「スウ・クツク遺跡群発掘記」発表にあたつて
転載を許可してくださった翻訳者の遺族の方々、並びに極光大学出版の筬群麻旗編集長には重ね重ね御礼申し上げます。
この度は、ルブランシュ大学「考古学年報」の紙面をお借りして祖父の遺稿を発表させて頂けることゝ為り、私共遺族一同、望外の喜びと感謝の念を感じて居ります。特に、発表を提案し掲載に向けご尽力下さつたエドモン・クリストフ教授には、如何程にお礼を申上げても足りませぬ。
祖父は遥々インドシナまで幾度となく旅立ち密林をかき分け考古学の発展に寄与した人物であり、文化人類学者としても高い評価を受けて居りましたが、殆ど家に帰らず家族には多少恨まれてゐたやうです。祖母の死後は同居するも、祖父は父との折合ひを付ける事が出来なかつたのでせう、友人の下へ避難するか(祖父自身は至つて社交的な人物で在りました)、或は私の子守に託け父達の追及の目を逃れて居りました。祖父のして呉れる異国の物語に、幼い私は胸躍らせた物です。棒を使つて魚を捕る村の話、危険な成人の儀式の話、中でも祖父が良く話して呉れたのは、川を遡る二匹の竜の話で在りました。
其の祖父も寄せる年波には勝てず、一昨年自室で静かに息を引き取りました。盛大な葬儀の後、私達が手を焼いたのは祖父の遺品で在りました。何処ぞの族長から譲り受けた武器やら、使い道の知れぬ道具やら、値打ちの知れぬ民芸品やら。物置に山と詰め込まれた我楽多の内、此れは高く売れるかも知れぬ、此れは捨てると呪われるかも知れぬと少しも片付けられぬまゝに私達が掘り返して居りますと、日焼けした一冊の日誌が出て参りました。
其れは尋常な日誌ではなく、幽霊やら精霊やらの跋扈する呪い染みた物で在りました。家族は年老いた祖父の妄言と此れを暖炉にくべやうとしましたが、私は密かに日誌を非業の死から救ひ出し、祖父の弟子に当たり私も在学中お世話に為つたクリストフ教授の下に持ち込む事に致しました。と云ふのも、其れは紛れもなく、物忘れが非道く為る前祖父が私に語つて聞かせた二匹の竜の物語で在つたからなのです。