9話 思い込み
7/29 竹箒→箒 変更漏れがあったので修正しました。
それはゾンビが現れてから、ちょうど3日目の昼のことだった。
俺は、幹也と食事を取っていた。
育ち盛りの男子高校生にとっては、腹も膨れない量の非常食だ。
当然、不満も相当出ている。
さっきも、サッカー部のグループが八岩先生に不平を言っていたが、先生の言うことも正しいと心の中では分かっているのだろう。すぐに引き下がっていた。
みんな、口には出さないが何となく察している。
『救助などこない。食料が尽きれば死ぬ』
それがはっきりしてきたのは、ちょうど昨日の昼、ゾンビの襲撃があってからだ。
あのドアも破壊される寸前で、あの時は生きた心地がしなかった。
幸い、ゾンビがドアを壊すのを途中でやめてくれたおかげでまだ生きているが、なぜやめたのかはわからない。
だが、もう一度こんな襲撃があれば、あのドアは数分と持たずに破壊されるだろう。
そんな恐怖を皆も感じているのか、昨日に比べて話し声が全然聞こえない。
まるでお通夜のようだ。
そんな時だ、急に舞台の方で叫び声があがった。
あれは、朝から気分が悪いと言って寝込んでた女子生徒のいる方だ。
しかし、様子が変だ。
看病にあたっていた先生たちが、舞台から逃げてくる。
どうしたのだろうか。
女子生徒が起き上がった。
逃げる先生たちを追いかけてこっちに向かってくる。
「こっ、こっちに来るな!」
先生の一人が叫ぶ。
先生が生徒にそんなこと言っていいのか。
そして、俺は追いかけてきた女子生徒を見て驚愕した。
顔の鼻ぐらいまで、肌が緑色に染まってしまっている。
そう、まるでゾンビのように。
「待って……助けてよ……」
ゆらりゆらりと女子生徒はこちらに歩いてくる。
距離が近づき、生徒たちが肌の変色に気づきだした。
生徒たちが逃げようとするが、ここは狭い体育館、女子生徒が構わず歩いてきて、徐々に逃げ場がなくなっていく。
考えろ。どうしてこうなった。
先ほどは、鼻あたりまでの変色だったが、今は目の高さにさしかかろうとしている。
脳内に初日の映像がカムバックした。
(まさか!)
その時。
逃げ惑う生徒を掻き分け、教頭先生が真っ先に女子生徒に向かっていった。
「どうした?気分が悪いのか?」
気分が悪いどころじゃないのは、見ただけでも分かるだろうに。
真っ青を通り越して緑になってしまっているのに……。
いい先生なんだけどな。
俺の推理が正しければ、あともう少しであの女子生徒はゾンビ化する。
さぁ、どうするか。
取れる手段は二つだ。
一つ目、ドアを開けて校舎に一か八か逃げ込む。
とてもリスクの高い方法だ。
相当数の生徒が外のゾンビに襲われるだろう。
二つ目、女子生徒を殺す。
ゾンビ化する前に殺したところで、ゾンビ化が止まる保証はない。
だが、最悪四肢を切り落とすとか……。
いや、ダメだな。人としての倫理観が邪魔をする。
というか、パニックになった生徒が勝手に、ドアをガチャガチャやって逃げようとしている。
先生が必死に止めに行ったが……。
これは、ゾンビ化する前に生徒によってドアが開けられてしまうかもな。
緑は女子生徒の体を眉まで侵食している。
もう猶予がない。
ドアを開けて逃げるしかねえなこれは。
というか、すでに一つドアが開いている。
いくら先生が止めるといっても、先生の数には限りがある。
開いたドアに生徒が殺到し、雪崩のように押し寄せた。
こうなっては、もう先生の手には負えない。
止めることを諦め、先生も逃げ始めたようだ。
「和、僕たちも早く!」
慌てたように、幹也が出口を指して言ってくる。
教頭先生は女子生徒についているが、額までほとんど染まっているので、いつゾンビ化してもおかしくない。
その時。
「ウガァアアア!」
人間のものとは思えない咆哮が響き渡り、体育館の壁に反響する。
と同時に、女子生徒は教頭先生に噛み付いた。
もうダメだな。
ゾンビが教頭先生に気を取られている隙に逃げないと。
俺も幹也と一緒に出口へ駆け出した。
さて、約3日ぶりの外だ。
体育館からは、北校舎の西入口が近い。
なので大半の生徒がそっちに向かっているが、俺たちはあえて南校舎に向かう。
なぜなら、大部分のゾンビが生徒につられて北校舎に向かっているからだ。
幹也と共に人混みを逆流して南校舎の入り口を目指す。
おそらく、俺たちと同じく冷静な判断をした生徒達と一緒にだ。
幸いゾンビに出会うことなく、入り口に到着する。
やはり、こちらを選んで正解だったようだ。
すぐに二階へ上がると、八岩先生が防火扉を閉めるために待っていてくれた。
新たに逃げてくる生徒がいないのを確認してから、防火扉を閉める。
やはり、俺たちが最後だったようだ。
一先ず、ゾンビの心配はないだろう。
南校舎は階段が一つなので封鎖が簡単だったが、北校舎だとこうはいかない。
何せ階段が二つあるのだ。
それもここを選んだ理由だ。
問題はこれからだな。
一番の問題は食糧だ。
食糧は体育館に全て置いてきてしまった。
舞台の地下に保管されているため、持ってくる余裕がなかったのだ。
「館山、楽泉。みんな三階の教室に集まってるからついてきてくれ」
考え事をしていると八岩先生から声がかかった。
幹也と共に先生の後に続き三階へと上がり、すぐ右の教室に入る。
「これで、最後かな」
「ああそうだ」
中にいたもう一人の教師が、生徒を数え始める。
教師は八岩先生を合わせて二人。生徒は、見た感じ15名程度しかいない。
ほとんどが体育館から近い南校舎を選んだようだ。
「……13、14。これで全員かな」
生徒14人に先生が2人か。随分と少ない。
この学校の全校生徒は約500人だ。
先生も合わせると、500人ぐらいが北校舎に避難したことになる。結構窮屈そうだ。
それに引き換え、こちらは安全地帯として二、三階を確保できた。
やはりこっちに逃げてきて正解だったな。
「じゃあ、始めようか」
「まずは、自己紹介だな。俺たちは、当面この南校舎で暮らすことになる。顔と名前ぐらい知っておくべきだろう」
「まずは僕からかな。多分知っている人もいると思うけど、名前は臼井 優。3年の物理の教師をしています。ちなみに八岩先生とは同い年だよ」
臼井先生か、名前だけなら聞いたことがある。
いつも柔和な笑顔を浮かべているイメージだが、さすがにこの状況では強張った表情だ。
て言うか同い年だったんだな。
臼井先生はやや童顔なので、八岩先生のほうが年上だと思っていたが。
「次は俺だな。八岩良だ。体育の教師をしている。生活指導部だから、見たことはあるはずだ」
先生たちの紹介が終わった。
それに続き、生徒たちもそれぞれ自己紹介が始まった。
学年とクラス、名前を言うだけの簡潔な自己紹介だ。
全員の自己紹介が終わるとこれからの話し合いが始まった。
「次はこれからのことだな。食糧については、ある程度持ち出してきたから、節約すれば2日は持つはずだ」
八岩先生が、教室の隅に置いてあった鞄を持って言った。
「問題は、これらの食糧が無くなった後だね。外に取りに行くか、餓死する前に救助が来ることを祈るしかない」
やはり、問題は食糧だろう。
非常食が無くなれば、体育館に取りに行くしかない。
それもなくなれば、校外に探しに行くしかない。
じゃあ、それも無くなったら……?
4日経ったが、救助が来ない。
この状況がこの近くでしか起こっていないのなら、救助が来てもおかしくないはずである。
つまり、日本中あるいは世界中でゾンビが現れていると考えるべきだ。
そうなると、いつかは自給自足の生活に持っていかなければならない。
「俺もこの4日間考えたが、この状況を生き延びるためには、ゾンビと戦う他ないと思う」
八岩先生が声を絞り出す様に言った。
それは、一度ゾンビになってもいつか戻るのだろう、という希望的観測を完全に捨てることを意味する。
ゾンビを排除すべきものとして認め、敵対するということだ。
「僕も同意見だね。いつかはここから出なくちゃいけない。その際には、ゾンビとの交戦もあるだろう」
臼井先生が賛同する。
が、他の生徒たちはまだ覚悟ができていないのか反対の声を上げようとする。
「いずれにせよ、今すぐ覚悟を決めろというのは無理だろう。食糧がなくなった時にもう一度聞く。それまでに各自考えておけ」
まぁ、2日の間で他に有効な手が思いつかなければ、戦うしかないな。
「まぁ、この話は2日後じっくりするとして、もう一つ話し合わないといけないことがある。今回、急に女子生徒がゾンビ化したことについてだ。これは僕の推測だが、噛まれてからゾンビ化する時間には、個人差があるのだと思う」
臼井先生が切り出した。
まぁ、俺も同意見だ。
初日は、騒ぎと混乱で誰がゾンビに噛まれた何て把握することができなかった。
もしかすると他にもいるかもしれない。
「あの様子を見る限り、噛まれてから体が緑色に変色し始めて、完全に緑色になるとゾンビ化してしまう。だが、変色する時間は数秒から数日、もしかしたら数年なんて人もいるかもしれない。とにかく、僕が懸念しているのはこの中に噛まれた奴がいないかどうかということだ」
やはり、この話題は避けられないだろうな。
この中でゾンビ化する人が出てしまうと、今度こそ全滅しかねない。
だが、もし噛まれた奴がいるとする。
俺たちはそいつに適切な判断が下せるだろうか?死ねと言えるだろうか?
話は進んでいき全員トイレで裸になることになった。
お互いに緑色に変色していないかを確かめるためだ。
もちろん女子と男子で分けてだが。
初めの心配を他所に、ゾンビ化しそうな奴は一人もいなかった。
取り敢えず、懸念材料が一つ消えたな。
☆☆☆
今後の話し合いが終わったあとは、二、三階でなら自由にしていいことになった。
俺は幹也と一緒に、真っ先に二階の自分達の教室に向かう
一応、臼井先生が南校舎のマスターキーを持っているので、頼めば全教室に入ることができる。
だが、なぜか俺たちの教室は初めからドアが開いていた。
俺たちは、まさかと思い教室に走り込むが、期待に反してそこにあいつの姿はなかった。
(一体どこに行ったんだ……?、清)
「ここにもいないね」
「そうだな、あいつは一体どこへ行ったのか?」
あいつなら、ここにいると思ったんだが。
本当にどこへ消えたのか。
「和、あれなんだろ?」
そう言って、幹也が指をさしたのは掃除用具入れのあたりである。
よく見てみると、半ばで折れた箒が転がっている。
先端が、茶色に変色しているのを見て、やっとそれが何なのかを理解した。
「なるほど」
清も戦ったんだな。
だったら、こんなところで死ぬわけにはいかない。
「幹也、絶対に生き延びようぜ」
「え? あ、そうだね」