第4話 鉄は正直だ
完成した瞬間、手が震えた。嬉しかったのか、怖かったのか、自分でもわからない。
儀礼剣。王家の紋章が刻まれた柄。折れていた刀身が、継ぎ目のわからないほど滑らかに繋がっている。前世の知識と、ガルドの技と、そして三週間ぶっ通しで鉄と対話し続けた結果が、今、作業台の上にある。
刃を持ち上げる。天窓から差し込む午後の光が、刃紋に沿って走った。
――うまく言えないけれど、この剣は、前世で作ったどの部品よりも美しい。
いや、美しいという言葉は違う。正確、だろうか。鉄が本来あるべき形に、ようやく戻った。そういう感覚。
「ガルドさん、できました」
奥でお茶を飲んでいたガルドが、のっそり立ち上がって作業台に近づく。剣を手に取り、刃を光にかざし、柄を握り、指で弾いて音を聞く。
長い沈黙。
「……ふん」
「ふん、だけですか」
「文句がねえってことだ」
ガルドの褒め方は、前世の工場長と同じだ。最高の評価が「文句がない」。それより上はない。
◇◇◇
ルーカスが受け取りに来たのは、その日の夕方だった。
ルーカスが剣を受け取る手つきは、あの日と同じだった。壊れたものを扱うような丁寧さ。ただ、今回はそこに別の何かが混じっている。――安堵だろうか。それとも、信じられないという戸惑いか。
作業台の上の儀礼剣を見た瞬間、ルーカスの表情が変わった。変わった、と言っても、他の人間には気づかない程度の変化だ。目の周りの筋肉がほんの少し緩む。口元の力が抜ける。
「……見事だ」
その言葉がたぶん、この人の語彙における最上級。
「折れた原因は焼き入れ温度の不均一でした。芯部と表層の硬度差が大きすぎて、衝撃が集中した。修復では鍛接の工程を変えて、芯部の炭素分布を均一にしています」
ルーカスは黙って頷いた。
聞いているのかいないのか。ルーカスは剣を両手で受け取り、柄を握った。そのまま動かない。まるで、この剣が手元に戻ってきたことを、体で確認しているかのように。
あの日、折れた剣を布に包んで持ち込んできた時の、あの灰色の目を思い出す。あの目の奥にあったもの。責任感。後悔。自分の管理下で壊れたものへの。
今、それが少しだけ薄くなった気がする。
「――あ、それと」
ルーカスが外套のポケットから何かを取り出した。紙の包み。
「余ったから」
焼き菓子だった。アーモンドの香りがする上品な焼き菓子。包み紙に「カーレン菓子店」の金文字。
知っている。王都で一番高い菓子店だ。騎士の部下がもらうような菓子ではない。
――というより、この包装は贈答用の箱入り。わざわざ店まで足を運んで注文しなければ手に入らない品だ。「余った」ものが贈答箱に入っているのは、どう考えても不自然だった。
けれど、指摘するのも野暮だろう。
菓子をひとつ口に入れた。バターの風味が口の中に広がる。前世では安い缶コーヒーとコンビニのパンで済ませていた昼食を思い出して、妙な気持ちになった。こういう甘いもの、いつ以来だろう。婚約中も、アルヴィンから菓子をもらったことは一度もなかった。
――いや、それは比べることじゃない。
「いただきます」
ルーカスの耳の先が、かすかに赤い。炉の熱のせいだと、そのときは思った。
◇◇◇
エルマが菓子を半分食べ終わった頃、ぽつりと言った。
「あの騎士様、最近よく来ますね」
「儀礼剣の修復を頼まれていたから」
「修復、もう終わったのに」
「……まだ、他に相談があるのかもしれない」
「ふうん」
エルマの視線が、やけに意味深だった。十六歳は時々、大人より鋭いことを言う。
◇◇◇
夜。
工房にはガルドと私だけが残っていた。炉の火は落としたが、煉瓦にまだ余熱が残っている。じんわりとした温もりが、工房の空気を柔らかくする。
ガルドが麦茶を注ぎながら、ぽつりと話し始めた。
「嬢ちゃん。わしがなぜ、廃業寸前だったか知りたいか」
「……聞いてもいいですか」
「二十年前、わしは王国一の鍛冶師と呼ばれていた」
信じられる。ガルドの手捌きを見ていればわかる。動作に無駄がなく、鉄の状態を見る目が鋭い。
「けどな、魔力武具が出てきた。魔導院が開発した、魔力を込めた剣。切れ味が良くて、軽くて、量産もできる。わしの剣は、一振りずつ手で打つから時間がかかる」
ガルドの手が、空になった茶碗を包んだ。
「客が減った。それだけの話だ。魔力のない武具は時代遅れだと言われてな」
沈黙。炉の残り火が、ぱちりと小さく弾けた。
「……でも、ガルドさん。魔力武具には弱点があります」
「わかっているのか」
「魔力に依存している以上、魔力が妨害されたら使えなくなる。前世で――いえ、昔調べたことがあるんです。魔力妨害の技術は、年々進歩しています」
ガルドが目を細めた。
「嬢ちゃん。魔力がなくても鉄は応えてくれる。そのことを、わしは二十年間忘れなかった」
その言葉が胸に落ちた。前世の工場長も同じことを言っていた。NC旋盤が導入されて手動の旋盤工が減っていく中で、「機械は壊れる。手は壊れない」と。
鉄は正直だ。魔力があろうがなかろうが、正しく叩けば応える。
私は何か返事をしようとして、うまく言葉にならなかった。「ありがとうございます」でもなく、「わかります」でもなく、もっと別の何かを伝えたかったのに、喉の奥で言葉が形になる前に溶けていく。
だからガルドの使い込まれた金槌を手に取って、柄の油を丁寧に塗り直した。感謝を言葉にできないとき、私はいつも手を動かしてしまう。前世もそうだった。工場長に「よくやった」と言われた日、私は無言で工場長の旋盤の手入れをした。たぶん、一生直らない。
ガルドは何も言わなかった。ただ、少しだけ笑った。
◇◇◇
工房を閉めて外に出た。
リンデン通りの夜は静かだ。遠くで酒場の灯りが揺れている。秋薔薇の鉄錆色が、街灯の下で黒く沈んでいた。
ふと、通りの向こうに人影が見えた。
壁際に立つ男。上等な外套。侯爵家の紋章入りの腕章。
目が合った瞬間、男は通りの角に消えた。
炉の余熱がまだ手に残っているはずなのに、夜風が妙に冷たい。
アルヴィンの使用人だ。なぜ、この工房を見張っている。
工房に戻り、鍵をかけた。作業台の上には、明日から取りかかる修繕仕事が三つ並んでいる。騎士の短剣、門衛の槍の金具、それからルーカスの部下から持ち込まれた長剣。仕事が途切れなくなってきた。ありがたい。
けれど、あの人影が頭から離れない。
侯爵家が、なぜこの小さな工房に目をつけるのか。嫌な予感が、鉄屑みたいに胸の底に沈んでいた。




