。
オオカミは具合が悪いおばあさんを前になんと答えようかと迷いながらも寝ているおばあさんの頭から足の先まで見てごくりとノドを鳴らしました。
むりだ――。
おばあさんは子ヤギとはわけがちがいます。
いくら病気でも子ヤギよりは力がありますし、丸のみできるほど小さくもありません。
無理やりつかまえることも、ケガをさせずに飲み込むこともむずかしくてオオカミは困ってしまいました。
「あんたは見た目はおそろしいけど優しいオオカミだから、悪い人にだまされてるんじゃないのかい?」
オオカミの思いつめた表情におばあさんはなにか理由があるのだろうと気づいたようです。
でもあいつは悪い人間なんだろうか?
オオカミにはわかりません。
ただ泣いてたのまれればいやだとはいえなくて。
つい「やる」といってしまったのです。
「あたしを食べるのかい?」
「――うん、そうしないといけない」
「なぜ?」
「赤ずきんをおそうために」
「赤ずきんを!?」
大事な孫におそろしいことをしようとしていると聞いておばあさんは体を起こしてオオカミの太い手をつかみました。
「たのむよ!あたしはどうなってもいい。でも赤ずきんだけは」
「うん」
そこはオオカミもおばあさんと同じ気持ちです。
あんなにかわいくていい子の赤ずきんちゃんを傷つけるつもりはありません。
もしそんな人がいるのならオオカミのこのするどいツメで切りさいてやってもいいと思っています。
「おそうフリするだけ。すぐに助けがくるようになってる」
「おそうフリをする?助けがくるって……どういうことなんだい?」
「たのまれた」
「だから、それはどこのどいつだい?」
ああもう赤ずきんちゃんがすぐそこまで来ているのが窓から見えました。
オオカミは首をふっておばあさんの白くふんわりとしたぼうしをうばうと頭にかぶり、丸いおばあさんのめがねもかけておばあさんに声をださないようにいい聞かせベッドの下へと入らせます。
そしてベッドに飛びのってしっかりとアゴの下までふとんをかけました。
コンコンコン。
「おばあさんこんにちは!赤ずきんです」
「……開いてるよ。お入り」
ノドのおくをしぼって高い声を出すとすっかりだまされた赤ずきんちゃんが中へと入ってきました。
手にはさっきつんだお花があります。
それを見てオオカミの胸はつきんと痛みました。
「あら?おばあさんなんだか変だわ。いつもと違う」
「そうかい?ノドが痛くて声が変わってしまっているからかもしれないねぇ」
「それだけじゃないわ。顔も青を通りこして黒くなっているし、お耳だってこんなに大きかったかしら?」
ああもっと深くぼうしをかぶっておくんだったと思いながらいっしょうけんめい考えて「お前の声を良く聞くためさ」と答えました。
赤ずきんちゃんは首をかしげながらベッドに寝ているオオカミの顔を覗き込みます。
「それにおばあさんはそんなに大きな目をしてなかったと思う」
「これは、かわいいお前の顔が良く見えるように」
「ほんとに?でもおばあさんの手はこんなに大きくなかったわ」
「大事な赤ずきんをいっぱい抱きしめたい気持ちがきっと大きくさせたんだろうねぇ」
「ふ~ん」
オオカミの下手くそなウソを赤ずきんちゃんが信じていないようなのはわかります。
もうごまかせません。
「どうしておばあさんのお口はそんなに大きいの?前はもっと小さかったわ」
「それはね」
「それは?」
「お前を――」
最後までいうことはできませんでした。
ドンッ!という大きな音がして窓が開き、そこから黒く細長いものがこちらをねらっています。
なんだろう?
鼻につく鉄が焼けるようないやなにおいがしました。
とてもおそろしくて、逃げ出したくなるようなにおいです。
「あぶない!」
ふとんをつかんだまま動けなくなっていたオオカミの前に飛び出してきたのは赤ずきんちゃんでした。
小さな体でも勢いがついていればオオカミの大きな体ですら動かすことができたようです。
枕が見えない矢でうたれたかのように跳ね上がり、中から羽が出てきてふわふわと舞いました。
「な――っ?」
「オオカミさん、しっかりして!」
なにが起きたのかわからないオオカミの頬を赤ずきんちゃんの手がぺしぺしとたたいて目をさませようとしています。
おばあさんがベッドの下からはいだしてきて、窓へ向かって「あんただったのかい!」と怒りました。
ひとさし指をびしっとむけられたのは猟師の男。
黒い棒みたいなものはどうやら猟師の持っている銃だったようです。
でもそれは当たったらちょっとのケガではすまないもので。
「赤ずきん、そのオオカミは悪いオオカミだ。きみをおそって食べようとしていた。だから離れてこっちへきなさい。あぶないから」
猟師の銃はしっかりとオオカミへむけられていましたが、オオカミの胸にしがみついている赤ずきんちゃんすら的になりかねません。
「あぶないのはどっちよ!」
「そうだよ!さっさと銃をおろしな!」
「おいおい。ばあさんも赤ずきんもあんまりじゃないか?おれは助けに来てやったんだぞ?それを――」
「“来てやった”だなんてえらそうなこといってんじゃないよ!ぜんぶあんたが仕組んだことだろ!心優しいオオカミをそそのかしめざわりなあたしを殺して、赤ずきんを助けたって恩を売りあたしの娘を――赤ずきんの母親を自分のものにしようとしてたんだろう!?」
ぎらぎらと目を光らせて病気のはずのおばあさんは猟師の男にむかってまくしたてます。
猟師は図星をさされて気まずそうな顔をして、オオカミは男の考えていたよからぬことにまんまと手をかしてしまったことにショックを受けて動けません。
「お母さんはめいわくだっていってるのにどうしてやめてくれないの?」
赤ずきんちゃんの悲しそうな声にはっとわれに返り、オオカミは窓の方を見ました。
目が合った猟師はびくりとおびえたようにしたのでまたおそろしい顔になっているのでしょう。
でもかまいません。
だってオオカミは怒っているのです。
とても許せませんでした。
ヤギの母さんや子ブタの末っ子のたのみごとにはそれなりの理由がありましたし、だれかを傷つけようとか困らせようとか悪い考えはどこにもありませんでしたがこの男はちがいます。
おばあさんを怒らせ、赤ずきんちゃんを悲しませ、赤ずきんちゃんのお母さんにめいわくをかけるようなことでした。
それを知らなかったとはいえ男のなみだに負けてしまったなんて。
そんな自分が本当にいやでした。
はずかしくて今すぐにでも自分の小屋に逃げ帰りたいくらいです。
でもこのまま帰ることはできません。
やるべきことがあります。
オオカミは胸の上にある赤ずきんちゃんの手をそっとどけてベッドから下りました。
猟師の男はガクガクとふるえながらも銃をはなしません。
いくらがんじょうなオオカミでもこれにやられてはひとたまりもありませんがこわくはありませんでした。
「お前がさっきうった弾が赤ずきんちゃんに当たるかもしれないと考えたか?」
「お、おれがそんなへまするわけないだろっ」
「ふん!そうかい?そんなにうでがいい猟師ならとっくにいい奥さんでもきてくれていたろうさ!」
「このクソばばあいいかげんにしろよ!」
「いいかげんにするのはお前だ」
とうとう口きたなくおばあさんに大きな声でどなる猟師の銃の細長い部分をぐっとにぎってオオカミはそこを力いっぱい曲げました。
そうなってしまうと弾をうつことはできません。
鉄の棒がぐにゃりと曲がっているのを見て男は「ひぃいっ!」となさけない声を上げてじりじりと後ろへとさがります。
「これ以上赤ずきんちゃんやおばあさんたちにめいわくをかけるというのならオレが相手になってやる。このツメで切りさき、このキバでかみついて二度とそんなことができないようにしてやるからな」
ぐっとツメをむきだし、かちかちとキバを鳴らしてうなると猟師の男は「あんな女なんかこっちからねがいさげだ!」なんてひどい言葉をのこしてあっというまに出ていってしまいました。
「こっちのセリフだよ!まったく失礼なやつだねぇ……ああ、安心したら熱が上がってきたよ」
「だいじょうぶ?おばあさん」
さっきまでさわいでいたおばあさんも気がぬけてしまえば病気も戻ってきて、へなへなと床に座り込んでしまいます。
赤ずきんちゃんが支えながら立ち上がらせようとしていたので、オオカミがかわりにひょいっと抱え上げてベッドへと横たわらせてあげました。
「ありがとう、オオカミさん」
にっこりする赤ずきんちゃんの顔をまっすぐ見ることができずにオオカミは下をむきます。
やるべきことはやり終えたのだからもう帰るべきなのですが、なんとなく帰ると言い出せずにいると赤ずきんちゃんがオオカミの手をきゅっとにぎりました。
「え、あの……」
「ねえオオカミさん。よかったらこれから家まで送ってくれないかなぁ?またあの人がどこかで待っているかもしないし」
たしかにあの男なら安心しているところをねらってまたちょっかいをかけてくるかもしれません。
送っていってあげることくらいなんともないことです。
だからおばあさんにあいさつをしてからオオカミは赤ずきんちゃんとともに外へと出ました。
おしゃべり上手な赤ずきんちゃんが町で起こるさまざまな面白い話をしてくれて、オオカミはすっかり町の一員になったつもりで一緒に笑ったり時には泣いたりしているとすぐに赤ずきんちゃんの家の前まで来てしまいます。
こんなに楽しかったのは初めてでオオカミはお別れするのがとてもさびしくなりましたが、おそろしいオオカミの顔などかわいい女の子はそんなに見ていたくないでしょう。
にぎっていいた手をはなして「さようなら」をいおうと大きな口を開けた時でした。
「お茶でもいかが?おいしいお菓子もあるし」
そういって赤ずきんちゃんがドアを開けてさそってくれました。
こんなことがあるのでしょうか?
「ほら、はやく」
とまどっているオオカミは赤ずきんちゃんに手を引かれて温かくて良い匂いのするドアの向こうへと進んでいきました。
赤ずきんちゃんのお母さんはオオカミを喜んでむかえ入れ、甘くて美味しいお菓子と良いかおりのするお茶を出してくれました。
そしてよくよくお話をしてみればヤギの母さんとは仲良しで、その時にオオカミについて色んなことを聞いたのだと会いたかったのだと教えられて。
「やさしいオオカミさん、どうぞこれからもよろしくね」
赤ずきんちゃんとそのお母さんの二人にそうおねがいされればオオカミがことわる理由などなにもないのはとうぜんです。
それから森のオオカミは町にちょくちょく遊びにいくようになりました。
最初はこわがられはしたけれど赤ずきんちゃんやヤギの母さん、それに子ブタの末っ子が助けてくれてすぐに仲良しになりとても幸せな日々を過ごすことができましたとさ。
めでたしめでたし。