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晴レノウチ雨  作者: 桜田駱砂 (さくらだらくさ)
8/10

質 クラブ・サンデストロ

 佐絵馬と少女が向かった先は、真宿だった。電車を降りて、人で溢れる雑踏の隙間を縫うように、二人は歩いて行く。

 人ごみの中で、勘づかれないよう十分な距離を置いて、シゲトーは二人の後を歩いた。さくらも二人の様子を見ながら、鞄の中から言った。

「どこに行くつもりかしら。あれ? 佐恋ちゃんが二人の写真を撮ったのも、真宿だったっけ?」

 さくらの疑問に、クロが答えた。

「そうだったな。また、何か用事でもあんのか知らねぇが・・・。教会の用事で出るには、ちと遅くねぇか? 案外、夜遊びだったりしてな。」

「夜遊びって・・・。正体は隠してるんだろうけど、教会でしょ。夜遊びなんてできそうにないイメージなんですけど。」

「だからあんなに、周囲を警戒してたんじゃねぇの。どこに行くかと問われたら、正直に答えらんねぇような場所に行く、とかな。」

「ああ・・・。」

 そうであれば、女の子の挙動不審にも説明がつく。しかし、教会の人に隠れて、いったいどこにいくつもりなのか・・・。

 駅を出て大通りを渡る二人を見ていると、クロの言葉が的を得ていたのでは、とさくらは強く思うようになった。きらびやかなネオンの中に、レストランや居酒屋の他、いかがわしい店が多く混じるようになったのだ。

「こ、これは、いわゆる、大人の遊園地・・・。」

 キャバクラ、ホストクラブから、中でいったいどういうことをやるのか、さくらにはまったく想像のつかない店が並んでいる。

「なんだ、ここは。街の雰囲気が、他と少し違うようだが・・・。」

 と言いながら、シゲトーはあたりを見回した。客引きに立つ男達が、じろじろとシゲトーを見ている。ただ見ている、というより、どことなく品定めをしているような雰囲気が視線から感じられた。

 クロが訳知り声でシゲトーに言った。

「ここは、あれだな。江戸でいうところの、吉藁(よしわら)みたいなもんだな。」

「吉藁。郭か。言われてみれば、俗世とはどこかかけ離れた空気があるな。なるほど、吉藁か・・・。」

 クロの言葉にシゲトーは妙に納得したようで、うんうん、とうなずいている。

 さくらは、ネオンがピンク色に輝く店先を見ながらクロに訊いてみた。

「ねぇ、クロ。あのお店、何?」

「あん? ああ、あれか、あれはだな、あれは・・・。いや、さくら、お前、ほんとにあれが何の店か分かんねぇのか?」

「分からないから訊いてるんでしょ。」

「いや、まぁ、その、なんだ。いろいろとだな、人間の男共が・・って、猫に妙なこと説明さすんじゃねぇよ。知るか。おやじにでも訊いてみろ。」

「なんでよ。教えてくれたっていいじゃない、ケチ。」

「ケチじゃねぇよ。あ、それとな、おやじに訊くときは、飯食ってるときはやめとけ。」

「なんで?」

「絶対、茂の奴、吹き出すから。」

「吹き出す? ふーん。なんかよく分かんないけど、ご飯のときに訊くのはよしとく。」

 クロが、大人の秘密を説明しなければならない状況からうまくすり抜けたとき、シゲトーは、突然、そばにあった電柱の陰に隠れた。

「どうしたの、シゲトー?」

「奴らが建物に入って行く。」

「え? どこ?」

 さくらが見た先には古い雑居ビルがあって、三階の窓には金融業者が、二階には法律事務所が入っているようだった。一階のテナントは空いているようで、がらんとしたオフィスが窓越しにかろうじて見えた。

 佐絵馬達は、ビルの狭い階段を地下へ降りて行ったみたいだった。シゲトーも、二人の姿が見えなくなったことを確認してから、階段へ近づいた。

「・・・何のお店だろう。クラブ、サン・デス・・?」

 階段正面の天井に店の名前らしきつづりが赤文字で描かれているが、びっしりと描き込まれた他の落書きで、はっきりとは読み取れない。

「どうする、シゲトー? 入る・・の?」

「入らねばなるまいが・・・。」

 いかにも、関係者以外お断りという雰囲気を醸すその場所へ、いきなり正面から踏み入れることに、さすがのシゲトーも躊躇しているようだった。

 入るべきか迷っているさくら達へ、クロが言った。

「正面から入るのは避けるべきだろうな。何の店かよく分かんねぇが、クラブか何かか? いきなり入って追い出されたり、押し通ろうとして騒ぎになるのはうまくねぇ。裏口か何かあるんじゃねぇの?」

「そうだね。探してみよ、シゲトー。」

「ああ。そうだな。」

 シゲトーがのぞいていた階段から視線を上げ、周囲を見回そうとしたとき、

「何してんの?」

 と、いきなり背後からかかる声があった。

 あんまり突然だったものだから、シゲトーは、びく、と一歩飛び退(すさ)った。

 ティーシャツにジーンズというラフな格好の佐恋が、そこに立っていた。わざとなのか無意識なのか、恐らく後者なのだろうが、ティーシャツの首回りがだぼだぼで、左肩の白い肌が見えてしまっている。

「そんな驚かないでよ、人を幽霊みたいにさ。それとも、何かよからぬことでもたくらんでたん?」

 にやにやと、相変わらず眠たそうな表情に笑みを浮かべ、鴉声で言う佐恋だ。

「いや、よからぬことなど、別に・・・。」

「さくらでもこういうとこ、来るんだねぇ。ちょっと意外だよ。人畜無害な歴女とばかり思ってたけど、結構遊んでるのね。」

(ちょ、シゲトー! 違うって否定して。遊んでないから。こんなとこで夜遊びなんてしてないから。)

「遊んでいるわけではない。」

「じゃあ、何よ。」

「ちと、知り合いと会いに・・・。」

「知り合い? こんな場所で?」

「相手が変わり者だからな・・・。」

「へぇー。誰、誰? 友達? 親戚とか?」

「いや・・。友達というわけでもないが・・・。佐恋も用があるのだろう。遅れるのではないか。」

 そう言って、シゲトーは佐恋が立ち去るようさりげなく促すのだが、佐恋はシゲトーの前でじっと立ち尽くしている。

「・・・? 佐恋は何をしに来た。」

「あん? 何って、そこよ、そこ。」

 佐恋が顎で指すそこ、とは、まさに、佐絵馬が入って行った地下の店だった。

「ここ、に・・・? 何の用で? そもそも、ここはいったい何だ?」

「ふふふ。とうとう、有力な情報をつかんだのよ。クラブ・サンデストロ。このクラブに吸血鬼が居座ってるっていう情報をね。」

「くらぶ・・? ここに、その吸血鬼とやらがいるのか。」

「そう。深夜ラジオのリスナー投稿情報よ。番組ではネタとしか扱われてなかったけど、チノリっていう奴がヴァンパイアらしいのよ。それを確かめに来たの。だから、そこ、どいてくれる?」

 シゲトーが階段入り口に立っているものだから、佐恋は下に降りられないのだ。

 とっさに、さくらが囁いた。

(ねぇ、シゲトー。佐恋ちゃんが中に入るって言うなら、それについて行ったら? 吸血鬼がどうとかっていうのは、はなはだ眉唾ものだけどさ、佐恋ちゃん、なんかこういう場所慣れてそうだし。)

「佐恋。」

「何?」

「私も一緒に行ってみてもいいか?」

「一緒にって、そこのクラブへ?」

「そう。」

「待ち合わせは?」

「あ・・・。」

(携帯! シゲトー、携帯にメール来たふりして!)

 シゲトーは慌てて携帯をポケットから出すと、

「ざ、ザンネン。キュウヨウでコレナクナッタヨウダ。」

 と、さくら、クロがはらはらするくらいの棒読みで言った。

「・・・? メール見る前に、入ろうとしたよね。」

 (いぶか)しむ佐恋だったが、ぽん、とシゲトーの肩に手をやると言った。

「まぁ、いいや。来たいって言うのを断る理由は、私の方にはないしね。入場料は自分で払ってよ。」

 佐恋はそう言うと、さっさと階段を降りて行ってしまう。

 クラブの入り口を入ると、中からダンスミュージックの大音量が漏れ出てくる。モデルみたいに美人だけれど、にこりとも笑わない受け付けのお姉さんは無言で入場料を受け取ると、チケットを佐恋達に渡した。

 入ってすぐ、佐恋やシゲトーが見上げなければならないほど大柄な肌の黒い男が、ブラックスーツにサングラスという出で立ちで立っていた。身体の前で、左手の甲を右手で押さえているその手はグローブみたいに大きい。

「ひぃ。何か、えらいとこに入っちゃったみたいな・・・。」

 さくらが、鞄の隙間から様子をうかがいながら、クロに囁いた。

「この程度で怯えてどうする、さくら。あ。」

「え、何? 何が、あ、なの。」

「この店、未成年は無理じゃね?」

「嘘! でも、チケットは買えたよ。」

「買えはしたが、ここで身分証提示を求められたら、アウトだろ。」

「身分証って・・・。」

 さくらは恐る恐る、大男の顔をうかがった。無表情な顔は、サングラスのせいもあって何を考えているかよく分からない。

 佐恋が、ちら、とチケットを見せると、男は顎で中の方を指した。入れ、という合図なのだろう。佐恋は何の躊躇もなく奥へ入って行き、シゲトーもそれに続いた。

「ああー、どきどきした。よかった。何も言われなかったね。」

 さくらは安堵してクロに言うが、クロの方はむしろ警戒を強めたみたいだった。

「身分証提示なしかよ・・・。未成年もフリーで入れちまうなんて、大丈夫か?」

「何で? 年齢制限なしってことなんだよ。」

「・・・だといいがな。だが、夜の世界にもルールってもんはあるんだよ。そういうとこルーズな場所は、客の管理もルーズだからな。おい、シゲトー。気をつけろよ。」

 言われたシゲトーは、大音量の音楽と、明滅する色とりどりの光に驚きながも応えた。

「ああ、油断するつもりはない。・・・が、なんだここは。皆、身体を揺すっているが、あれは、踊っている・・・のか? 盆踊りとはだいぶ(おもむき)が異なるようだが・・

それに、この音。やかましくてかなわん。」

 耳をふさいで眉間にしわを寄せるシゲトーを見て、佐恋は言った。

「えー? 何か言ったー?」

「いや! 何も言っていない! 少し中を見て回りたい! ここで一旦別れるぞ!」

「分かったー!」

 ひら、と手を振った佐恋は、そのまま、ホールで踊る人ごみの中に紛れてしまった。

 シゲトーは薄暗くやかましい店内を注意深く見回して、佐絵馬と少女の姿を探すが、それらしい人影はない。踊る若い男女をかき分けるように進んで、シゲトーは狭い通路に出た。トイレや従業員スペースに繋がっているようで、ホールよりは多少静かだった。

 シゲトーはやっと一息つける、という顔をしながら、さくらに言った。

「さくら、佐絵馬達の姿を見たか?」

「ううん、見てない。見逃しちゃったのかな?」

 クロは鈴の中からさくらに言った。

「見逃した、ってのもあるかも知れねぇが、他の部屋に入ったのかもだぞ。」

「他の部屋って?」

「こういうとこは、VIPルームとかが別にあるもんなんだよ。」

「VIPって、あの二人が? でも、教会関係者がクラブでVIP待遇って、そんなことあるのかな? ほんとだとしたら、とんでもない不良シスターってことじゃん。」

 さくらは、VIPルームで美形ウェイターにかしずかれて高級酒を飲む、シスターの姿を想像してみた。頽廃(たいはい)もここに極まれりね・・・。

 クロも、にわかに佐絵馬達の姿とVIPルームが結びつかなくなったのか、ちょっと言葉を濁した。

「ん? んー、まぁ、確かに、普通なら芸能人とか、音楽関係のお偉方とかそのあたりになるんだろうが、分かんねぇぞ。裏の顔ってのが世の中にはあるもんだからな。」

 さくら達の会話を聞いていたシゲトーが言った。

「とにかく、そのびっぷるぅむとやらに行けば、佐絵馬達の様子を探れるというのだな?」

「ホールに二人がいないなら、そういうことになるわね・・・。」

 さくらは半信半疑で言った。

 もう一度ホールに出て店の中をよく見てみると、奥の方へと続く扉がさらにあるようだった。だが、そこにはさっき入り口にいた大男と同じ格好の、これまたレスラーみたいに屈強な男が、立ち塞がるように立っている。

「どうする? あの門番みたいに立ってる人がいる奥が、それっぽいけど・・。」

 さくらが扉の方を見ながら言った。

「む・・・。」

 シゲトーも眉をひそめた。いくら武道の心得があるとはいえ、さくらの身体で相手にするには身長差も、体重差もありすぎる。そこへ、クロがぼそぼそとシゲトーに何かを囁いた。

「・・・・よし。」

 シゲトーはうなずくと、さりげなく奥の扉へと近づいた。

 扉の近くでいい感じに酔っている若い男のそばに来ると、シゲトーは、

「すまぬ。」

 そうつぶやきながら、男の足を引っ掛けるようにして、その腰あたりを後ろから押した。相手の動き、身体の重心を見きわめながら、流れるように一連の動作をとったものだから、男は何が起こったのかも分からず、派手に地面へつっぷした。拍子に、手にしていたジントニックをぶちまけてしまい、かかった数人の女の人達が悲鳴を上げる。

 一帯がざわつき、人々の視線が倒れた男に集中した。扉の前にいるレスラーみたいな男も例外ではなかった。数歩前に進み、扉の前からわずかに離れる。

 シゲトーはその隙をついて、滑り込むように扉の奥へと入った。

 扉一枚を隔てて奥はさらに薄暗く、自分の足下を見るのがやっとの明るさしかない。ホールの音楽は、くぐもった響きとして聞こえるにすぎなくなった。

「無茶するわねぇ。」

 さくらが外の騒ぎを想像しているところへ、クロが言った。

「あれが一番手っ取り早いんだよ。もたもたして、サエマ達に逃げられても困るだろ。」

「そうだけどさ・・・。転ばせちゃった人、ごめん!」

 さくらは、ぽふ、と肉球同士を合わせる格好をして謝る。

 奥に続く通路は、人の肩幅二つ分くらいの狭さで、ぽつん、ぽつん、とかなりの間隔を開けて鈍い照明が光っている。静けさが、冷気みたいに奥の方から忍んでくるようだった。

「行くぞ・・・。」

 シゲトーは壁に手をつき、慎重に歩みを進める。

 少し行くと、廊下は正面、左右の三方向に別れた。

「どっちだ・・・? 正面か。」

「右。」

「左だな。」

 シゲトー達三人は、同時に別々の方向を口にした。

「・・・。」

「・・・・。」

「・・・・・・。」

「やっぱり、右よ。」

「いやぁ、左だろ。」

「俺は正面だと思う。」

 完全に、三つへ別れた意見をどうするかでさくら達が顔を見合わせたとき、右の奥の方から、何かが近づく気配がした。

 シゲトーは腰を落とし、鋭く右奥の通路をにらみながら警戒する。照明が途中で切れているのか、通路奥はここよりもさらに暗い。

 シゲトーは焦った。気配はみるみる近づいてくるのだが、足音がしない。

「シゲトー・・・何か来るよ。」

 ひげと耳をぴくぴくと振るわせながら、さくらが言った。さくらもシゲトーと同じく気配を感じたが、気配の正体がまるで分からない。

「ああ・・・。」

 シゲトーが懐の刀、緋奔(ひばしり)に手を掛ける。抜くわけにはいかないが、いざとなれば、鞘ごと殴りつけるだけでも効果はあるだろう。

 突然、近づく気配が途絶えた。不審に思って、シゲトーが一歩身を乗り出し、奥を確認しようとした途端、黒い塊が、どす、とぶつかってきた。

「わちゃっ! あ痛ー・・! こんなとこで突っ立ってるの、誰?」

 青年と呼ぶには若すぎるが、少年と呼ぶには年をとりすぎている、さくらと同じくらいの年頃の・・・青年が、おでこをさすっていた。シゲトーのおでことぶつかったのだ。顔は青白く、どこか気の弱そうな雰囲気が表情にはあるものの、きれいな瞳をしていた。

「おぬしこそ、何者だ。」

 シゲトーもおでこをさすりながら、誰何(すいか)した。青年はちょっとシゲトーを見つめてから、早口で言った。

「・・・あ! ちょうどいい。追われてるんだ。助けてくれないか。」

「追われている・・・?」

「た、頼む。もう切羽詰まって、どうしようもないんだ。」

「い、いや・・・、こちらも大事な目的が・・・。」

「頼む。頼むよ! こ、殺されるかも知れないんだ!」

 佐絵馬を探さなければならない。断ろうとするシゲトーだが、青年も必死だった。

「お礼はするから! こんなところで終われないんだ! 今は君しか頼める人がいない!」

 さくらは戸惑いながら、クロに言った。

「な、なんか、どうしよ、クロ・・・。」

「今は面倒ごとに関わってる場合じゃねーんだがなぁ。」

「でも、すごい困ってそうだけど・・。殺されるって・・?」

「・・・よし。いっちょ助けてみるか。」

「あれ? 意外。放っておけ、って言われるかと思ったけど。」

「勘違いすんなよ。何も善意で助けるわけじゃねぇ。奥から来たってことは、VIPか何か知らねぇが、この店とそれなりに深い関係があるんだろう。サエマのことも、何か聞けるかもだ。恩を売っておけば、何かと便利にちげーねぇ。」

「うわ・・・。悪猫(わるねこ)・・。」

「頭が回ると言え。シゲトー、助けてやろうぜ。」

 すがるような目つきで見つめてくる青年へ、シゲトーは言った。

「分かった。できることがあれば、やろう。だが、どうすればいいのだ?」

「あ、ありがとう! 難しいことじゃないんだ。すごく、簡単なことだ。ついて来て。」

 青年はそう言うと、シゲトーの後ろ側、通路が十字になっているところまで行って、さらにそのまま進んだ。

 通路の突き当たりには、人がやっとかがんでくぐれるような、小さな扉がある。青年は扉の前に来ると、シゲトーへ振り向いた。

「普段は別の人にやってもらうんだけど・・・。ここでお願いするよ。」

「お願い、はいいのだが、何をすればいいんだ。」

「先に扉の外へ出て、僕を三回呼んでほしい。」

「・・・?」

「不可解だろうけど、僕がこの建物から外に出るときのルールなんだ。理由は・・・後にしてもらって、今はとにかく、頼む!」

「・・・・いいだろう。」

 小さいが重い鉄の扉を開けると、外のむっとした熱気が中に吹き込んできた。シゲトーが身をかがめて通リ抜けたそこは、路地裏のようだった。ビルとビルの間に挟まれ、薄汚れた雰囲気のある道が続いている。

「呼んで! 早く!」

 屋内から、青年の声が聞こえる。

「・・・おい。」

「あと二回!」

「おい、出て来い。」

 青年は、息を止めながら扉をくぐると、

「ぷはっ!」

 と、水面に顔を出したような声を出して、外に出てきた。

「あ、ありがとう! 出れた。じゃ、じゃあ、僕はこれで。後日、店に来てくれたら礼をするよ。」

 青年は慌ただしくそう言って去ろうとするのだが、シゲトーが呼び留めた。

「いったい、誰に追われているというのだ。」

「二人組だよ。君も店の中で見かけたかも知れないけど、金髪の女の子と、もう一人の女だ。」

 それを聞いたさくらは、クロに言った。

「二人組で、一人は金髪の女の子って、もしかして、サエマ達のこと・・・?」

「・・・・。シゲトー、サエマともう一人の写真、そいつに見せてみろよ。」

 クロに言われるまま、シゲトーは携帯を取り出すと、今にも駆け出そうとそわそわしている青年に写真を見せた。

「二人組、とは、この二人のことか?」

 佐絵馬の顔はよく写っていないのだが、もう一人の少女の顔を見て、青年の顔がみるみる青ざめる。じり、と後ずさりをしながら、シゲトーに言った。

「そ、そうだ・・・。お、お前、ヴァレンティナの手の者、か・・・。」

 青年は、明らかに少女のことを知っている。

「ばれんちな・・・? おぬし、この娘のことを知っているのか。」

「え・・?」

「俺・・、私は、この娘の手の者ではない。むしろ、逆だ。追う側の方だ。」

「追う・・・側? ヴァレンティナの仲間じゃない・・・?」

「そうだ。仲間などではない。」

 シゲトーはそう言うのだが、ヴァレンティナ、という名の少女の写真を持っていることで、青年は疑心暗鬼に陥っているようだった。

「だとしたら、僕がどこへ行ったのか、その二人に会っても黙っててくれないか。と、とにかく、僕はこれで・・・!」

 青年は、もうこれ以上いても立ってもいられない、という風に、暗い路地の奥へと走り出した。

「・・・・。」

 青年の背中を見つめるシゲトーへ、さくらは言った。

「何かよく分かんないけど、サエマと、そのヴァレンティナって子に追われてたみたいね、あの人。」

 ちょっと考えてから、シゲトーが言った。

「そのようだな・・・。追うぞ。」

「追うって、あの人を?」

 聞き返すさくらだが、シゲトーは青年を追って既に駆け出している。

「そうだ。」

「でも、サエマは・・・?」

 戸惑うさくらへ、クロが言った。

「いや、ナイスなアイデアかも知れないぜ。サエマとヴァレンティナって奴が、今の男を追ってるわけだろ。だったら、あいつの周りをうろうろしてりゃ、放っといてもサエマ達がやって来る、と。」

「ああ、そっか。でも、そんなにうまくいくのかな。サエマがあの人のこと見失ってたら、アウトじゃない?」

「その可能性はあるが、あいつはいわば餌だ。餌のとこで網張ってた方が、下手に探しまわるより獲物はかかりやすいってもんだろ。」

「それは確かにあるか・・・。」

 今にも見失いそうな青年を追って、シゲトーは足を早めた。

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