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水蛇の塔  作者: 筬群万旗
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スウ・クツク遺跡群発掘記 一八六四年五月十二日

 九日目。河岸を中心に地質調査を行つた。現在柬埔寨に於いて毎年洪水が発生する事は周知の事実で在り、遺跡の上に土砂が堆積し貯水池が埋没してゐた事からもメコン川が過去、頻繁に氾濫してゐた事は推察に難くない。寺院の放棄されたと思しき八世紀から九世紀の間、河川の氾濫が激化したか否か。其れが我々の疑問で在る。我々は一日掛けて九箇所を六米余り穿孔し、全ての場所に於いて赤色土の間に分布する複数の沖積土層を確認した。内四箇所其で最も深い沖積土層から木材や陶片が出土し、過去一帯に広範な集落が存在してゐた物と推察される。又地域社会が衰退した直接の原因と断定する事は出来ないが、此れだけの土壌を運搬した氾濫は想像を絶する物で在つたに違ひ無い。

 もう一つの収穫は、巨大な鱗で在る。此の地域では棒を囮に使ひ全長数米にも及ぶイリエワニを捕獲する伝統漁法が有名で或るが、沖積土層より発見された菱形の鱗は現在メコン川下流域に生息してゐるイリエワニの其れを遥かに上回る大きさを持ち、嘗てメコン川の流域に巨大な爬虫類が生息してゐた可能性を示唆してゐる。千年前迄生息してゐたので在れば生きた個体が現存するやも知れぬ、と学生達共々大いに興奮した。其の時は話題には上らなかつたが、此の鱗の持ち主こそが伝承に登場する竜蛇やも知れぬ。此の日は水神信仰の実像が徐々に顕かに成りつゝ在ると云ふ実感を得る事が出来た。

 帰途、漁に勤しむ村民から大振りな鯉を頂戴する。竹細工の罠を壊す厄介者だと云ふ事だが其の味は中々の物で、何より久方振りの肉食に一同舌鼓を打つた。夕食後、私は資料置き場を訪れた。先日出土した首飾りの鱗と河岸で出土した物に関連性が有るやうに思はれたのだ。十日付の木箱を取り出し両者を比較した處、腐食の度合いが異なるものゝ形や大きさに大差なく、ほゞ同じ物と見て間違ひ無い。私の疑問は直ぐに解決したが、今宵も又招かれざる客が現れた。其の様子を見るに未だバギラと云ふ少年は見附からぬやうで、私は一度詳しく話を聞く必要を感じた。

 初めて食事を供した際に盆を手落とし大いに笑われた事、其の後も何かに附けて我儘を言い、雑務を押し付けた事、ラアヤに意地悪する事を無上の慶びとしてゐた事。取り留めも無い話が続いたが、耳を傾ける内に彼女が単純なバギラの友達ではなく寧ろ侍女とでも呼ぶ可き者で在る事が分かつてきた。其れはもう、私を召し抱えたのは揶ひ易いからに決まつてゐます、とラアヤの言。

 併し乍ら、暫くして二人の間には転機が訪れたのだと云ふ。バギラは暴君として振舞ひ続けたが、或る日ラアヤが熱病を患い其れは酷く狼狽したのださうだ。怖かつたんだと思ひます、とラアヤは当時を振り返る。御前がゐなくなつたらば俺は誰を揶えば良い、俺を一人にするな。バギラは伏せるラアヤに縋つた。彼は此れ迄の扱いが嘘で在つたかのやうに献身的な看病を続け、遂には自らの血をラアヤに与へたのだと、ラアヤは愛おしげに語つた。暫し未開人の社会に見られるやうに、貴人の血が神通力を持つと考えられてゐたのだらうか。其の効能の程は計り知れぬものゝ、看病の甲斐有りラアヤが回復してからはバギラも幾分鷹揚に成り、時に彼女を遠くへ連れて行き、彼女が花を気に入れば祠の前に持ち帰つた花を植え、身の上話を聞かせる事も有つたさうだ。斯くしてラアヤが一頻り話し終わり、私は資料を片付け彼女を送ろうと腰を上げたが、又も彼女は既に天幕を後にしてゐたので在つた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 十部まで拝読しました。 あまり見慣れない漢字や言い回しがあるにも関わらず、読みやすい。 とつとつとした報告書として素直に疑いなく受け入れられるのは筆力が確かなんだなと感じます。 [一言] …
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