表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄されたので、前世の腕を活かして武具職人になります ~なお、魔力はゼロです~  作者: 九葉(くずは)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/10

第10話 鉄槌亭の朝

鍛冶場の朝は、いつも鉄の匂いで始まる。


煉瓦の炉に残った昨夜の灰。金床の冷たい表面。工具掛けに並んだ金槌とヤットコ。天窓から差し込む朝の光が、鉄粉の浮かぶ空気をきらきらと照らす。


前世の工場は、蛍光灯の白い光で始まった。始業ベルが鳴って、旋盤のスイッチを入れて、切削油の甘い匂いの中で一日が回り始める。


今は、ふいごの音で始まる。自分の足で踏んで、自分で風を送る。誰かが用意したスイッチはない。全部、自分の手と足で。


それが、たまらなくいい。


◇◇◇


国境防衛の功績から一ヶ月が経った。


王室から感状が届いた。「魔力によらぬ武具の技、国の宝なり」。羊皮紙に金文字。王家の紋章入りの蝋印。


エルマが感状を額に入れて工房の壁に飾った。ガルドは一瞥して「ふん」と言っただけだったが、次の日、額の位置を二センチほど右に動かしていた。光の当たり具合が良くなる位置に。


アルヴィンのその後は、エルマが仕入れてきた噂で知った。


魔導院での地位を失い、侯爵家の武具事業は大幅に縮小。マリエラとの婚約話も流れた。アルヴィン自身は地方の研究機関に異動するらしい。


破滅ではない。アルヴィンの魔法理論の才能は本物だから、いずれまた論文を出すだろう。ただ、他人の手を借りて手柄を横取りすることは、もうできない。


不思議と、胸がすく感覚はなかった。ざまぁ、と思える自分を期待していたけれど、実際に浮かんだのは「ああ、終わったんだな」という静かな感覚だけだった。


あの日、「魔力のない女に用はない」と言われた。あの言葉は、ずっと喉の奥に刺さっていた。小骨のように。でも今、それが溶けていくのを感じる。消えるのではなく、別のものに変わっていく。


魔力がない。それは事実だ。でも、魔力がないからこそ作れたものがある。魔力がないからこそ、辿り着いた場所がある。


「用はない」の反証は、言葉ではなく、この手が作った剣たちだった。


――もう、あの人のことを考えなくていい。


◇◇◇


昼過ぎ、工房の前に見慣れない馬車が止まった。


ロズワール家の紋章。父だ。


ヘルムート・ロズワール伯爵が、工房の戸口をくぐった。上等な外套が煤で汚れるのも構わず、工房の中を見渡す。


「……ここが、お前の」


「はい。鉄槌亭です」


父の目が、壁の感状に止まった。王室からの金文字。それから、作業台に並んだ武具。金床。炉。私の手。


長い沈黙。


「縁談の件――」


「お父様」


「……なんだ」


「ここが、私の場所です」


父の唇が、かすかに震えた。何か言おうとして、飲み込んで、もう一度口を開く。


「……お前の好きにしろ」


不器用だ。父も、不器用だ。ルーカスとは違う種類の不器用さ。「好きにしろ」の中に、何年分かの心配と、認めたくない誇りと、手放す寂しさが全部入っている。


「ありがとうございます」


今日は言えた。前から言いたかった言葉。声は小さかったけれど、確かに音になった。


父が一瞬、目を伏せた。それから、前掛け姿の私を見て、かすかに笑った。見たことのない表情だった。


「……母さんに似てきたな」


それだけ言って、父は馬車に戻った。振り返らなかった。


エルマが横で泣いていた。「お父さん、いい人じゃないですか」と鼻をすすりながら言うので、「泣くほどのことじゃないでしょう」と返した。自分の目の端が少し熱かったことは、言わなかった。


◇◇◇


夕方。


ルーカスが来た。非番だ。いつもの紺色の外套。手に、例の紙包み。


「余ったから」


カーレン菓子店の贈答箱。もう何度目だろう。


エルマが工房の奥から声を上げた。


「あ、ルーカスさん。この前カーレン菓子店の前を通ったら、お店の人が言ってましたよ。『近衛の中隊長殿、毎週来てくれるお得意様で』って」


ルーカスの動きが止まった。完全に。


耳が――耳だけじゃない。首まで赤い。


「……エルマ」


「はい?」


「……余計なことを」


「事実ですよ?」


沈黙。ルーカスが天井を仰いだ。それから、ゆっくり私を見た。


私も、ルーカスを見た。赤い耳。困り果てた目。外套の裾を掴む手。この人は本当に、剣を振る時以外は全部不器用だ。


「……知ってました」


ルーカスの目が見開かれた。


「包み紙が贈答用だったので。最初から」


「…………」


ルーカスが、もう一度天井を仰いだ。長い沈黙。


「……ずっと黙っていたのか」


「言ったら、持ってこなくなるかと思って」


今度はルーカスが固まった。私も、自分が何を言ったか一秒遅れで理解して、耳の後ろが熱くなった。


エルマが「きゃー」と小さく叫んで、ガルドに引きずられて奥に消えた。


◇◇◇


工房の軒先。


二人で並んで、焼き菓子を食べている。アーモンドの香り。バターの風味。夕暮れの風が、リンデン通りを吹き抜けていく。


「……また迷子になったら、迎えに来てくれますか」


声が小さかった。自分でも聞こえたか不安になるくらい。


ルーカスが、焼き菓子を持つ手を止めた。


短く頷く。いつもの無愛想な顔。でも、口元の力が、ほんの少しだけ抜けていた。


並んで座っていると、ルーカスの肩が私の肩にほとんど触れている。触れていないけれど、温度が伝わってくる距離。


ふと、ルーカスのブーツに目が行った。踵の減り方。左足の外側が、右足より多く削れている。


「……左足の外側、削れてます。歩き方に癖がありますね」


言ってから、しまったと思った。なぜ今、そんなことを。


ルーカスが、ゆっくりこちらを見た。


「……それは告白の返事か?」


「え」


「いや」


「え?」


沈黙。二人同時に視線を逸らした。


朝日が――もう夕日か。鉄槌亭の看板を、橙色の光が照らしている。「鉄槌亭」の文字が、夕暮れの中で温かく浮かんでいる。


工房の戸口に、新しい注文書が一通、挟まっていた。


私の毎日は、明日も続く。鉄を叩いて、武具を作って、道に迷って、迎えに来てもらって。


――なんだ。それって、つまり。


ああ、もう。うまく言えない。


でも、焼き菓子は美味しかった。隣にいる人の肩は温かかった。


ただ、それだけ。


明日の朝も、鉄の匂いで目が覚めるだろう。炉に火を入れて、ふいごを踏んで、金槌を握る。ルーカスが非番の日には焼き菓子を持って来て、私はルーカスの武具の手入れをする。市場に行けば道に迷い、ルーカスが迎えに来る。


前世では得られなかったものが、ここにある。


帰る場所と、迎えに来てくれる人。


最後までお読みいただき、ありがとうございました!


もし、この物語を少しでも楽しんでいただけましたら、ブックマークや★評価などの形で応援をいただけますと、大変励みになります!!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ