第9話 折れない剣
戦況を知らせる伝令が工房に飛び込んできたのは、朝の鍛冶仕事の最中だった。
「グランツ要塞にて魔獣の大規模侵攻。敵が魔力妨害を展開。騎士団の魔力武具が使用不能に。非常事態」
金槌を持つ手が止まった。
魔力妨害。ガルドと話したあの夜の言葉が蘇る。「魔力武具には弱点がある。魔力が妨害されたら使えなくなる」。
予測していた。でも、こんなに早く現実になるとは思わなかった。
「……ルーカスさんは」
伝令が答える前に、ガルドが口を開いた。
「嬢ちゃん。お前さんが納品した武具、あれを装備してる部隊はどこだ」
「ルーカスさんの中隊と、第三中隊の一部です」
ガルドが頷いた。
「なら、そいつらだけは戦えるはずだ」
魔力に頼らない武具。私が打った剣、短剣、槍の穂先。魔力妨害の影響を受けない。鉄と、炭素と、焼き入れの技術だけで作った武具。
――あの武具たちが、今、戦場にいる。
胃の奥が締め付けられた。鉄を叩く時とは違う種類の緊張。自分の手で作ったものが、今この瞬間、誰かの命を守っている。あるいは、守れていないかもしれない。
「リーネさん、顔色が……」
エルマの声が遠い。
◇◇◇
続報は、夕方に届いた。
「鉄槌亭製の武具を装備した部隊が戦闘を維持。魔力武具を装備した他部隊は武装解除状態。グランツ要塞の防衛線は、鉄槌亭製武具の部隊が中核となり持ちこたえている」
報告書の羊皮紙を持つ手が震えた。――この紙、保存性が低い。湿気で滲むタイプだ。
今そんなことを考えている自分に呆れる。けれど、こういう場違いな観察が、私の心を繋ぎとめている。崩れそうになる不安を、具体物への注意力で押さえている。前世でもそうだった。
「嬢ちゃん」
ガルドの声。
「あいつらは帰ってくるさ。お前さんの剣は折れねえ」
その言葉を信じたかった。信じていいのかわからなかった。
◇◇◇
三日後。
三日間、私は工房で武具を打ち続けた。待つことしかできない時間を、鉄を叩くことで埋めた。意味のある作業もあれば、ただ端材を叩いているだけの時もあった。あの夜と同じだ。営業停止命令が来た夜と。止まったら、考えてしまう。考えたら。
二日目の夜、エルマが聞いてきた。「リーネさん、あの中隊長殿の部隊は大丈夫なんですか」。答えられなかった。わからない。わからないということが、こんなに苦しいとは知らなかった。前世では「わからない」は日常だった。品質検査の結果が出るまで待つのも、受注が取れるか不明な日も。でもあの頃の「わからない」には、人の命がかかっていなかった。
ガルドが黙って炉の火を維持してくれていた。「鉄は待ってくれるからな」と、一度だけ言った。
戦闘は終結した。魔獣の撃退に成功。グランツ要塞は持ちこたえた。
鉄槌亭製の武具を装備した部隊の被害は最小限。一方、魔力武具に依存していた部隊は武装解除状態での戦闘を強いられ、負傷者が多数出た。
アルヴィンが推進していた「魔力依存武具の全面採用」方針が、根本から疑問視されることになった。侯爵家の武具納入契約は、見直しが確定。
◇◇◇
ルーカスが工房に来たのは、帰還の翌日だった。
戸口に立つ姿を見た瞬間、足の力が抜けそうになった。紺色の外套は砂埃で汚れている。頬に浅い傷。でも、立っている。生きている。
「……ただいま」
その一言が、胸の真ん中に落ちて、じわりと広がった。ただいま。この工房に対して「ただいま」と言った。
――この工房に? それとも。
考えるな。今はそれでいい。
「……おかえりなさい」
声は、思ったより掠れていた。
ルーカスが作業台に近づいた。腰の剣を抜く。私が打った片手剣。刃こぼれはあるが、折れていない。
「折れなかった」
当然だ。正しい温度で、正しい角度で、正しい力で叩いた鉄は、折れない。
でも、その「当然」を口に出そうとして、喉が詰まった。当然なんかじゃない。戦場で何が起きるかなんて、私には想像もつかない。折れなかったのは、技術だけじゃなく、運もある。この人が無事に帰ってきたことも。
「よかった」
その一言が、今の私の限界だった。もっと言いたいことがある。たくさんある。でも、言葉にならない。
ルーカスが、私の目を見た。灰色の目。いつもの無表情。でも、その奥に何かが揺れている。
「リーネ」
名前で呼ばれた。初めて。ロズワール嬢でも、嬢ちゃんでもなく。
「折れない剣を、ずっと打ってほしい」
胸の真ん中あたりで、何かがぎゅっと縮んだ。温かいのか冷たいのかわからない。ただ、そこに確かに何かがある。
「……それは、仕事の依頼ですか」
聞き返した。声が上ずっていないか心配だった。
ルーカスの耳が赤くなった。今度こそ、炉の熱のせいではない。
「……どちらでも、いい」
不器用だ。この人は本当に不器用だ。剣を振る時はあんなに無駄がないのに、言葉になると途端にもたつく。
「……名前で、呼んでいいか」
「もう呼んでますよ」
「……ああ」
ルーカスが視線を逸らした。外套の裾を掴んでいる。
私は答えなかった。答える代わりに、ルーカスの剣を受け取って、刃こぼれを確認した。研ぎ直せばまだ使える。柄の革も交換が要る。
「預かります。明日までに直します」
「……ああ」
それが、私の返事だった。仕事の言葉で、返した。この人には、それが一番伝わると思ったから。
折れない剣を、ずっと打つ。「ずっと」という言葉の重さが、じわじわと染みてくる。
仕事の依頼でもいい。仕事の依頼から始まって、それが少しずつ別のものに変わっていくのなら。この人との関係は、最初からそうだった。折れた剣を持ち込んできた日から。仕事を通じて、少しずつ。
ルーカスが帰る時、工房の入口で一度だけ振り返った。何か言おうとして、やめた。それから「……剣、頼んだ」とだけ言って去った。
ルーカスの背中が見えなくなるまで、私は戸口に立っていた。夕暮れの風が、鍛冶場の煤の匂いを運んでいく。
エルマが工房の奥から出てきた。
「リーネさん。あれ、告白ですよね」
「……仕事の依頼かもしれない」
「嘘です。あの人、耳真っ赤でしたよ」
答えなかった。代わりに、預かった剣を砥石に当てた。しゃり、と鉄が鳴った。
手が、まだ震えている。嬉しいのか怖いのか、自分でもわからない。第一話の時と同じだ。手の震えの区別がつかない。
でも今回は、震えの理由に心当たりがある。
鉄を叩く震えとは、全然違う種類の。




