3 約束
明くる日、紫鈴は休養日だった事もあり、シルバに会いに行った。
馬舎は表宮と奥宮と双方にあるが、シルバはある理由の為に奥宮の馬舎で働いていた。
近くにいる馬丁に訪問の旨を告げると、ある一角の馬舎を指し教えてくれた。
特になんの感慨もなく淡々と教えてくれた事にほっとする。一昨日の朝礼の時を思い出し、紫鈴は苦虫を潰したような顔をして馬舎へ入っていった。
ブルルッ
一番に気付いて鳴いたのはシルバの愛馬、アリだ。
「アリ、元気だった?」
万丘から王都までの旅路を共にして以来の再会に、心を踊ったが、アリは戸惑った様に轡をカチカチ鳴らしている。
「アリ? 忘れちゃったの?」
警戒して触らせてくれない雰囲気に、どうしようかと思っていると背後から声がかかった。
「あんたの出で立ちが違うから戸惑っているんだ」
「シルバ」
顔が見えない程の藁を持ったシルバが入ってきた。紫鈴には構わず、手前から順番にそれぞれの馬の囲いの中に藁を入れていく。
「アリに触りたければ化粧は落として来るんだな。ここの調教された馬と違って慣れていない」
そう言われて紫鈴はパッと顔を赤らめた。
休日だし、そんなに念入り化粧したつもりはなかった。
ただ、シルバに大事な事を言わなければ、と思うと自然と気が張り、武装の様に色々なものを付けてきてしまったかもしれない。
「アリ、ごめんね。気をつけるわ」
ブルルルッと応じるアリだが、今日は触れない方が良さそうだ。
先日の礼をしたかったのだが、又改める事にした。
「元気そうで良かった」
誰に言うでもなく呟くと、
「二日間寝っぱなしだったがな。問題ない」
と今度はシルバが応じた。
ほっとして顔を緩めた紫鈴は、シルバに向き直った。
「少し話がしたいのだけど」
改まった声色にシルバは頷く。
「これが終わったら一息つける。裏の木陰で待っていてくれ」
紫鈴は分かった、と言い、馬舎の裏手に回った。
適当な木の下で待っていると、暫くして布で汗を拭きながらシルバがやってきた。
黙って紫鈴の居る木の根元の所へ腰を下ろす。
相対して一息に言おうと思っていた紫鈴は拍子抜けし、一人で立っているのも気が引けて、仕方なく大人一人分の隙間を空けて同じ様に座った。
その様子を見てシルバがふっと笑う。
「何?」
「いや」
「今、笑ったじゃない」
「ああ、逢い引きに来たんじゃないんだな、と思っただけだ」
「ばっ! 誰が!」
いきり立つ紫鈴に、くっくっと笑いながら「冗談だ」と手を上げる。
顔を洗ってきたのだろう。いつもは鼻先まで伸びている前髪が上がっていて、額が露わになっている。
思ったより大きい切れ長の目を、紫鈴は意識して見ない様にした。
「あなたとの婚約の件だけど、無かった事にして欲しいの。私はあなたと結婚出来ないから」
重い言葉をなるべくサラッと言えたと思う。
相手に非がある訳ではないから、反論はあると思い身構えて言葉を待つと、シルバは「そうか」と言っただけだった。
暫くその続きを待ったが、心地よい風がふくばかり。
業を煮やしてシルバの方を向くと、穏やかな目でこちらを見ていた。しかも若干口角も上がっているので、微笑んでいる様にも見える。
(何? なんで笑ってるの?!)
まがりなりにも拒否する言葉を浴びせたというのに、なぜ笑えるのか。
混乱が表情に出ていたのだろう。
シルバが手を上げて、紫鈴が口を開こうとしたのを止めた。たたらを踏んだ気分だが、シルバの言葉を待つ。
その様子を見て、シルバはまたふっと笑い、今度は前髪をくしゃりと元通りに垂らした。
あの切れ長な目を隠してしまったから、表情がまったく分からなくなる。
「まず、婚約を無かった事には出来ない。一族の掟だからな。お前と二人だけの誓約ならば口裏を合わせられるが、シンが見ている。もう一族にその旨が伝わっている。
無かった事は無理だ」
正論にぐうの音もでない。でも、と口を開く。
「結婚はしないと決めているのにわざわざ時間を作るのって無駄じゃない?」
「そうだな」
「変な噂も立って白い目で見られるし」
「やっかみも凄いしな」
「そうでしょ? 付き合っていると思われるのもお互い迷惑だと思うから、会うのは今回限りにして三月たったら婚約を破棄したって言ってもらって事を収めるっていうのでどうかしら」
調子良く身を乗り出した紫鈴に、ふむ、と腕を組んだシルバは、「アリにはもう会わないのか?」と聞いてきた。
「え、会いたい。まだお礼も言ってないし」
「だったら今度来る時は化粧はするなよ」
「分かってるわよ!」
「女官姿もいいが、弟に袍を借りてこい」
「乗せてくれるの?」
「ああ、少し遠乗りをさせないとアリが暴れるからな」
「分かった。次の休養日は5日後だけど」
「合わせられる。朝準備が出来たらここに来い」
「分かったわ」
シルバと分かれ、気分良く自室に戻った所で、落ちた。
(私……婚約破棄しに行ったのよね。何で次に会う約束してるの? おかしくない?)
途中まで紫鈴に同調してくれていた様だったのに、何故最後には会う約束をしていたのか……ぽんぽんと喋っていた紫鈴には検討もつかない。
「おかしい! どうして?!」
(いつも会話をコントロールするのは私の方なのに……)
シルバにはそれが効かない。
(私、調子悪いのかな……)
何度首を傾げても答えは出ず、約束をしてしまった事実のみ存在するのであった。
シルバ、さすがだな。
by煌明