第6話 この剣に魔力は要らない
検証の朝、私は三回、工房の戸口で立ち止まった。
一回目は深呼吸のため。二回目は前掛けの紐を結び直すため。三回目は――なんだろう。足が勝手に止まった。前世で、品質監査の日に工場の入口で同じことをした記憶がある。結果がどう転んでも、手は正しいことをした。それだけは確かだ。
ルーカスが動いてくれた。
近衛騎士としての正式な立場で、魔導院の魔力検知官の派遣を上申した。「王家の儀礼剣を修復した職人に対する虚偽通報の疑いがあり、公正な検証を求める」という名目。近衛騎士団の中隊長が公式に動いた以上、魔導院も無視はできない。
道すがら、私はまた右に曲がるべき角を左に曲がりかけた。ルーカスが無言で私の肩に手を置いて、正しい方向に体を向けた。その手が、一瞬だけ温かかった。
――今は、道に迷っている場合じゃないのに。
検証場に着くと、検知官が魔力検知の水晶球を取り出した。青白い光を帯びた球体。魔力があるものに近づけると光が強まるらしい。
検証の場所は、王都中央広場の一角。魔導院の検知官が二名、立会人として近衛騎士団から三名、それから――聞きつけた騎士たちが、広場の周囲にちらほら集まっていた。
「鉄槌亭の職人だろ。魔力なしで剣を作るっていう」
「嘘だろ、そんなの」
「でも中隊長殿が動いたんだぞ」
ひそひそ声が風に混じる。私の耳には入っていたが、気にしている余裕はなかった。
「では、まず工房で製造された武具を」
作業台に並べた。試作品の片手剣。修繕した短剣。騎士用の長剣の半完成品。五本の武具が、朝日の下で鈍く光る。
検知官が水晶球を一本目の剣に近づけた。
光は変わらない。
二本目。変わらない。
三本目。四本目。五本目。
水晶球は、最初から最後まで同じ青白い光を保った。魔力の反応は、一切なし。
検知官が、もう一人の検知官と顔を見合わせた。
「魔力は検出されません。いずれの武具からも、魔力操作の痕跡は皆無です」
広場がざわめいた。
「次に、修復した儀礼剣を」
ルーカスが、布に包んだ儀礼剣を作業台に置いた。検知官が水晶球を近づける。
今度は、光がわずかに強まった。
「この剣には元々付与された魔力が残存しています。しかし――」
検知官が断面を確認し、修復部分と原型部分を比較した。
「修復された箇所からは魔力反応がありません。元々の魔力付与は修復前のものであり、修復作業自体に魔力操作は使用されていないと判断します」
静寂。
私は、作業台の前に立った。騎士たちの視線が集まっている。何を言うべきか、考えた。いろいろな言葉が浮かんでは消えた。感謝とか、弁明とか、謝罪とか。
でも、出てきたのはひとつだけだった。
「この剣に魔力は要らない」
短い。でも、それが全てだった。
前世で、手動旋盤がNC旋盤に取って代わられた時。「機械がやれば同じだ」と言われた時。あの時言えなかったことを、今、言っている。
魔力がなくても、正しい温度と正しい角度と正しい力で叩けば、鉄は応える。
広場がざわめいた。
騎士たちの視線が変わった。さっきまでの好奇心や懐疑ではなく――なんというか、値踏みではない何か。前世の工場で、ベテラン職人が新人の仕事を認めた時に見せるあの目。「こいつ、やるな」という目。
検知官が書類に署名しているのを眺めながら、私は自分の手を見た。火傷と切り傷の跡。爪の間に入り込んだ鉄粉。前世の手も、こんなふうだった。
この手が作ったものを、今日、公式に認められた。
◇◇◇
営業停止命令は、その日のうちに撤回された。
さらに、魔導院の検証報告書には「当該工房の武具は魔力を一切使用せず製造されており、品質は高水準である」という一文が追加された。公式記録だ。これ以上、同じ手口で妨害されることはない。
工房に戻ると、エルマが戸口で待っていた。
「リーネさん! やりましたね!」
「……うん」
声が思ったより小さかった。緊張が解けて、膝の力が抜けている。
ガルドが奥から出てきて、腕を組んだ。
「ふん。当然だ」
それだけ。でも、口元が緩んでいた。
◇◇◇
夕方。ルーカスが来た。
非番ではないはずなのに、外套の紋章を隠すように襟を立てている。手に、例の紙包み。
「……よくやった」
声が小さい。普段より、さらに。でも、その言葉を口にする前に一呼吸置いたのが見えた。言葉を選んでいたのか、それとも、もっと別のことを言おうとして、結局それだけになったのか。
ルーカスの外套の留め金に目が行く。前に「型が歪んでいる」と指摘したあの留め金が、新しいものに変わっていた。鋳造ではなく、手打ちの鍛造品。質のいい仕事だ。――まさか、私の指摘を気にして取り替えたのだろうか。
「ルーカスさんのおかげです」
そう言おうとした。言葉は喉まで来ていた。でも、声にならなかった。感謝を言語化することが、私にはこんなにも難しい。前世からずっとそうだ。
代わりに、ルーカスの剣を鞘から半分引き出し、柄の部分を布で磨き始めた。握り手の革が少し乾いていたから、油を含ませた布で丁寧に。
「……何をしている」
「お礼です」
「……礼」
ルーカスの耳の先が赤くなっている。炉の近くにいるわけでもないのに。
剣の柄を磨き終えて、鞘に戻す。ルーカスは一歩後ずさった。それから、紙包みを作業台に置いた。
「余ったから」
今日もカーレン菓子店の贈答箱だった。
ルーカスが帰った後、エルマが言った。
「リーネさん。あの人、絶対に自分で買いに行ってますよ」
「……そうかな」
「そうです」
作業台には、新しい注文書が三通届いていた。騎士団の正式な発注書が一通。個人の騎士からの依頼が二通。
そして、もう一通。
侯爵家レクセンドの名が記された依頼書。
封を切らずに、引き出しにしまった。今は、考えたくなかった。侯爵家の蝋印を見ると、奥歯を噛み締めている自分に気づく。条件反射のようなもの。もう、あの家とは関わりがないはずなのに。
炉に火を入れ直す。ふいごを踏む。煉瓦が温まっていく。工房に、鉄の匂いが戻ってくる。
仕事がある。鉄がある。炉がある。そして、焼き菓子の包み紙から漂うアーモンドの香りがある。
それ以上は、今は望まない。
――望まないはずなのに、どうして侯爵家の依頼書のことが、引き出しの中で静かに燃えているような気がするのだろう。




