5 乗馬訓練
「きゃ、やだ! ちょっと、まって、こわい!」
「手綱に捕まったら馬が苦しいだろ! 姿勢を正して緩く持つんだ!」
「あ、だめ! うごいちゃ、おちる!!」
「動く合図をしたらか動くんだ! 止まる合図をするんだ!」
「だめ! わからない!!」
はーーーーー…と額に手をやり、手綱を掴むと、どうどうと声を掛けて止まらせる。
落ちる様に降りたのは紫鈴だ。
肩で息をしながら木の陰まで行って尻餅をついている。
「だから…乗れないって…言ったじゃない…」
息も絶え絶えに呟く。
緑栄から袍をむしり取って馬舎に行くと、シルバはアリともう一頭の馬を用意して待っていた。
「え? アリに乗せてくれるんじゃないの?」
「自分で乗れないのか?」
信じられないという顔をしたシルバは、おもむろに頷くと、「俺が教えてやろう」とアリに紫鈴を同乗させて器用に二頭を操り、王宮の郊外の開けた場所まで来た。
そして、恐怖の馬術訓練が始まったのである。
シルバが二頭を連れて紫鈴の所へやって来て、水筒を渡した。
紫鈴は礼もそこそこに貪るように飲んでむせた。
「一口ずつ噛むように飲むんだ。…前にも言ったぞ、この台詞」
「う…ごめ…」
背中をさすってもらってやっと息がつける。
木の幹に身体を預けて、深い息をついた。
「こんなに乗れないのに、よくアリを貸して欲しいと言ったものだ」
シルバが言外に言っているのは、出会った時の事だ。
紫鈴は王命で青蘭の故郷である万丘へ行き、急ぎ帰る時にゆえあって倒れた所をシルバに助けられたのだ。
王都へと急ぐ為に馬を借りたいと申し出たのは紫鈴自身だった。
「あの時は火急で、どんな事をしてもと思っていたから……」
「アリや俺と呼吸を合わせていたから、てっきり乗れるのだと思っていたのだがな」
「…アリなら一人で乗れるかも」
近くで草を食んでいる黒毛を見やると、
「だめだ。俺と一緒ならばいいが」
即答されて、「だめか…」と頭を幹につけて目を瞑った。
「何故、アリなら乗れると思うんだ?」
シルバも紫鈴の横に並んで座りながら言った。
うーん…と思いを巡らせて、たぶん、と前置きをして言う。
「アリとは心が通っているから…かな。安心出来る」
「そうか」
心なしか嬉しそうなシルバを見やる。
紫鈴も疑問をぶつける。
「何故アリを貸してくれないの?」
「俺の馬だからだ」
短い即答に納得がいかない。
「乗れる様になったら貸してくれるの?」
「いや、そうゆうものでは…」
と言って紫鈴を見て、ああ、と頷き説明をしてくれた。
フル族は成人した時、自分の馬を選ぶ。
選んだ馬は、馬の命が尽きるまで自分の馬とし、基本的にその馬以外は乗らないし、他人に貸し借りもしない。
へえ…と頷く紫鈴は、内心他にもいろんな掟やら決まり事がありそうだ、と気持ちが重くなる。
(いやいや、重くなる必要ないし)
頭を振って考えを散らす紫鈴を見て、さてもう少しやるか、と腰を上げたシルバは、不意にスン、と鼻を鳴らした。
そして空を見る。
直ぐに紫鈴を立たせた。
「何? どうしたの?」
「雨の匂いがする。屋根のある場所へ移動するぞ」
え? と空を見上げるが、薄い雲ははっているが雨雲がある様には見えない。
そんな紫鈴を急かしてアリに乗せると、シルバはもう一頭と手綱を結んでハッと駆け出した。
紫鈴は慌ててシルバの腰に手を巻く。
振り落とされない様に呼吸を合わせた。