校正者のざれごと――AIと戦った日
私は、フリーランスの校正者をしている。
「小山さん、こんな仕事があるんだけど、やってみる?」
校正プロダクションの社長から、声がかかった。ビジネス書だが、本文の校正はもう終わっていて、索引の校正だという。約600ページほどある。索引かあ。以前にも書いたが、索引というのは本の参照ページをまとめてある部分で、索引にあるページ番号 (ノンブル)が正しいかどうか本文に一つひとつ当たっていくという、非常に根気のいる作業だ。ちょっと気が重いな、と思っていると、社長は意外なことを口にした。
「AIに本文の重要語句を抽出するように指示して、リストを作らせたんだって。それが正しいかどうか、確認する仕事だって」
――へえ、ついに来たか。
AIは日々進化していて、日常生活にも浸透してきている。もちろん、校正者にとっても立場を脅かされる存在で、見てみぬふりはできない。今回の仕事はすなわち、AIがした作業が正しいかどうかを人間が確かめるということだ。なるほど、おもしろい。もちろん、二つ返事で引き受ける(ちなみに「二つ返事」は「快く引き受ける」という意味だが、「はい」とひと言で返事をするイメージからか「一つ返事」という言葉が使われることもある。文化庁の令和2年度「国語に関する世論調査」のなかで「一つ返事」と「二つ返事」のどちらを使うかという問いに対し、本来の使い方ではない「一つ返事」を使うと答えた人はどの世代でも3割を超えているそうだ)。
さっそくゲラ(校正紙)と作業用のシートを広げてみる。ゲラをみると、重要語句(日銀短観とか、カール・マルクスとか)がゴシックの太字になっている。これを拾ってリストにするようAIに指示したということらしい。「校正者のざれごと――AIに仕事を奪われる日」では、こういった索引の抽出もAIの得意分野で、きっと人間よりも速くて正確なんだろうと書いた。しかし実際にAIの作ったリストを見ると、太字なのに拾われていない語句があったり、太字ではない語句が拾われていたりする。編集者からの指示通り、不要な語は赤線で消し、抽出されていない語は余白に赤字で書き入れていく。思ったより精度が低い。AI、こんなものなのかしら。この本では重要語句以外にも小見出しや表中の語なども太字になっているので、間違って拾ってしまうということもあるのかもしれない。
ただ、そういったことをふまえても、ちょっと気になったことがある。何というか、間違い方に一貫性がない。太字ではないけれど重要そうな人物名が拾われていたり(これは、私が見ても太字にしていいのではと思った)、重要語句が多いページでは数行分まとめて抜けていたり(ここまでひどい抜け方は、人間ではあまり考えられない)。そして拾っている語については、スペルミスなどは全くなかった。優秀なのか否か。そしてふと思った。AIは機械的にというより、何か考えながら作業しているのではないか。その精度の低さにどこか安心すると同時に、得体のしれない不安のようなものを感じた。
AIの能力の高さについて言われるとき、しばしば悪いほうの使われ方が取りざたされる。いま、巷は衆議院選挙の真っただ中。そこで問題になっているのが、候補者たちの画像を使ったフェイク動画だ。一般的な選挙公報かと思いきや、突然候補者が暴れ出したり、踊り出したりする。なかには、本物と見分けがつかないほど精巧に作られたものもあり、本人の掲げる政策とは全く違うことを言ったりする。
AIを使って、いくつかの質問に答えると自分の考え方に近い政党を選んでくれるサービスなどもあるらしい。「考える・選択する」作業をAIが人間の代わりにやってくれる。こうなると、国民の意思決定機関である国会の行方を決めるのがAIということになり、もしそこにほんの少し何らかの力が働いたとしたら、簡単に国を動かせるようになるのかもしれない。何だか、SF映画の世界だな。いや、もうそれは未来ではなくすぐそこまで来ているということかも。
索引のチェックが3分の2ほど終わった頃、なぜか急にAIに疲れが見え始めた。ざっと見て、10ページ以上まったく重要語句が拾われていない。おいおい、どうしちゃったんだよ、AI。作業シートの余白にも書ききれなくなり、しかたなく、AIの作成したフォーマットを使い、重要語句を手打ちで入力していった。ちょっと校正の作業範囲を超えているな。はからずも、AIと私の共同作業。こうなると、「戦う」とか、そんな勇ましいものじゃない。
最近ニュースで、困ったり悩んだりしたときにAIに相談する、という人が増えていると聞いた。アンケート結果では、友人や親よりAIに話すという回答が上位にある。そしてその傾向は若い世代ほど強い。人間関係が対面からオンラインになり、生身の人間からコンピューターになる。心の悩みを打ち明ける相手も、人からAIへ。やっぱりSF映画みたい。
「AIの仕事、どうだった?」
納品のあと、社長に聞かれて即座に答えた。
「いやあ、全然だめですね」
仕事の内容としては確かにAIはまだまだだった。でも、だからといって気持ちに余裕がある、というのでもない。さあ、これからどんな世界になっていくんでしょうね。




