第十八話
リオがギルドラ家を捨て、エスペールの名を冠したあの日以降。
家主の意思などまるでないかのように、アーセルとディナは連日リオの新居へと入り浸り、今日も今日とて紅茶を嗜んでいた。
「よくもまあ飽きないものだな。」
帰宅と同時に紅茶の柔らかな香りに包まれる感覚には、もう慣れてしまった。
知らぬ間に部屋に上がり込んでくつろぐ姿も、二人からの迎えの挨拶も。
リオは顔も上げず、視線だけをアーセルへ投げた。
部屋に似つかわしくない、水色のクッションにもたれかかるアーセル。
その右手にはティーカップが七色に輝いている。
「今度は真珠層か…。
どれだけ茶器を持ち込めば気が済むんだ。」
「綺麗でしょ?僕のお気に入り!」
「以前のように悪趣味な家ならいざ知らず、
こちらの部屋であれば、この程度の華やかさは調和が取れているかと。」
リオにも紅茶を差し出しながら、ディナが、まさか僅かに口角を上げた。
「…過保護め」
そんな小言は、湯気とともに宙へ舞ったかのように、
どこにも留まらず静かに消えた。
「うーん、ディナの紅茶も好きだけどルドルフが淹れてくれる紅茶も飲みたいな〜。
リオ、なんで辞めさせちゃったの?」
「…行きたいところが、できたそうだ。」
ルドルフの淹れた紅茶の味は、どんなだっただろう。
あの家で、唯一、悴んだ手が温まった。
そんな味だった気がする。
リオの思いとは裏腹に、アーセルの質問は止まることを知らない。
「ふーん。
リオはそういうの、ないの?
行きたい場所とかやりたいこととか。」
「ない。」
「じゃあ、恋人が欲しいとかも?」
「は?」
突拍子もないとはまさにこのことだ。
アーセルの調子に合わせると、必ずどこかで会話の糸が綻んでいく。
「最近、あの子とよく一緒にいるとこ見かけるからさ?
何かあるのかなと思って。」
あの子がロゼリアを指すことは、すぐにわかった。
なにせこの数週間、彼女は学園内で毎日のようにリオに話しかけ、茶会に誘い、泣きそうな顔で笑っていた。
「別に…何も。
…ああ、以前、名前が呼びづらいと言ったら怒られたな。」
不意にリオの視線が揺らぐも、アーセルはそれに気付かない。
「…よく男爵が務まりますね。」
無機質な声が、リオを窘めた。
まっすぐにリオを見つめるディナの目は、アーセルを諌める目とはまた違う色があった。
「僕は望んでない。」
「望む望まないの話ではありません。
貴族としての品性の話です。」
「品性と呼べるほどの本質を整えてから出直していただきたいものだな。」
二人のやりとりを眺めていたアーセルは、やがて朗らかに笑いながら呑気な声を上げた。
「二人は仲良しだね〜。」
はたと、空気が止まる。
つぐんだ口先が、次はアーセルへと的を変えた。
「…リオ様、この辺りに視力回復が見込める修道院はございますか。」
「それより脳を見てもらった方が良い。」
「ならディナも診てもらわなきゃ。平気で嘘つくもんね!」
一人の少女の奔走など、知る由もない。
あまりに間の抜けた空気が、その場を包み込んだ。
お読みいただきありがとうございます。
小さい頃、「かじかむ」を「かかじむ」だと思ってました。可愛いですね。
次回、リオに後輩ができます。お楽しみに。