第二十五話
リオがいなくなった。
その報せを受けたアーセルは、ディナでさえ見たことのない表情で、その場にいる者を威圧した。
誰も彼もが、ひりついた空気を乱すことを拒んだ。
「…は?なんで?
リオがいない…?リオ…どこ行ったの…?」
アーセルはブツブツと呟き始め、一人の空間の中誰の声も遮断し、活字を追うように目だけを何度も左右へ走らせた。
ディナだけが体を動かすことを許され、すぐに探して参りますと教室をあとにした。
「いない、いない!いない!!
なんで!?僕がリオを見つけられないわけ…!」
結局、リオは見つからないまま放課後となった。
アーセルは自身の目を抑え、【天使のような笑顔】とは程遠い、獲物を逃した獣そのものだった。
アーセルの周囲で音を立てようものなら、たったひと睨みでその者はたちまち逃げ出してしまう。
「…ねえディナ!!まだなの!?
なんで見つからないのさ!!」
声を荒げたその時、息を切らしたディナが教室へと戻ってきた。なんとか呼吸を整えながら、ディナは口を開いた。今は、言葉を選ぶ時間さえ惜しい。
「アーセル様、リオ様が、見つかりました。
こちらです。」
ベッドに横たわるリオは、まるで安らかに眠っているように見える。
いつもの眉間の皺は消え、まだ幼さの残る顔が、彼が14歳になったばかりだと告げている。
「なに、これ?…は?」
ディナは身構えた。
開けてはいけない扉を、こじ開けてしまった。
窓は開いていないにもかかわらず風が吹き、竜巻のように周辺の書類やティーカップを巻き込んだ。戸棚のガラスは一斉に割れ、ディナは立っているのがやっとだった。
「あ、アーセル様!落ち着いてください!」
「許さない…、許さない許さない…!
僕のリオ…誰が!?」
アーセルの目からは堰を切ったように涙が溢れ、視界は歪み、自らの感情の波へと攫われていく。
その時、部屋の奥からひょっこりとモサモサの頭が現れた。同時に、ディナの叫び声が部屋中に響く。
「アーセル様!リオ様は死んでいません!!
寝ておられるだけです!!」
「………へ?」
間抜けな声と共に、先ほどまでの混乱が嘘のようにその場は脱力した。
セラフが腰を曲げながら、散らばった書類や割れたカップを見て、あああ、と小さな叫び声を上げた。
「あ〜、アーセル様、何してるんですかぁ…。
研究室がえらいことに…、エスペールくん、起きてないですよねぇ?」
その長身からは考えられないようなひどく間延びした声を、アーセルは何度も聞いてきた。その声が、今はあまりにも憎い。
「…セ〜ラ〜フ〜…何勝手なことしてるんだよ…。
僕リオが死んじゃったと思ったんだからね!?」
「ええ〜!?勝手って、アーセル様に言われたから僕ここ100年ぐらいずっと見守ってきたのにぃ…!」
アーセルはセラフの背中に飛び乗り、そのモサモサ頭をポカスカと叩き始めた。
ディナは二人の姿にようやく合点がいったようで、小さく息をついて普段の表情へと戻っていった。
「うー…ん…うるさ…。」
そこでリオが目を覚ましたが、目の前の荒れた部屋と三人の奇人、そして自分がベッドで横になっている状況に眩暈がした。
「あ〜もう、アーセル様が騒ぐからぁ…。
エスペールくん、まだまだ寝ないとクマも取れないのに…。でもちょっと、顔色はましになりましたねぇ。」
「…は?いやちょっと待て。何があった?
僕は…セラフ先生の淹れた紅茶を…。」
「はい!無理やり飲ませましたぁ!寝てほしかったので!」
ニコニコと上機嫌に答えるセラフ。
目こそ前髪で見えないが、口角の上がったその口元はどことなくアーセルと似ている。
目に映る何もかもが、リオの理解を軽々と飛び越えてゆく。追い打ちをかけるように放たれたアーセルの次の言葉は、リオの思考を完全に断ってしまった。
「もう!リオは僕の目なんだから!
勝手に僕がわからないところに連れて行かないでよね!」
アーセルの漆黒の目が、初めて生気を帯びたように、きらりと光った瞬間だった。
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