スウ・クツク遺跡群発掘記 一八六四年五月十五日
昨日は失神の為日誌をつける事能はず。長老の儀式に附いては記憶に残る限りを此処に記す。昨日の夜明け前、私は中々寝付けぬまゝ鳥の声を聞いた。学生達に遺跡の伐採を再開するやう指示を出し、私は一人長老の下を訪れた筈だ。
其の先の記憶は些か曖昧で在る。長老は私を川縁に連れ出し何度も泥水を頭から掛け、大きな焚火の前に座らせた。差し出された白い汁を少しばかり口に含んだ途端全身に耐え難い激痛が広がり、呼吸も儘ならず前後不覚に陥つたのだつた。遠くでは長老が叫び、草を刈るやうな音がしてゐたが、昼目覚めた時背中が赤剥けてゐた事を加味すると、私が鞭打たれてゐたに違ひ無い。然る後私は完全な暗闇に包まれ、そして声を聞いた。船を探せ、素焼きの小舟を。長老の昔話を遮った、黒い影の声だつた。
後々仲間に自慢し得る貴重な体験では在つたが、効果の程は甚だ疑がはしい。処か、失神してゐる間に聞いた声が耳から離れず、此れこそ悪霊の仕業だと云ふ気がして成らない。劇薬を服用し鞭打たれた挙句一昼夜生死の狭間を彷徨つた成果が此れではまるで道化で在る。
気を取り直し、本日は本殿の調査を行つた。昨日私がうなされてゐる間に村民達が伐採を進めて呉れた為、新たに壁面の浮彫が露出したのだ。学生達から手分けして南側及び西側の壁面を調査した處東側と同様ナアガの彫像が見付かつた旨を聞き、私は全体の意匠が統一されてゐる物と判断した。又彼らは私を南側の壁面に案内して呉れた。東側の壁面とは異なり南側には階段や扉の類が無く、初日発見した物と同じ乳海撹拌を描いた浮彫が一面に施されてゐる。其の他にも壁面には神々の戦争や堤防の造営等を描いた浮彫が並び、此の遺跡が多大なる歴史的価値を持つ事は最早疑ひの余地が無い。
エドモンとミシエルから西側壁面の浮彫が何者かによつて削り取られてゐたとの報せを受けた際には、其れだけに只々無念でならなかつた。駆け付け確かめた處、巨大な浮彫の蛇は所々で断絶し壁面には虫が這つたかのやうな醜い傷跡が残されてゐる。身を捩り口を大きく開いた蛇は、文字通り断末魔の叫びを上げてゐるので在らうか。
浮彫は一体何故削り取られて仕舞つたのか、そして、其処には一体何が描かれてゐたのか。脳裏を過るは、祭りで演じられた二匹の竜。傷跡の残る場所に同じ形をした竜の姿が有つたとすれば、黒い竜に噛み付く白い竜が描かれてゐたとすれば、間違つてゐるのは村の伝承やも知れぬ。其の正体を解明する為の鍵は、我々が発掘した資料の中に有るのではなからうか。