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晴レノウチ雨  作者: 桜田駱砂 (さくらだらくさ)
4/10

参 侍と女子高生

「や、やっと着いた・・・。」

 私は、シゲトーの持つ鞄の隙間から鼻先を出しながら、ようやく息をついた。学校に着いたのだ。

 学校に行くだけのことに、いったいどれだけのエネルギーを使わなければならなかったことか。

 シゲトーに目をつむってもらって、パジャマから制服に着替えたりはまだ序の口で、お父さんと顔を合わせた途端、床に膝を着いて深々と平伏し、おはようございます、父上、ときたものだ。普通の父親であれば、娘の突然の奇行、朝から何やってんだ、さっさと朝ご飯食べなさい、と一蹴されるところなのだけれど、幸いに、と言うべきか、お父さんは、うむ、おはよう、さくら、昨夜はよく眠れたかえ、とか言って武家というか公家の父になりきりモードだった。娘のお侍なりきりごっこに、さらりとつきあってくれるお父さんでよかった。

 刀を学校に持って行くと言うシゲトーを、私とクロ、二人掛かりで説得し、帯刀を諦めさせるのも一苦労だった。刀を持って歩くと捕まると言われ、そんな馬鹿なと信じない相手を説得するのだから。刀は「必要なとき」にだけ持ち出すしかない。サエマを見つけ出し、退治するときだけ、ということだ。

 信長、つまりクロが宿るサボテンごと、学校に持って行ってもらおうかと思ったけれど、なんでも、サボテンのトゲを持ってくだけで私やシゲトーと会話ができるとか。

「こんなんで会話ができるの? なんで?」

 首をかしげる私に、クロが言った。

「なんで? なんでだと? 俺にそれを聞くか? 知らねーよ。」

「知らないって・・・。」

「じゃあ、さくら、お前、携帯がいったいどういう理屈で相手と通話できるのか、一から説明できるか?」

「・・・できない。」

「だろ? なんで会話ができるか、なんてこた、たいして重要じゃない。会話ができるってんだから、その恩恵に預からせてもらおうぜ。」

 ということで、信長のトゲだけを持って行くことにした。

 シゲトーの鞄に入って家を出て、アスファルトや電柱、自動車、電車、その他、ありとあらゆる、江戸時代にはなかったもの達についてシゲトーからの質問攻めに遭いながら、ようやくたどり着いた校門だった。

 昇降口へ続く道脇の茂みの陰に移動してから、私は鞄を飛び出した。大きく身体を反らせ、伸びをしながら私は言った。

「ううーん。やっと着いた。結構揺れたけど、狭くて落ち着くのよね、鞄の中って。」

 クロは、

「だろ。狭くて暗い場所は落ち着くんだよ。押し入れとかな。」

 と、したり顔、顔は見えないんだけど、で言った。

 私の首から下がる鈴の中から、くぐもったクロの声が聞こえてくる。信長のトゲを無理矢理詰め込んだせいで、鈴は鳴らなくなってしまったけれど、学校で目立たないよう行動するには、ちょうどいいかも知れない。

 シゲトーはきょろきょろと周囲を見回しながら言った。

「ここがおぬしの通う学校というところか。寺子屋のようなものとばかり思っておったが、随分大きいな。御公儀(ごこうぎ)による施設か?」

「ごこーぎ? ああ、御公儀ね。違うよ。国立じゃなくて私立の学校。」

「私立・・・? 私人によるものか。このように巨大なものを、よくも・・・。よほど力のある名主(なぬし)か、商いの盛んな家であるのだろうな。」

「商いっていうか・・・。まぁ、生徒を集めて授業料を払ってもらうのを、商いと呼べばそうなるかも知れないけど。それで、教室の場所は分かっているわよね。」

「うむ。分かっている。」

「茜が話しかけてくると思うから、変なこと言わないでね。私が教室の窓の外からこっそり教えるから、それ以外のこと、話しちゃだめよ。」

「心配無用。」

「大丈夫かな・・・。」

 クロは私の気持ちを逆撫でするように言った。

「大丈夫じゃあないと思うぜ。中の人格変わってんだもん。ばれないわけがない。」

「クロ!」

 私は自分の鈴に向かって声を上げた。はたから見ると、首から下げた鈴とじゃれあう猫にしか見えない。

 シゲトーは、私の心配とは裏腹に、落ち着いた様子で言った。

「そう心配には及ばん。仮にもおぬしから借り受けた身体。おかしな話にならんよう、配慮はする。」

「ならいいけど・・・。」

 クロは呑気な声で、

「そんな心配しても始まらねーぜ、さくら。ここはシゲトーに任せるしかねーんだ。俺もできる限りのフォローはするから、問題ねーよ。さっさと行ってもらわねーと、遅刻するぜ。」

 と、言った。

「え、もうそんな時間? じゃ、じゃあ、シゲトー、お願いね。」

「うむ。行ってくる。」

 背筋を伸ばして歩き出すシゲトーなわけだけれど、ちょっと固すぎないかしら、あれ。自分の歩く姿を後ろから見たことなんてないし、比較のしようもないけれど、凛、凛、と音すら聞こえてきそうな折り目正しい歩き方は、どう考えても昨日までの私にはなかった姿だ。見ようによっては、育ちの良いお嬢様に見えなくもないけど・・・。

 私はクロに言った。

「大丈夫かな、シゲトー。」

「知らん。ほれ、先回りして、教室の窓んとこに行こーぜ。」

「うん。・・・それにしても、このトゲで会話って、不思議よね。クロの力じゃないんでしょ。」

「ああ。猫にひげで遠隔会話する能力なんてねーな。」

「じゃあ、これは信長の能力ってこと?」

「そういうことになるな。こいつ無口だから、何考えてるかあんまり分かんねーけど。声も小せーし。」

「昨日も、こいつ、とか信長がそこに居るような言い方してたけど、そこに居るの? 信長。」

「居るぜ。俺達は、魂的な何かがところてん式に押し出されたわけだが、こいつの場合、懐が深いっつーか、隙間があるっつーか、とにかく、俺が入っても押し出されなかったみてーだ。」

「へぇー。信長、何か言ってる? 日光は足りてるとか、もうちょっとお水が欲しいとか。」

「訊いてみるか? ・・・・・え? 何て? ・・・ああ、そーか。ええ? 様だって(笑)。」

「何? 何て言ってた?」

「光も水も足りております。日々、太陽と水の恵みに、そしてさくら様に感謝し過ごしております、だってよ。」

「あらら。ずいぶん礼儀正しいのね、信長。」

「お前が様って柄かよ。呼び捨てでいーんだよ、呼び捨てで。」

「ちょっと、クロ。あんたも少しは信長を見習いなさいよ。飼い主を呼び捨てとか、ふてぶてしいにもほどがあるわ。様をつけろとは言わないけれど、せめて、さん、づけしなさいよ。」

「ぶは! さくらさん、て。何で俺がお前をさんづけで呼ばなきゃならねーんだ。敬称は敬意に基づく自発的な呼称だぜ。涎を垂らして寝たり、宿題もしょっちゅう忘れるお前のどこに敬意を持てってんだ。」

「な、何よ。涎なんて・・・!」

「垂らしてんだろーが。」

「うぅ・・・。」

「宿題だって、全部やってない日が多いのは分かってんだぜ。」

「どうしてそれを・・!」

「お前が机につっぷして、すやすやおねんねしてるところを、ちょっとのぞいたんだよ。あんな簡単な問題もできねーとはな。」

「むぅぅ。」

 否定できない事実を突きつけられるのは、事実を認める以上に悔しいもの。悔しさのあまり言い返す言葉もなく、私はぷりぷりと足早に教室へと向かった。

 校舎の入り口前を横切ろうとすると、

「なになに? あれ! 黒猫! 可愛いー!」

 そう言って、何人かの女子がスマホのカメラで写真を撮ろうとしてきた。クロは慌てて言った。

「おっと。さくら、写真とかはまずい。目立つといろいろ動きづらくなるぜ。逃げろ。」

「わ、分かった。」

 言われて私は、さっ、と駆け出し、カメラ攻撃から逃れた。

「あぶねーなぁ。堂々と人目につく場所歩くんじゃねーよ。」

 と、クロは冷や汗をかいているのが想像できるような声で言った。

「多少目立っても、別にいいんじゃない?」

「さくら、お前、可愛いとか言われてカメラ向けられたから、ちょっといい気になってんじゃあねーだろな。」

「え? そ、そんなことないよ。べ、別に嬉しくなんかないんだからね。」

「中途半端なツンデレ属性なんていらねーよ。学内で注目されるようになってみろ。追い出されかねないぞ。いるかいねーか、分かんねーくらいの存在感が、ちょうどいいんだよ。昨今、写真をネットにアップされた場合の情報伝達速度は半端じゃねーからな。気をつけとけよ。」

 ネットとか写真をアップとか、猫であることが疑わしくなるほどの情報通だ。クロは続けて言った。

「さくらの教室は二階だったな。そこの木に登って、枝の先まで行けば中の様子が分かるぜ。」

「そこの木、って、登るの? これを?」

 見上げた木は、人の姿で見ればこそ、せいぜい7、8メートルの高さ、普通の木なのだけれど、猫の身として見るそれはジャックと豆の木状態だ。圧倒的にそびえ立つその木を前に躊躇していると、何をびびってやがんだ、と言わんばかりにクロが急かす。

「早く登れよ。爪を立てて、四つ足で踏ん張ればなんてことねーよ。」

「爪? 爪なんてどーやって出すのよ。」

「黒板を爪で引っかくときみてーに、指の先を立てる感じだよ。」

 ンキー、と黒板を爪で引っ掻いた、総毛立つ音を想像しながら、言われるまま、指先を立てるイメージで足を動かすと、にょ、と爪が出る。

「あ、出た。」

「そいつを引っかけて登れ。」

「でも、爪とかに体重かけたら痛いんじゃ・・・。」

「大丈夫なんだって。頑丈にできてんだから。」

 恐る恐る爪を引っかけ、木をよじ登り始めると、意外にもするすると進める。手足の爪を出し、四つ足でしっかり木の幹を捉えると、面白いように登ることができる。

「あ、すごい。登れる。この爪、便利ね。四足歩行ってのも、慣れると身体がらくちんだし。」

「だろう。形態進化のたまものなんだぜ、その体型は。環境に適応できなかった、多くの同胞、その犠牲の上に成り立つ、究極の機能美ってとこだ。大事に扱えよ、そのボディー。」

 究極の機能美って、大げさな。でも、しなやかに動く四肢と鋭いバランス感覚、運動は苦手なんだけれど、クロの身体に入ってからは、身体を動かすのが心地いい。身体が意志のまま、自在に動く快感を、猫になって初めて感じるなんて、人であることがそのまま幸せにつながるわけじゃないということだ。

 横に張り出した太めの枝に移って、さらに先の方まで行くと、教室の中を一望できた。葉っぱの間に隠れるようにして身を潜め、じっ、と耳を澄ませる。猫として聴力が増しているせいか、窓越しでも教室の中のざわめきがよく聞こえた。

 がら、と教室のドアが開き、シゲトーが入って来る。

「あ。なんでシゲトー、靴下のままなのよ。上履きは?」

「さくら、上履きのことあいつに教えたか?」

「あ・・・。」

 教えてない。上履きを履く、なんて毎日の習慣になってるものだから、シゲトーに伝えることすら思いつかなかった。シゲトーは、ずい、と教室内を進んで、教えておいた窓際の席に座る。席はちゃんと伝えておいた。だって、朝、学校に行って間違った席に座る、なんてことされたら、座った方も座られた方も気まずいものだし、座席を間違えるとか、基本的にはありえない。シゲトーは、緊張しているわけでもなさそうだけれど、ぴし、と姿勢を正したまま、瞑想するみたいに視線を落としている。

「な、なんか、シゲトー姿勢良すぎない?」

「昔の武士つったら、だいたいあんなもんだったんだろ。むしろ、お前が姿勢悪すぎなんだよ。猫じゃあるまいし、背中丸めてよ。」

「そ、そうかな? けど、今のシゲトー、すごい目立ちそうなんだけど。あ、茜だ。」

 茜が私の席へ来る。私は耳をぴんと立て、会話を聞き漏らさないように集中した。

「おはよう! さくら。」

 と、張りのある声で茜が言った。

「うむ。」

 と、シゲトー。うむ、って。

「? 何、さくら。うむ、とか言って、時代劇ごっこ?」

 早速、茜につっこまれる。

「ごっこではない。普段どおりだ。」

 うぬぅ! 私の喋り方を真似てもらうよう言ってはいたけれど、やっぱり一晩じゃ無理があったか。シゲトーが地のままで話すのを聞いて、冷や汗が出る。

「普段どおりって、さくら、いつもは、おはよ〜、って起きてるのか寝てるのかよく分かんない声で言うでしょ。」

 シゲトーも、ここまで言われてようやく気がついたのか、声の調子を変えて言った。

「あ、いや、こほん。少し眠りが浅くて、調子が悪い・・・のよ。」

「調子が悪いって、熱でもあんの?」

 茜が、ぺた、とシゲトーの額に手を当てる。

「あれ、ちょっと熱い。大丈夫? さくら。」

 いきなり茜におでこを触られたものだから、シゲトーのほっぺたがほんのり朱に染まっている。

 私は、窓越しにシゲトーへ言った。

(そんなことでいちいち恥ずかしがらないでよ。)

 シゲトーが、はっ、とこっちを向いた。どうやら聞こえたみたいだ。シゲトーが着る制服の襟元にも、信長のトゲを刺してある。その効力だ。

[恥ずかしがってなどおらん。]

 と、シゲトーが返す。

(顔赤くして、恥ずかしがってるじゃない。風邪気味とか何とか、適当にごまかして。)

「か、風邪気味で、ちょっと熱っぽいのだ・・のよ。」

 それを聞いた茜は、

「風邪気味? あらら。突き指に風邪気味って、ここんところついてないね、さくらは。」

 と、臆面もなく言うのだ。

(突き指はあんたのパスが原因でしょーが。)

[ぱす? 何のことだ?]

(昨日の話よ。バスケで茜から受け損ねたパスのせいで・・・。)

[ばすけ? 受け損ねたぱす? 分かるように話せ、さくら。]

(分かるようにって・・。あー、もう! 後で説明する。今は風邪でだるいから、とか言っといて。)

[分かった。]

「風邪で頭が痛い。今日は少し、静かに過ごさせてくれないか。」

 そこまで聞くと、さすがに茜も心配してくれたのか、少し真顔になって言った。

「頭が痛いって、薬は飲んだ? 保健室行ったら?」

「ほけ・・? ああ、いや、薬は・・・、飲んだ。ごほ、ごほ、うつすと迷惑がかかる。今日は離れていた方がいいだろう・・いいでしょう。」

「離れてた方がいいって、いつも風邪引いたときは、茜、風邪うつさせて〜、とか、しんどいー、とか言ってつきまとってくるくせに。あんまりつらいんなら、早退した方がいいよ。」

 そう言いながらも、茜はシゲトーの言ったとおり、放って置いてくれるつもりみたいだ。ひらひらと手を振って自分の席に戻って行く。

「すまん・・・、いや、ありがとう。」

 他の女子だったら、心配してくれてるのに、放って置いて、何て言ったら機嫌を損ねたり、悲しませてしまうけれど、そこは茜だ。放って置いてと言われたら、ああ、そうしてほしいんだな、と言葉通りに受け取ってくれる。それ以上、言葉の裏を読まないところが茜のいいところだった。読まなすぎて困ることも、たまにあるけれど。

 ホームルームが終わって、一時間目の日本史が始まった。日本史・・・。日本史!?

 私は急に不安になって、クロに言った。

「ねぇ、クロ。」

「なんだよ。」

「今、シゲトーが受けてる授業って、日本史なんだけどさ。」

「ああ。」

「シゲトー、江戸時代の人でしょ。まずくない?」

「まずい?」

「だって、私達にとっては過去の出来事の勉強だけれど、シゲトーにとって教科書の後半に書かれてるのは、これから起こる予定だらけだよ。」

「そうなるな。」

「そうなるなって・・! もし、シゲトーが元の時代に戻ったら、歴史が変わっちゃったりしないのかな。だって、未来の出来事を知ってることになるんだよ。」

「それを俺に訊くか? どうなるかなんて、俺だって分かんねぇよ。四百年も前の人間がこっちに来た段階で、すでに色んな法則がねじくれてんだから。この先、どうなるなんて、一猫の俺がどうして分かる。」

「そうだけど・・・。」

 それは確かにそうだ。クロが物知りだからといって、何でも知ってるわけじゃないし、理解できないことだってある。

 クロは私の鈴の中から言葉を続けた。

「まぁ、心配したって始まらねぇよ。シゲトーがこっちの世界で知り得た情報をそのまま持ち帰ったところで、ただの変人扱いされるだけかも知れないしな。お前、四百年後の未来に行って帰って来た、と真顔で言う奴のこと、本気で信じるか?」

「・・・信じない。」

「だろ? 今はとにかく、シゲトーの奴には生活に慣れてもらって、サエマという狐女を探し出すしかない。それ以上のことをあれこれ心配したって、何にもならねぇよ。」

「クロ・・・。あんた猫のくせして、ずいぶん・・・度胸があるのね。」

「見直したか? 餌のグレードアップで手を打つぜ。」

「考えとく。」

 授業が始まってしまえば、シゲトーにあれこれ指示を出す必要もない。当てられたら正直に分かりません、と言ってもらうようお願いしてある。残念ながらというか、幸いにというか、私が授業中に分かりません、を繰り返すのは、珍しい光景じゃない。

 シゲトーは背筋を伸ばし、眉間にしわを寄せながら教科書とにらめっこしたまま、授業は過ぎて行った。

 昼休み。「ロ」の字型の校舎の真ん中は中庭になっていて、生徒もそこに出られる。中庭のベンチに座ったシゲトーは、購買で買ったサンドイッチを興味深そうに触ったり、匂いを嗅いだりしていた。

「これが、ぱん、というものか。面妖な食い物だな。まんじゅうの生地みたいなものの間に、具がはさまっているのか。」

 私は、他の生徒の目に触れないよう木陰に身を潜めながら、シゲトーに言った。

「そんな珍し気にサンドイッチを眺めないでよ。注目されちゃうでしょ。」

 サンドイッチをひっくり返したり、太陽にかざしたりしているシゲトーはすでに、廊下を歩く何人かの生徒から注目を集めている。

 シゲトーは少し考えてから、ぱく、とたまごサンドにかぶりついた。

「・・・む。うまい。」

 シゲトーはたまごサンドを気に入ったのか、むしゃむしゃと食べ始めた。

「それで。」

 と、私は午前中、気になっていたことをシゲトーに訊いてみた。

「に、日本史は、どうだった・・? 教科書をすごい真剣に見つめていたけど・・。」

「こっちの文字はどうにも読みにくくてな。慣れるまでに少し時間がかかりそうだ。」

「読みにくいの?」

 クロが間に入って言った。

「字体が違うからな。さくらだって、昔の字を読もうと思ったら、結構、骨が折れるはずだぜ。」

「ああ、そうかも・・・。」

 博物館なんかで展示されている、一昔前の文献とか、達筆で書かれているのだろうけど、意味はよく分からない。読めないのだ。それと同じことなのだろう。私はシゲトーを見上げて言った。

「意味が分かんないなら、そんなに真剣に読まなくてもいいと思うよ・・。」

「そういうわけにもいくまい。お前が、学業のできない人間であると、恥をかかせたくはない。」

「い、いや、そういう意味じゃ、普段から恥をかき続けなんだけどね・・。」

 私は、ぼそ、とひとり言みたいに言った。

 シゲトーが、たまごサンドとチーズトマトハムサンドを食べ終わった頃、ゆらゆらと陽炎(かげろう)みたいにこっちへ近づいてくる人影があった。東雲だ。

「よー、カゲトシ。」

 シゲトーの姿を認めるなり、東雲はそう呼びかけてきた。私は、ささ、と木の裏側に回って、枝の上まで駆け上った。よりによって、東雲か。今、一番、私の姿をしたシゲトーに会わせたくない相手だった。なんというか、色々と見抜かれそうな気がして怖いのだ。

「カゲトシ? いや、俺は国重・・、じゃなく、さ、さくら・・・よ。」

 シゲトーは、いきなり聞き慣れない名前で呼ばれたものだから、動揺したみたいだけれど、なんとか言い繕う。

 東雲は、保健室で会ったときと同じように、へら、と嗤って言った。

「何? 一人? 今日はヒメと一緒じゃないんだ。」

 人の恥ずかしいエピソードを引っ張る奴だな。

「ヒメ・・? い、いや、一人だ・・よ。」

「ふぅん。隣、座ってもいい?」

 と、訊いてきながら、東雲はすでにシゲトーの隣へ座っている。だめだと言われようが、座るつもりだったのだ。それなら訊くなよ。

 クロが小声で言った。

「カゲトシ? ヒメ? あいつ、何のこと言ってんだ。」

「あ、ああ。うんとね・・。き、気にしないで。東雲って、ちょっと変わった子だから。」

 ちょっと変わってるのは、東雲に劣らず私もなわけだけれど、保健室一人小芝居の件はクロにばれてはいけない。絶対、馬鹿にされる。

 東雲の靴下の片方はくるぶしまでずり下がり、シャツのすそも、片側だけスカートからはみ出すという、相変わらずもったいない感じのだらしなさだ。何となく、東雲は購買でお昼を買ってそうなイメージがあったけれど、意外にもお弁当だった。可愛らしい花柄のお弁当箱を、ぱか、と開いた蓋の下をのぞけば、オール白米・・・。ザ・白飯(しろめし)という衝撃の中身だった。

 シゲトーもちょっと驚いたみたいで、東雲に言った。

「それだけなのか?」

「あげないよ。」

「いや・・・。腰兵糧(こしびょうろう)(※戦国時代の戦闘糧食。米や雑穀を腰に結びつけてた)のようだな・・。」

「コシ・・何?」

 シゲトー、また余計なことを口走った・・・。

 東雲はちょっと首をかしげたけど、すぐに思い当たったみたいだ。

「ああ、腰兵糧。ま、似たようなもんよ。いただき〜。」

 東雲は美味しそうにご飯を食べ始めるのだけれど、あれ、結構つらくないか・・。ご飯だけって・・・。

 東雲はお弁当を食べながら、シゲトーに言った。

「いつも一人なん?」

「あ・・と。」

[おい、さくら。昼は一人か?]

 シゲトーが、小声で訊いてくる。

(違うよ。いつもは茜と一緒。その子、東雲っていうの。鋭い子だから、適当な理由つけて離れた方がいいわ。)

「いつもは、あ、茜と一緒・・・。」

「ふぅん・・。で、何で今日は一人? 喧嘩でもした?」

「そういうわけでは・・。ちょ、ちょっと、風邪気味で、ごほ、ごほ。あんまり近くにいるとうつるから、もう行く・・・ね。」

 そう言って、立ち上がろうとするシゲトーのスカートの端を、しかし、東雲は、箸を持ったままの手で、さっ、とつかんだ。

「そう急がなくていいじゃん。風邪? たいして咳もしてないみたいだし、うつんないよ。それとも、私から遠ざかりたい理由でもある?」

 そう言われると、シゲトーも立ち上がれなくなる。

 東雲はシゲトーを引き止めたはいいけれど、後は黙々とご飯を食べ続けて、会話をするでもなく黙ってしまった。東雲、いったい何がしたいんだろう。

 私はクロに囁いた。

「東雲、どうして私を引き止めたんだろ。まさか、私の中身がシゲトーと入れ替わってること、ばれたかな・・・?」

「んー。ばれたというより、一人で飯食うのが嫌だから、隣に座らせてるだけじゃねーの?」

「あ・・、そっちの理由?」

 東雲は時々箸を止めて、ぼんやり空を眺めたかと思うと、また食べ始める、というのを三回繰り返して、食べ終わると一息ついた。

「ふぃー、ごちそうさん、と。」

 お弁当の蓋を、かぽ、と閉めると、東雲は地面を見つめたまま黙っているシゲトーの横顔を見つめた。

 シゲトーは何か物思いにふけってるみたいで、遠い目をしている。自分の姿を鏡や写真以外で見る機会なんてほとんどないから、こうして見る「私」の姿に、私はひどく違和感を覚えた。まるで、自分の肉体じゃないみたいな、元から、私として存在していなかったんじゃないか、という奇妙な感覚だった。

 しばらくシゲトーを見つめていた東雲は、おもむろに言った。

「・・・あんたさ、桜野原、だよね?」

「え? もちろん、そうだ・・よ。桜野原さくらだよ。何を突然・・・。」

「んー。だって、昨日会った時と全然雰囲気が違うんだもん。落ち着いてるっていうか、腹をくくってるっていうか。なんつーか、生きる覚悟みたいなものを感じるのよ。」

「生きる覚悟を・・? 覚悟もなく、生きられるものなのか?」

「生きられるんじゃないの、別に。ただ生まれて、ただ毎日ご飯食べて、ただ生きんのよ。そこに覚悟なんて必要ないじゃん。」

「しかし、それでは骨のないまま立ち歩くようなものではないか。それでいったい、何を成し遂げられるというのだ。」

「何も。」

「何も・・・? もし、それがおぬ・・・、君の生きる道だというなら、寂しくはないか。何も成し遂げないまま終わるなど。せめて、何かを達しようと努めるだけで、ものはずいぶん違って見えるのではないか。」

「達したいと思う目標なんてないし、努力するのはだるいし、こうしてただ学校に来るだけの日々に意味なんて見出せないけどね。()かれたレールに乗せられて、進め、進め、と言われたってさ、その先に何があるのか本人が見えてないんだもん。進む気も失せるわ。」

「・・・・・。」

「でも、最近、ちょっと面白いこと見つけたのよ。いや、もう少しで見つけられそう、か。」

「面白いこと?」

「常識、ってやつから逸脱してるっつーか。例えるなら、割れたグラスの中の水が、一滴もこぼれないってゆーか。ありえない系の面白いこと。」

 東雲はいったい何の話をしているんだろうか。面白いこと・・・?

 東雲は、ぐい、と顔をシゲトーに近づけて続けた。あんまり顔が近いものだから、シゲトーは、少し身を引いた。

「何があったのか知んないけど、一日で別人みたいに雰囲気が違っちゃった、桜野原みたいに面白いことよ。」

「別人・・・、ではない。」

「ははっ。もちろん別人じゃないでしょーよ。別人みたいに見える、って言ってんの。あんたも大概、面白いよね。いいよ。いい。さすが、カゲヨシとヒメだ。」

 カゲ「トシ」だ。いつまでそのネタを引っ張るつもりだ。

 東雲は、大きく伸びをした後、喉の奥まで見えるようなあくびをしてから立ち上がった。

「・・くぁ。はぁー、さてと、保健室行ってこよ。あんたも来る?」

「いや、俺・・・、私は遠慮しておく。」

「ん。じゃあ、またね、カ、ゲ、ト、シ。」

 東雲は、ゆらり、と蜃気楼(しんきろう)みたいに歩いて、中庭を出て行ってしまった。

 私は東雲の姿が見えなくなったことを確かめてから、シゲトーの隣へ飛び降りる。

「あ、危ねー。ばれたのかと思った。」

「うむ。奇妙な女子(おなご)だな。」

「うん・・・。」

 中庭を去る東雲の後ろ姿が、何だか寂しそうに見えたのは気のせいだっただろうか。

「面白いことって、何だろうね。」

 私がつぶやいたのに、クロが答えた。

「さぁ? しかし、東雲って娘の雰囲気からすると、ろくなことじゃあねぇような気もするけどな。」

「そうだね・・・。」

 私には東雲が、その「面白いこと」へ必死になってすがっているような、普段の生活から抜け出すための足がかりにしようとしている、そんな風に思えてならなかった。

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