巨人殺しは巨人を殺せるか?
「巨人を殺してほしいんだが」
旅人はいった。ツヅラは男の顔を見上げた。薄汚れ、くたびれ、汗臭い中年の男。彼はしきりに頭を掻き、ツヅラを見下ろしている。
「巨人?」ツヅラは男に椅子をすすめた。旅人は肩から革袋を下ろし、ありがたそうにツヅラの正面に腰かけた。パイプを取りだし煙草をふかしはじめる。紫煙に向けてツヅラはもう一度聞く。「巨人を殺す?」
「そう、巨人だ」
「巨人は先の大戦で滅びたはずですけど」
「たぶん、生き残りがいたんだろう」
「たぶん、ですか。ずいぶん曖昧ですね」
「私は言付けを頼まれただけなんでな」旅人は大きく煙を吸い、恍惚とした表情で天井を見る。「数週間前、私は野盗に襲われ水も食料も金もすべて奪われた。なんとか命だけは見逃してもらったものの、見知らぬ荒野に置き去りにされ、おまけに無一文で、死ぬかと思ったよ。飲まず食わずであっちをふらふら、こっちをふらふら、荒野を抜け、草原を歩き、森を突き進んだ。数日もすると空腹と疲労で動けなくなった。木に背中を預け生死をさ迷っていた時、たまたま通りかかった若者が私を担ぎ、村へと運んでくれた。そこの村人たちはとてもいい人たちだった。金もない私に良くしてくれた。私がぜひ恩返しがしたいと村長に申し出ると、『ならば巨人を殺せる人間を王都から連れてきてくれ』と頼まれた。なんでも村は年に数回巨人の襲撃を受けているらしく、家畜を殺され、村娘を奪われ、家屋を破壊され、散々な目に合うらしい」
「そんな村の話は聞いたことがないですが」
「辺境だからな。王都には届かないんだろう。たぶん」
「本当の話ですか?」
「さあな」旅人は首をかしげる。「実のところ私も疑っているんだ。巨人が出たとなれば瞬く間に軍に報告が行くだろう?先の大戦での巨人の恐ろしさは、皆が身に染みてわかっている。だから、なんだ、この話は、デタラメなんじゃないかと、まあ私も思ってるわけだが、しかし命の恩人の願いを無下に断ることもできんし、だからこうしてはるばる王都までおもむいたわけだ」
「はあ。ご苦労なことで」
「で、引き受けてくれるのか」
「ひどく徒労に終わりそうな予感がするんですがね。うーん、報酬はどれくらい頂けるんで?」
旅人は忘れていたという表情で革袋から布袋を取り出し、さらにそこから小袋を出してツヅラの前に置く。中身を確かめると金貨が五枚入っている。「前金だそうだ」と旅人。「成功報酬はこの五倍支払うそうだ」
「引き受けるかわからないのに前金を渡したんですか。ずいぶんお人好しな村だなあ」
「田舎だからな。心が清らかなんだ」
「なるほど」
「で、引き受けてくれるのか?」
「そうですねえ」ツヅラは腑抜けた顔で窓の外を眺めた。陽が傾き始めていた。「まあ、暇ですからねえ。べつに受けても問題ないですが」
「なら決まりだ」
いうがはやいか旅人は村への地図をツヅラに渡し「頼んだぞ、【巨人殺し】!」と念を押し店の外へ飛び出していった。喧騒にまぎれ、旅人は跡形もなく消え去った。
「巨人殺し、か」ツヅラは誰もいない部屋に向けて呟いた。「そう呼ばれるのは久しぶりだなあ」
ツヅラは王都で便利屋を営んでいる。彼は何でもやる。近所の悪ガキを懲らしめたり、ギルドの仕事を手伝ったり、マフィアに頼まれて要人を暗殺したり。あるいは逃げ出した飼い猫を探したり、足を怪我した婦人のかわりに買い物に行ったり、貴族のパーティーの見回りをしたり。そして今回は巨人を殺すことになりそうだ。
腹が減ったツヅラは外に出た。鮮やかな夕焼けが顔を照らした。ツヅラは扉の『OPEN』という看板を裏返し『CIOSE』にした。今日のお客は先ほどの旅人だけだった。午前十時から午後四時の六時間でひとりだ。繁盛しているとは言いがたいが、ツヅラは気にしていない。忙しいのが嫌いなのだ。椅子に腰かけ、本を開き、コーヒーを飲みながら一日が過ぎていく。そういう緩やかな一日がツヅラの理想だ。先の大戦で【巨人殺し】と畏れられたツヅラだが、彼は戦場で頑張りすぎた。戦場は単純な法則に支配されていた。つまり殺すか殺されるか、だ。ツヅラはそういう単純な法則下で驚くほど力を発揮する男だった。殺した。殺しに殺した。それはもう、凄まじいほど殺したのだ。巨人の脚を斬り飛ばし、巨人の腹を裂き、巨人の首を切断した。『お前は最強だ!』と仲間たちは口々にツヅラを褒め称えた。ツヅラは頑張りすぎた。ゆえに今は頑張りたくない。
喧騒がツヅラを包み込む。
王都はにぎやかだ。人が多すぎる。ツヅラは目の前の入り組んだ街を見る。どうしてこんなにも雑然に、複雑に進化してしまったのか理解に苦しむような光景が広がっている。レンガ造りの家屋の上に、また家屋が造られ、そのまた上に家屋がある。そんな家屋がいくつもいくつも並んで建っている。その正面には飯屋があり、その上に宿屋が造られ、そのまた上には娼館がある。そんな建物がいくつもいくつも並んで建っている。さらにそういった建物の間に、縄梯子がかけられていたり、あるいは立派な橋がかかっていたり、またはたんなる縄が結ばれていたりする。これは上階の人間が ―――たとえば三階に住むエロジジイが斜め向かいの娼館に行くのに、いちいち地上に降りて通りを渡り壁をよじ登って――― といった行程をはぶくために誰かが縄梯子をかけた。するとそれを真似する住人が次々と現れ、今や王都の空は縦横無尽、奇妙奇天烈、自由自在、いくつもの線が走っている。たいてい日に三人ほどが脚を踏み外し、石畳に叩きつけられて死ぬ。とすれば二日で六人、一週間で二十一人、一ヶ月では93人が死ぬことになる。それなのに人々は渡るのをやめようとしない。どころか毎日毎日、新たな橋や縄がかかる始末。なぜ誰もやめないのかツヅラには不思議でならない。エントロピーは増大するということなのだろうか。
ツヅラがいるのは王都の外れだ。だからこんなに乱れているのかというと、そうではない。むしろ王都の中心に向かうにつれて、この街は混沌の度合いを深めていく。三階建ての家屋は四階建てに、四階建ての飯屋は五階建てに、縄梯子は無限に増え、喧騒は激しさを増す。すべてがぐちゃぐちゃだ。そんな混沌のただ中に、王城がある。
ツヅラは赤い空を眺める。遠くに城が見える。城は高い。とにかく高い。もはや城というより塔だ。まるで天を貫くように何処までも何処までも伸びている。だから王都のどこにいようと城は見える。そして太陽の加減で城はいつも黒い。少なくともツヅラが城を見上げるとき、城は夜よりも暗い影に覆われ、その全容を晒さない。巨大なのはわかる。高いのもわかる。だが、それだけだ。ツヅラは城をちゃんと見たことがない。城など本当にあるのだろうか。黒い巨塔がツヅラに影を落とす。王都にいる限りこの城から逃れることはできない。
城は全てを睥睨し、もしかしたらツヅラを監視しているのかもしれない・・・というのは彼の考えすぎだろうか。
路地裏に入り、いつもの定食屋を見つける。カウンター席しかない、こじんまりとした店だ。扉を開けるといつもの店主の姿がない。おおかた裏で煙草でも吸っているのだろう。ツヅラは端の席に座り、ぼんやりとメニューを眺めた。
「いらっしゃいませ」
顔をあげるとカウンターの向こうに少女が立っていた。黒蘭のように艶やかな瞳がツヅラを見つめていた。この顔には見覚えがあった。が、どこで見たのか思い出せなかった。
(この小説はここで途切れている。途切れている、という事に何か意味があるのだろうか)