第1話 推しという尊い存在
俺には推しがいる。世界で最も尊くて、人生をかけて応援できて、全人類が知っていてほしい存在が。みんなにも推しと呼べる存在がいるだろうか。
そして─そんな推しと、お別れした経験はあるだろうか?
「うわぁぁ!!! ……うぅ、確かに人気なかったけどさ! 単行本の売り上げがじりじり伸びてたんだからもう少しチャンスくれてもよかったじゃんっ!!! あぁぁ、ユイカちゃ~んっ!!!」
推しの名は、【星守 ユイカ】。
好きな漫画『エレクトロン・アカデミー』に登場するキャラクターだ。
主人公でも正ヒロインでもなく、主要人物からは少し外れたサブキャラだ。出番はメインキャラに比べれば少なかったけど、俺にとって彼女こそが間違いなくヒロインであった。
正ヒロインの家のメイドという設定で、敬語口調、水色ベリショ、高身長、しっかり者で真面目で男嫌いでぱっと見ボーイッシュ。だけど可愛いものが好きで、情に厚くて、涙もろくて年相応に悩む、最高に可愛らしくて、魅力的な女の子だ。
この子が俺の推しだ。漫画のキャラ、いわゆる二次元の女の子に恋焦がれている。一般的には『痛い奴』に分類されるけど、周りの視線とかどうでもいいくらいに、彼女に夢中だ。彼女がたとえ二次元のキャラであろうと恋をしている相手なので、彼女の事は敬意と親しみを込めて『ユイカちゃん』と呼んでいる。
しかし……お別れというのは、いつも無情にも訪れる。
連載作品のある一つの定め─『打ち切り』。俺が今、号泣している理由である。週刊誌を読んだ事のある人なら、こういう経験を一度は目にしているのではないだろうか。
『エレクトロン・アカデミー』は、最初から人気は低めだったけど、ファンの応援でなんとか1周年を迎えられ、壮大な盛り上がりを見せたんだ。でも…その少し後、雲行きが怪しくなる。巻いた展開、消えた伏線、緩急のないスピード感。焦るファンの続いてほしいという願いは──届かなかった。
来る日、様々な伏線や物語、人間関係を割愛しつつ綺麗な話の畳方で物語は幕を下ろした。打ち切りではあったけど本当に綺麗な終わり方で、感動し涙が止まらなかった。もちろん悲しみの涙も流れた。というかほぼそれが理由で号泣している。現在進行形だ。
「あんまりだ……頑張って生きてきたのにこの仕打ちはないよ!! うあぁぁぁ!!!!」
でも連載が終わってしまった以上、彼女とはもう二度と会えない。姿も言葉も、あの最高の笑顔も…。その事を理解する度に涙が止めどなく溢れてきてしまう。魂が引き裂かれるような、痛みがない痛みが襲い続ける。何も見たくない。好きだった漫画もアニメもゲームも、嫉妬で気が狂いそうで視界に入れたくない。こんな感覚、人生で味わいたくなかった。
高校最後の1か月。来月に卒業式を控えた2月。形もない絶望が襲った。
「こんなのってない……サヨナラなんてしたくない……大好きだよ、ユイカちゃんっ!!」
薄暗い部屋の中のベッドの上、とめどなく流れる涙は重力に従い、零れ落ちて枕を濡らしていく。もう二度と会えない。心にぽっかり空いた穴には絶望がひたすら流れ込んだ。
人はたかが漫画のキャラクターというかもしれないが俺にとってはこの上ない生きる希望だった。世界から色がなくなるようで、何に対しても気持ちが入らない。
俺、【面影 夢叶】にとって、今日は人生の中で『最悪』な日だ。
「っん!?」
絶望に打ちひしがれていた時、涙で歪む視界の異変に気付いた。部屋の真ん中、こぶし大サイズのライトグリーンに輝く光の玉が浮かんでいた。数秒前まで存在していなかった。
「はぁ?なにこれ…?」
いつでも対応できるように距離をとって見ていた次の瞬間、まばゆい光が部屋に溢れ、飲み込まれる。そして─【見たこともない水平線まで続く雄大な草原】が広がった。
部屋から一変。2つの太陽から降り注ぐ光に反射し深緑に輝く草花が生い茂る中に、俺はぽつんと立ちすくんでいた。頬や首に心地の良い風が掠めていく。遠くに山より高く、雲をも突き抜ける“巨大”という言葉でも足りないくらいの大木が見える。空には大陸が浮かび、その周りをドラゴンが悠然と飛び回っている。触れただけですべてを切り裂きそうな鋭い牙とワインレッド色に染まった瞳、時折の咆哮は肌を伝い、内臓を震わせる。
「え? 待って、なにこれ? 異世界…か? まさか夢ではない、はずだし。いや全然自信がない! 夢の中で夢だって認識したことあるし。泣きすぎて寝落ちしたのかな?夢か?」
俺はただ部屋で悲しみに暮れていただけだ。記憶を遡るけど、おかしなことはなかった。ただ泣いていて、気が付いたら部屋の真ん中に光の玉が現れて…で、今に至る。意味不明。
普通に考えたらこんな状況は夢だ。悲しみで号泣してそのまま寝落ちからの夢。でも俺は確かに起きていたはず。最終話を見て、ユイカちゃんの最後の姿を見て号泣していた。この記憶に間違いない。夢の中にいる感覚もない。『力も動く』。
土や草のにおい、頬を撫でるそよ風、肌をつんざく2つの太陽からの光。まぎれもなく本当の感覚。何度考え直しても、五感の全てが正常に機能していると思わざるを得ない。
そうなれば答えは一つ。
「ラノベとかにある……【異世界転移】的な? ……まさか! そんなわけないよね! 太陽が複数あるのはおかしいけどさ、それでも幻日である可能性もあるし。でもあれはドラゴンだよね? でかい鳥でもないし。それにあのめっちゃでかい木。アニメとかに出てくる世界樹みたいな木に、空に浮かぶ大陸?……どう見ても本物だよね……えへへ。……ん!?」
目に映るもの全てに疑いがかかり余計に思考が纏まらない中、突然数メートル先に光の柱が天から伸びた。眩いライトグリーン。自分をこの世界に連れてきた光と全く同じ色だ。
警戒して近づき観察してみると、光の柱の中に人影のようなシルエットが見えた。
「えっ」
『似てる』。でもそれはあり得ない。徐々に光が明けていき、シルエットがはっきり見えてくると思わず息を飲む。似ているとかのレベルではない。そのものだ。そんなはずはない。そんな事はわかっているのに、心のどこかで期待してしまっている自分がいる。
「……ウソ……でも本当に……あぁ……ぁ」
その姿をはっきり確認できたその瞬間、世界の動きが緩やかになった。ゆっくり、ゆっくりと時間が動き出す。一筋の涙が目から零れ落ちた。
全ての光を反射するような鮮やかな水色髪のベリーショート。180くらいの高身長で素晴らしいスタイル。一見ボーイッシュに見えるけどライトグリーンの大きな瞳とそれを縁取る長いまつ毛とシュッと高い鼻立ちの、可愛らしい最高に魅力的な人。
全身を衝撃が駆け巡り、呼吸をするのを忘れてしまう。世界が揺らぎ、周りの景色から意識が外れ、視界には今は『あの子』しか写らない。俺が彼女を見間違えるわけがない。
「ユイカ、ちゃん……!?」
震える声でその名を呼んだ。ありえないとかどうでもいい。光の柱から現れたのは、間違いなく俺の推しである【星守ユイカ】だ。
「ん? えっ……」
周りを確認しきょろきょろした後、視線がぶつかる。まじまじと俺の顔を見て、大きな目をより一層大きく見開いた。なぜか信じられないといったような表情を浮かべた。
声もボイコミのままだ。服装もエレクトロン・アカデミー制服のまま。でもこうして直接見た方が漫画で見るよりも魅力的だ。瞳がより一層深みと輝きを増しているし、何もかもが世界で一番綺麗で美しい。それだけでは不十分なのに、悔しいけど言葉が見つからない。
夢だろうけど、そんな事はどうでもいい。推しが目の前にいる。その事実だけで嬉しすぎて、涙で視界が歪む。泣くな俺!その目にユイカちゃんの姿を焼き付けるんだ。どんなに強く思っても、何度拭いても涙が零れ落ち、過呼吸気味になる。
この夢のような時間がいつまで続くかわからない。想いを伝えないと。
「ユイカちゃん大好きだよ!! 最高にかわいいよ! カッコよくて可愛くて魅力的で最強だよ!! 君と出会えて幸せだった。君のおかげで、今日この日まで生きて来れたんだ。生きる希望をくれてありがとう! どうか幸せになってね。愛してるよ……大好きだ! ユイカちゃん!!」
声が震えそうなのを耐えて、目をまっすぐ見ながら想いを伝えられた。言い切った。頑張ったぞ、俺。気のきいたセリフを言えなかったのはマイナスだけど。
「っ~…!! い、いきなり何を言っているんですか!?」
困惑してるけれど少しだけ照れてくれているみたいで、頬をほんのり赤く染めている。可愛い。男嫌いだけど男の俺の言葉に喜んでくれているなんて、嬉しくて仕方がない。なんて幸せなんだろうか。でもつい想いを伝えたけど、男嫌いなのに初対面の男から突然想いを叫ばれて迷惑だと思う。それに初対面なのに“ちゃん”付けはあまりにも無礼。気が高ぶって推しに迷惑をかけてしまった。俺はファンの恥さらしだ!謝らなくては。
「ごめん! 初対面の男から言われて嫌だったよね。不快な思いをさせてごめん!!」
嬉しかったとはいえよくない。想いというのは、独りよがりになってはいけない。
「あなた……面影夢叶、君ですよね?」
「えっ!?俺の名前を知ってくれてるの!?嬉しすぎる…うおうぅぅ…」
推しが俺を知ってくれているなんて、嬉しすぎる。でもあり得ないから絶対夢だ。なんていい夢なんだ!今までに1度だってユイカちゃんが夢に出てきてくれたことなんてなかったから、出てきてくれただけでも嬉しいのにさらには名前を呼んでくれるなんて、心臓が飛び跳ねるくらい嬉しい。あらぶった鼓動が全身を揺らすのがわかる。ユイカちゃんの声、めっちゃ綺麗でかわいらしい。目覚ましにしてほしい。どんなに辛くても起きられる。
「こんな事ありえません…」
何に困惑しているかわからないけど、困惑しているユイカちゃん可愛い。本編でもたまにこういう顔をしてくれる。ユイカちゃんファンの間でも人気の表情で、好きな表情ランキングで堂々の3位を獲得している。このご尊顔を拝めるなんて幸せすぎる。
でも次の言葉がそれまでの雰囲気を吹き飛ばすことになる。この時の衝撃を俺は一生忘れないだろう。
「だってあなたは─【漫画の登場人物】……なんですから」
「……えっ」
今なんて?俺が『漫画の登場人物』。なぜだろうか。得体の知れない恐怖が全身を包み込み、体の隅々から血の気が引くように芯から冷えていく感覚が襲う。
「え……いや……その漫画の登場人物はユイ……星守さんの方、だよ。ま、まぁ! 夢……だし」
「えっ……」
そう告げた時、ユイカちゃんも顔を青ざめていた。きっと今の俺も同じような表情を浮かべているのだろう。夢…そう思っていないと、心の中で不安が爆発しそうになってしまう。
「俺…漫画で見たから星守さんの事、結構知ってるよ! みんなには恥ずかしいから隠してるけど甘いものが好きで部屋に帰ってからしか食べないとか、朝のサイクリングは好きな数字に合わせてきっかり36分走るとか、泣きませんよって言ったのにべたな感動アニメを見て号泣して、次の日に学校行ったらみんなから心配されて『花粉症です』って誤魔化したり、クールでいようとするけど熱血で仲間想い、信念を持ってるのに自己犠牲しがちで、謝ろうとしたらつい意地張って謝れなくてそんな自分に落ち込んで悩んで…でも最後はちゃんと謝れて。最高にカッコよくて可愛い姿も……」
「最後はあなたの感想じゃないですか! わ、私もゆ……面影君の事はそれなりに知ってます。友達が困ってたら気を遣わせないために偶然を装ってタイミングよく現れて何も知らないふりをして手を貸したり、ブラックコーヒー苦手なのに大人ぶって毎日みんなの前で飲んで、テストで悪い点数だったらこの点数狙ったんだとかわけのわからない言い訳してたり、友達が泣いていたら一晩中付きっきりで側にいて励ましてくれたり、同級生を助けるために自分の時間を後回しにして先生に怒られたり…それに感動アニメの話は面影君一緒ですよね! あと好きな漫画が打ち切られて部屋で号泣していましたし。私も……漫画で見ました」
「うっ……少し恥ずかしいエピソードまで知られているなんて」
でも全て真実。部屋で号泣していたのはさっきだし。俺の夢ならば俺の事をわかっているユイカちゃんが出ても何もおかしくないのだが、どうしても現実味を帯びてきている。
「でも……夢だよ、ね。こんなにも嬉しいけど、そうに決まってる。漫画の登場人物だなんて言われても…俺は最愛の推しに会えた! 会えるはずのない推しに会えたんだ!最高に嬉しいけど、悲しい事に叶わないことだから……夢に、決まってるんだ……」
会えた事は人生最大の喜びと言っても過言ではない。でも夢に決まってる。でも何だろう。この得体の知れない恐怖は。この底知れぬ違和感は。これは本当に夢なのか?
『夢じゃないよ』




