1 ある朝
ザッザッと手際よく肌衣の上に外衣を重ねていく。帯を締め、髪を丁寧に結い上げて唇に紅を差すと、背筋がぴっと伸びた。
王都・成遼にある王宮、奥宮の朝は早い。
夜が明けきらぬ内に身支度を整えて朝礼に向かうからだ。
よどみなく支度をして部屋を出ようとした時、姿見に移った髪飾りを少し整えようと腕を上げかけ、
「っつ……」
と思わず声が出た。
先日無茶な乗馬をした際に右肩を痛めたらしい。
チッと舌打ちをする。
仕方なく左手で整え、全身をもう一度見直してから官舎を出る。
朝日が差し込む中、女官達が集まる朝礼の広間に足を踏み入れた時、騒めいていた場が一瞬静まり、また騒めいた。
再度舌打ちをしそうなのを、精神力で腹に収める。
大方先日の騒動が知れ渡ったのであろう。
好奇な視線は集まるが、声をかけてくる者はいない。
今ここに居ない女官の件は事が大きすぎて聞くに聞けない、また、もう一つの件は怒気をはらんだ笑顔の本人には恐ろしくて問えないといった所か。
しかし女官達は喉から手が出るほど知りたい筈だ。
この国の今上帝である張煌明と側仕・呉青蘭の関係と、帝の側女と噂される伯紫鈴に婚約者が現れた、と言う事に。
朝礼が済んだ後、紫鈴は表宮と奥宮の境にある特別な部屋に身体を滑り込ませた。
扉を後ろ手に閉めて大きなため息を吐くと、
「機嫌が悪そうだね、紫鈴」
と先客が言った。
「悪いなんてものじゃないわよ。あんた変わる?」
「遠慮する」
笑いながら答えたのは伯緑栄。紫鈴の双子の弟だ。
今は官衣を着てどこから見ても男だが、この弟、女装をすると紫鈴と見分けがつかぬ程の女性らしさを発揮する。
幼い頃、見分けがつかない事をいい事に、とっかえひっかえ変わっていたずらをしていたツケが大人になって仕事としてやってきた。
紫鈴が王命により王宮の外へ出る時に、緑栄が紫鈴となり奥宮を監視するのだ。
その見事な化けっぷりは内情を知る者に言わせると、本人よりも女らしいとの評だが、それだけは口が裂けても言ってくれるなと緑栄は思っている。
「奥宮に変わりは?」
「無いわ。表宮は?」
「こちらも無いよ。あ、紫鈴の婚約者、腕利きらしいよ。王宮内の馬の調子を言い当てて馬丁頭の度肝をぬかしたらしい」
「…そんな情報はいらない」
低くなった声に、緑栄はまずった、と口に手を当てた。
(この朴念仁が!!)
ギリギリと歯軋りが聞こえてきそうな雰囲気に、緑栄が慌てて言った。
「そ、そうだ、主が紫鈴呼んでたよ。青蘭が目を覚ましたから粥を持ってきて欲しいって」
「馬鹿! なんでそれを先に言わないの!」
「今思い出した」
「緑栄の馬鹿! 朴念仁!!」
怒鳴り散らしながらも嬉々として部屋を出ていく紫鈴を、ニコニコして見送る緑栄。
(よかったね、姉さん)
くーーと伸びをすると、遠くで目白の鳴き声がする。うん、と緑栄は頷くと部屋を出た。
どうやら今日一日、平穏に過ごせそうである。