閑話 南校舎の話4
幸いあの後、ゾンビがやってくるということもなく、二階への撤退に成功した。
八岩先生をおぶった時の感想だが、身体能力が向上した今、やはり軽く感じた。
八岩先生は筋肉質で身長も俺より少し高い。
以前の俺なら、間違っても「軽い」という感想は抱かなかったはずだ。
「これは骨が折れてるかもしれないね」
臼井先生が八岩先生の腹を診ながら、そう言った。
先ほどのゾンビから受けたダメージもあり、八岩先生は寝かされている。
もちろん、ベッドなんてものはないので、教室の床の上だ。
「すまん。俺がいきなり飛び出して行ったばかりに……」
空気が重い。
やはり、各々思うところがあるようだ。
目の前で友達のゾンビを殺された剣道部の子は、まだショックから立ち直れていないらしく、下を向いたまま動かない。
臼井先生と幹也は、ゾンビ相手に躊躇したことを悔やんでいるのだろうか。
誰も言葉を発しない。
ただただ沈黙が続く。
要するに、俺たちはゾンビを舐めていたというわけである。
ゾンビといえど、無手の素人と変わらない。
噛まれないように気をつけないといけないが、武器を持っとけばなんとかなるだろうと思っていたのだ。
そして、それは俺のせいでもある。
ゾンビの情報は出来る限り共有しておくべきだった。
事前にゾンビがレベルアップで強くなっている可能性を教えておけば、八岩先生も飛び出して行ったりはしなかったかもしれない。
とにかくステータスのことを教えておかないと。
俺自体がレベルアップを体験した今、教えることに問題はないはずだ。
「少し聞いて欲しい話があるのですが」
俺は重い口を開く。
皆、顔を上げてこちらを見てくれるが、剣道部の一人は反応を示さない。目が虚ろだ。
とにかく、顔を上げてくれた先生や剣道部の子に対して話す。
「実はですねーーーー」
☆☆☆
「すまんな……。そんな幻覚を見るぐらい辛いことをさせてしまったのか……」
八岩先生が横になりながらも、哀れみの視線をこちらに送ってくる。
仮にも担任なのに、全然信用してくれない。
「確かに信じがたい話だけど……」
臼井先生も微妙な反応。
いっそのことステータス画面を見れば早いと思い、『ステータス』と念じて見たり、言ってみたり、黒板に書いたりとあらゆることを試したが出てくる気配はない。
先生方の哀れみの目線がいっそう強くなっただけだ。
どうやって信じてもらおうかと途方にくれたその時。
「じゃあ和。思い切り跳んでみてよ」
いきなりの幹也からの指示を不思議に思いながらも実行する。
すると、地面を蹴った手応えが今までとはまるで違うことを実感する。
異様なまでの身体能力。それを改めて感じさせられた。
自分のものとは思えない跳躍は、早くも天井にまで到達し……。
ゴチン!
「痛てて……」
予想外の事態に、俺は頭をさする。
とは言っても、レベルアップで防御力も上がっているのか、それほど痛くない。
それにしても体が軽いとは思っていたが、実際にやってみないとわからないものだ。
この体のスペックにも早々になれる必要があるな。
起き上がると先生たちは目を見開いてこちらを見ていた。
「和。お前……!」
「うーん。和君の身体能力が上がってるのは事実だし。信じるしかないみたいだね」
「だが臼井、ステータスだぞ。そんなことが現実に起こりうると思ってるのか?」
「それを言うんだったら、今の跳躍だって現実的に考えてありえないと思うよ。それに和君にそんな嘘をつく理由がないでしょ?」
教室の天井に頭を打つほどの跳躍。
一流のアスリートならばもしかしてと思うが、一介の高校生に出せる高さではない。
「そしてその話が本当だったら、僕たちはゾンビを倒すたびに強くなれるってことだ。だとすれば、この状況を打破するきっかけになるんじゃないか?」
「そうですね。でもそれを踏まえてもう一つ言わなければいけないことがあります」
もちろんそんなに都合のいいことばかりではない。条件は相手も同じだ。
「なんだい?」
俺は臼井先生に促され話し始めた。
「確かに俺たちはゾンビを倒すことによって強くなれます。けど、それは相手も同じじゃないかと思うんです」
「なぜ、そう考えるんだい?」
「最初にこちらに向かってきたゾンビは、八岩先生を階段下まで吹っ飛ばしました。それもただの蹴りです。成人男性を軽く吹っ飛ばすほどの蹴りを普通の人が放てますか?」
「なるほどね……」
皆、うなづいてくれている。俺は話を続けた。
「つまり、レベルアップできるのはゾンビも同じで、そしてあのゾンビはレベルアップ済みのゾンビだったんじゃないかと」
「確かに……。他のゾンビの攻撃は僕たちでも凌げるものだった。そんな相手に八岩がやられるなんておかしいと思っていたけど、そう言うことなら辻褄が合うね」
とりあえず、持てる情報は全て言ったはず。
臼井先生が頭の柔らかい人で助かった。
頑なに信じてくれなかったら、どうしようもないからな。
「とにかく、ここでじっとしていても仕方がない。日が暮れないうちに八岩以外の五人でもう一度挑戦しよう」
臼井先生が立ち上がって、教室の外に向かう。
こんな状況でもリーダーシップをとってくれる先生に感謝しつつ、俺たちも先生に続いたが……。
「すみません。俺はやっぱり無理です……。」
そう言ったのは、剣道部の一人。
友達を失い、ショックを受けていた方の子だ。
「そうか……。じゃあ、ここで八岩先生を見ておいてくれ」
臼井先生が優しげに声をかけるが、剣道部の子は返事をしない。
どうやら、相当にショックを受けているようだ。
俺たちは、そっと教室を出る。
「君も戦いたくなければ、無理しなくていいんだよ」
臼井先生がもう一人の剣道部の子に言った。
一回目が実質失敗に終わった以上、出来るだけ人数が欲しいところだが、先生しても無理やり連れて行くことは出来ないのだろう。
「いえ、僕は行きます。何かしてた方が気が紛れるっていうのもありますから」
確かに何もしないというのも辛いものだ。
現状、来ないであろう助けを待ち続けることしかできない。
「分かった。今回はこの4人で行こう」
☆☆☆
太陽も沈みかけて空は茜色に染まる中、俺は右手にバットを握りしめて校内を走り回っていた。
目的はただ一つ、ゾンビを引きつけること。
もうすぐ日が沈んでしまう。
視界が悪い中、外に出るのは避けたい。
暗い中、どこから来るかも分からないゾンビに注意を向けながら探索するなど、正気の沙汰ではないと思う。
『とにかく、日が沈む前に食料をとってきたい』
そんな臼井先生の意見はもっともだと思う。
もちろん何も食べなければ、体力もどんどん落ちて行く。
だから、決行するなら出来るだけ早くがいい。
というわけで、今回の目的は体育館に残された備蓄食料をとって帰ることである。
あの混乱の中ではすべてを持ってくることは出来なかったらしく、まだ体育館には多くの食料が残されている。
そして、もう一つ心配しなければいけないのは北校舎のことだ。
体育館脱出の際に、多くの生徒が犠牲になったが、それでもこちらとは比べ物にならない数の生徒が避難しているはずだ。
何せ、全校生徒のほとんどが北校舎に逃げたのだから、半分が犠牲になっていたとしても200人は余裕で超える。
もちろん食料を持ち出せた先生も向こうのほうが多いだろうが、それでも食料が無くなるのはこちらより早いだろう。
臼井先生も悩んでいた。もちろん先生としては、今生きている生徒全員を助けたい。
だが、自分たちの状況を考えるとそこに北校舎の皆を助ける余裕はない。
『北校舎のことは、今は気にしなくていい。自分たちのことだけ考えて』
臼井先生が悩みぬいた末に出した結論だ。
とにかく今、俺たちには余裕がない。
結局は明日の食料を確保するのに精一杯なのだ。
とにかく話を戻す。
体育館のドアは依然として開け放たれ、もちろん中にはゾンビが徘徊している。
さらに、南校舎と体育館の距離は遠い。
その道中でゾンビに出会わないとも限らない。
こんな中、食料を取りに行くのは極めて危険だ。
レベルアップ済みの俺は、普通のゾンビならば倒せる。たが、それは落ち着いた状況で1対1の場合だ。
たとえ普通のゾンビでも囲まれれば厄介だ。
何せ、相手はダメージを恐れずに突っ込んでくる。対してこちらは一撃でも喰らえば、ゲームオーバー。やつらの仲間入りだ。
もしかすると、レベルアップ済みのゾンビが他にいるかもしれない。
そうなるともう勝機はない。
手こずっている間に、他のゾンビが集まってきて終わりだろう。
要するに、普通に取りに行くという選択肢はありえない。
そこで皆で悩み抜いて、最終的には無理矢理だが俺の意見を通した。
『俺がゾンビの気を引いている間に3人で食料を取りに行ってください』
臼井先生の性格上、生徒を囮に使うような作戦を出さないであろうことは、この短い間でもわかった。
幹也も無理だ。あいつはそんなことは言い出せない。
剣道部の子は出会って間もないが、「先輩、囮になってください」なんて言えそうにはない。
だが、レベルアップ済みの俺という重要な駒がいる以上これが最善だ。幸いゾンビは、音に反応してくれるらしいし。
それが今の状況というわけだ。
総勢50匹を越えようとしているゾンビを引き連れて、俺はひたすら走り続けた。
一身上の都合により、更新ペースが極端に落ちます。すみません。




