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グルメン:巡る夏編

作者: 荒野耕平

日本の都市部では、夜になると姿をあらわす者たちがいる。

彼らは他人のあぶく銭にすがり、強要して、自らの糧にする。

死肉をあさるハイエナたち。

そして私もそんなハイエナたちの1人だ。

もっとも、毎晩のように街に繰り出す彼らとは趣が異なる。

私は、グルメなのだ。



多くの人間が腰を落ちつけたがる日本では、私のような渡り鳥はあまり好感を持ってもらえない。もちろん、他人の好感を得るために生きているのではないが、ただ何かと不便なのだ。なるべくなら、誰だって歩道の上を歩いていたいものだろう。

私たちの基本は腰をすえることにある。ある一定の範囲内でじっくり獲物を観察する方が効率的だ。都会の奴らは効率重視だから、人の多いところにじっと構えている。それはそれで私は否定しない。生きていくには事欠かないだろうから、むしろ本当は私もそうすべきなのかもしれない。

大都会の夏はつらい。不快の一言である。1日中暑くてたまったものではない。夜も昼も関係ない。私はほとんど動かない。それでも夜になると聞こえてくる、ハイエナたちの鼻息。彼らは良い意味で精力的であり、悪く言えば惰性で生きているにすぎない。

東京の相場は年間を通して他の地域よりは高いが、冬場が最も高くなり夏場は最も低くなる。夏場は本当に酷い。腐肉が歩いているようなものだ。私には到底食えない代物たちの巣窟。

それでは何故私がここにとどまっているのか。

それは、私が、格別に、グルメだからだ。



8が9になって10に1歩近づいたところで、あとのもう1歩が耐えがたい絶望になって全身をつつみこむ9月の初め。私は横浜にいた。

いくつか理由はあったが、なによりもカレーが食べたい一心で横濱カレーミュージアムを訪れることにした。冬にアイス、夏に激辛カレーは鉄板だ。しかしカレーというものは、お母さんが作った、具がゴロゴロしている、もっさりしたカレーに勝るものはない、と常々思う。もちろん味うんぬんの話ではない。日本一ありふれた夕食がカレーだったとしても、家庭の数だけ味があり、お母さん――あるいはお父さん、お祖母ちゃん――の数だけ味があるけれど、脳髄を奮い立たせる味は1人1味なのだと思う。私の場合は、ゴロゴロもっさりカレーだったというだけのことだ。

それにしてもカレーミュージアムが見当たらない。4年前に来て以来だから場所もあいまいだった。近くのコンビニによって店員に道を尋ねるのが手っ取り早いと、店内に入った。

「え?そんなのとっくの昔に閉館しちまったよ」

「あたしは好きだったんだけどねぇ……」

「ラーメン博物館ならまだやってますよ」

安いスパイスが鼻につくコンビニのカレーは、その日もスパイスが効いていた。



「さくらぎちょうに~きみはもうこない~」

駅前の歩道橋で煙草をくわえて立ち尽くす。手すりの下はまだまだ(せわ)しない。

――これからどうしよう……

別に人生の終わりというわけでもないのに、どうして人間は、特に男の(さが)というものは、些細なことでこんなにも落ち込むのだろう。

私は勉強が苦手だった。正確には、今も、なのだが、それでも中学まではろくすっぽ勉強もせずに常にトップの成績を収めていた。神童と呼ばれた。しかし調子に乗って有名な進学校にいくと状況は一変。勉強しなければしない分だけ、私は取り残された。なんの意地かは知る由もないが、勉強だけはしなかった。だから成績は常に最下位付近をふらふらしていた。そしてこれもなんの意地か知らないが、最下位にだけはなりたくなかった。しかしあるテストで私は最下位を取ってしまったのである。まさにこの世の終わりだった。

胸の中にあったモヤモヤを吐き出し、煙草を弾いて歩き出そうとすると後ろから声が聞こえた。

「あーおじさん、いけないんだよー」

「タバコをね、その辺にポイすると捕まっちゃうんだよー」

今日は厄日かもしれないと天を仰ぎながら振り向いた。少女が2人ニコニコしながら立っていた。

「…あぁ、悪かったな」

日焼けした方の少女からクシャクシャの煙草を取り上げて私は反転した。

「え、なに、おじさんちょー感じ悪ーい」

「せっかく良いことしたのにねー」

「…あ・り・が・と」

奥歯を噛み締めながら言った。少女たちはキャッキャッと笑った。

「素直でよろしい!おじさ――」

「それと俺はおじさんじゃねぇ!」

ため息1つついて、胸ポケットからまた煙草を取り出した。こういうのを大人げないというのだろうか。いや、自分自身まだ大人になったとも思っていないのだから別に構うことはないか。

横から白い少女が私の顔をのぞく。

「タバコは健康にわるいんだよー?」

「早死にしちゃうんだよー?」

いい歳をした男が少女2人に絡まれながら煙草を吸っている。

「長生きするために生きたくないんでね」

「うーん、よくわかんなーい」

「わかんなーい、あははッ!」

――俺にはお前らがさっぱりわかんねぇよ

「俺になにか用でもあるのか」

「んーまぁそんなとこー」

「たいしたことじゃないんだけどねぇー」

長い息を一拍。

「おじさん、女の子欲しくない?」

手すりの下はまだまだ忙しい。1台の長距離トラックを見送りながら、残りの煙草を一気に吸い込み、少女らの顔に吹きかけた。

「言っとくが俺は、グルメだぜ」



仏頂面の黒い少女が悪態をつきながら1枚の紙をよこした。ホテルの名前と部屋番号と、さらには携帯の番号も書いてあった。おそらくプリペイドだろう。指定の場所に移動したら携帯の番号に電話してくれと言い残して、少女らは足早に消えていった。

不安には思わなかった。彼女たちは白か黒でいえば間違いなく黒だ。いや、白も黒もいたけどそういうことではない。まだあどけない瞳の中に、決定的な怯えがあった。

指定された場所についた私は紙きれの番号に電話した。3回目の呼び出しをさえぎって、女性の声がした。

「到着しましたか?」

落ち着きと無機質の中間で音が響いた。

「まぁ、問題なく」

ひどい返答だ。

「今から行きますので、先にシャワーを浴びて待っていてください」

「あ…」

ぷつりと一方的に電話は切れた。確かに電話口で話すことは何もなかった。

冷たいシャワーで汗を流す。今日はかなり歩いた。噴きだしては乾きながらべっとりと体中を(おお)う不快感を、爽やかに落とす。

昼のガラムマサラがまだ口の中で香っていた。

――これだからコンビニのカレーは嫌いなんだ……

歯を磨くのは苦手だ。一度始めると止まらなくなる。いつまでも汚れが気になって、それでよく学校や会社に遅刻した。そんな言い訳は社会には通用しない。どうやらこの世界はとことん私と相容れないようにできているようだ。

ふかふかとは程遠いベッドに倒れこむ。体が弾けて無重力を体験してから、ようやく一息つく。この感覚が好きだったりする。

今日はかなり歩いたし疲れた。気付いたら足がパンパンにむくんでいる。蒸し暑いサウナで歩いていれば、誰だって倒れたくもなる。ベッドが1段階沈み込み、私の意識はさらに深く沈んでいった。


珍しく静かな夕食だった。食器とスプーンがこすれる音しかしなかった。

山盛りのカレーライス――もちろんお母さん特製のゴロゴロもっさりカレー――をいつものようにあっという間にたいらげておかわりした。

「お母さん、おかわり!ジャガイモ多めね!」

「ニンジンも、でしょ」

そういってお母さんはジャガイモと同じ数のニンジンを盛る。

「ちぇー」

丸テーブルを囲むお父さんや祖父母、兄と姉、みんなが笑う瞬間だった。

しかしその日は誰もいなかった。みんな病院にいっていた。

「1人でお留守番するもん!」

と言い張った私は、ただカレーが食べたかっただけなのだ。

ゴロゴロのジャガイモを4つも盛って、ふたをしめようとした。

「ニンジンも、でしょ」

ふとお母さんの声が聞こえたような気がした。

「ちぇーわかったよぉー」

と言いながらもニンジンを3つだけ盛った。今日くらいは誤魔化してもいいだろうと思ったのだ。ほんの出来心だったのだ。

変わり果てたお母さんの姿を見たとき、私は激しく自分を責めた。

――自分がニンジンを食べなかったからだ……

私はそれ以来、1度たりとも何かを避けたり残したりしたことはない。

むしろ私は、グルメになった。


コンコン。

もう少し目を閉じていたかった。悠久の時はるか彼方にもう少しだけひたっていたかった。

コンコンコン。

ゆっくりと目をあけて時計を見る。わずか10分の邂逅(かいこう)だった。

「はーい、あいてますよー」

あくびまじりの間抜けな声だった。あとでこのことを思い出した時に驚いたのだが、あの部屋には鍵が付いていなかった。信じられるだろうか。しかしその時は――どうかしていたとしか考えられない――そのことについて議論することも、ましてや疑問に思うことすらなかった。

ガチャ。

誰かが入ってきた。誰かはわかってたが、私の知らない誰かだった。

ベッドに寝転んだまま誰かを見つめた。寝ぼけまなこはフォーカスが定まらない。その焦点の収縮する最中に、私は母の面影を見た。いや、見たような気がした。目の前の女性はまだまだ少女で、歩道橋の彼女たちと幾分も変わらないだろうことは、すぐにわかった。

しかしそんな10代の少女に40歳の母が重なったような気がしたのだ。特に老けているというわけでもなく、顔立ちが似ているというわけでもない。少しだけ嫌な感覚だった。

「私はアイ。そう呼ばれることになっています」

「あぁ、俺は――」

「言わないでください。聞かないことに、していますから」

――…ふむ。

「アイ、は愛するのアイかい?」

「わかりません。本名ではないので」

「なるほど。そこに愛はないわけだね」

「……」

不思議そうな、それと少しの苛立ちを加えた、ありていに言えば、なんだこいつ、というような顔で見つめながら

「あなた、変です」

実に気持ちよく私を評してくれた。

「そう、私はグルメなんだ」

「へぇー。私は美味しそうですか?」

私はしばらくポカンとしながらアイと呼ばれている少女を見つめた。

「俺たち、気が合いそうだな」

そういって2人で笑った。

それから色々な話をした。横濱カレーミュージアムの話は彼女を過呼吸にしたし、全国各地の話は彼女の顔に様々な色をもたらした。

頭の良い子だった。私は他人を判断するときに会話のテンポを重視するのだが、アイはこれまで会ったどの女性より頭の良い娘だった。打てば響くし、打つのもうまい。

「美味いよ、君は」

「おじさんも、美味しいよ」

「俺はおじさんじゃねぇ!」

笑い。

やれやれと煙草を取り出して一服つく。

「おじさんはさぁ……」

「だからおじ――」

少女の背中が少しだけ震えていた。

「おじさんは、どうして私を抱かないの」

「……煙草はうまいぞ」

「ねぇ、どうして?抱く気、ないの?」

「煙草はうまいけどな、危険なんだ」

「そんなこと聞いてないよ、おじさんのバカ!」

少女の嗚咽が聞こえる。

「煙草はなぁ、人間の寿命を縮めるんだ。麻薬みたいなもんでな、一旦ハマると抜け出せねぇんだ。もちろん、麻薬の方がはるかにやばい。わかるよな?」

「…バカ」

――やれやれ……

「誰だって言うんだ。いつでも止められる、ってな」

「……」

「でもな、そうやって後に後に延ばしてると、気付いたころにはもう手遅れなんだよ」

「……」

肺いっぱいに煙を充満させてから、ゆっくりと少しずつ、200種類ともいわれる致死性有害化学物質を気管にすりこみながら吐き出す。

「愛は、そんなに軽いもんじゃねぇ」


しばらくしてから少女は立ち上がりバスルームに入っていった。

3本目の煙草を吸い終わる頃に少女は裸で出てきた。

あやうく煙草をベッドに落としそうになるくらいに見惚れた。胸は少し小ぶりだが、理想的な流線形を描いたその裸体は、女性の美しさを無言で神格化していた。

そんな私の顔があまりに馬鹿みたいだったのだろう。

「おじさん、鼻の下、伸びてるよ。」

「うるせぇ」

急に恥ずかしくなってベッドに倒れこんだ。

「お前、俺の言った意味、わかってる?」

「愛に年の差なんて関係ないでしょ?」

「うるせぇ」

少女に背中を向ける、おじさん。

「…ねぇ、おじさん」

「断る」

「何が?」

「どうせ私を抱いて、とか言おうとしてたんだろ」

「おじさんて本当に変態だね」

「うるせぇ」

「私が言いたかったのはそんなことじゃないよ」

「……」

「ありがと、ね」

そういって少女は私の背中にキスをした。

「よし!やーめた!」

少女は大声で叫んだ。

「私、これから警察にいってくる。そんでさ、全部話してくる」

「…いいのか」

「もうおじさんはどっちなの?変な人!」

「いや、適当なこと言ってただけだからね」

「あーもうこうしよう。私はいますぐアイをやめます。そしておじさんはタバコをやめます。はい、一件落着!」

「ちょっと待て。俺の煙草に罪はない」

「お願い」

急に声が緊張した。女っていうのは芸が細かい。

「お願い。ずっととは言わない。ただ私と出会った今日という日だけでいい。約束してくれませんか」

私に彼女を抱きしめる権利はなかった。私ではダメなのだ。彼女は光の中を生きていくべきだ。私は両手を握りしめた。

「しょうがねぇな。今日だけだぞ」

「毎年」

パーっと広がった晴れやかな笑顔がこの少女の本当の姿なのかもしれない。

「そんなん禁煙っていわねぇけどな」

2人で笑った。





今年は例年にない猛暑になるということで、私は避暑地を求めて山形にいた。東北も夏は暑い。しかし涼しげな清流や森林がいたる所にあり、私は何度来ても飽きることがない。

ひっぱりうどん、という食べ物が山形にはある。ゆであがったうどんを鍋からすくい上げて、そのまま納豆やサバ缶、ネギ、かつお節、ゴマ、生卵など個人の好みにあわせて作ったタレに絡めて食べる料理である。

店舗ではほとんどお目にかかれない、まさに郷土料理なのだが、私はこれが大好きで山形に行ったときは必ず食べるようにしている。

遠い親戚が山形にいるおかげでこの料理を頂くことが出来たが、もし食べたことがない方がいたらぜひ召し上がってもらいたい。

もちろん、私はこれを食べに来たのだった。

親戚の家に着くと、すでに準備が出来ていた。

――なんと良い人たちだろう……

さすがに私が来るとしっていれば、もはや目当ては明らかなのだが。

挨拶も早々にうどんを食べ始める。

やはり美味い。


食後、親父さんやお爺さんが一服し始めた。少しすると親父さんがいぶかしみながら

「なんだい、おめぇ吸わねのが」

と灰皿をよこした。

「すいません。私、禁煙中なもので」

「すんずらんねぇな、おめぇが禁煙だあて。なに、いづがらしてんの?」

「いや、今日だけなんですけどね」

「そんな馬鹿な話があっかい、なぁおっかぁ」

奥さんも笑う。

「いやぁ、約束、ですから」


夏は巡る。






いつだかに適当に書いた話です。

ニュースで見た「女子高生が同級生に売春を強要」という事実に何らかの刺激を受けて書いたのを覚えています。


僕にはあまりに遠い世界の出来事のように思えたけれど、でも同じ国で当時は比較的年齢も近かった人たちが行った事件。


なぜ事件が発覚したのか

誰かの助力があったのではないか

少なくとも僕の知る世界はもう少し救われるはずだと信じたい


そんなモチベーションだったと思います。

フィクションです。

でも現実だって僕にしてみれば充分に虚構の様相を感じます。


ではでは、駄文でした。

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