[ 短編 ] 死刑執行5秒前、悪役令嬢はモフモフに召喚される
「言い残したことはあるか?」
王都の片隅にある処刑場で、勝ち誇ったように笑う王太子と側近達。
王太子暗殺未遂という謂れの無い罪で、公爵令嬢シルベチカは今まさに、その命を終えようとしていた。
「ございません……すべてを、受け入れます」
王家を凌ぐほどに隆盛を極めた公爵家の力を削ぐため、幼い頃からの婚約者だったシルベチカを陥れようと、綿密に練られた断罪計画。
せめて迷惑がかからぬよう早々に公爵家から除籍をし、家族の命を救うことを条件に、自身の死刑を受け入れた。
目を閉じ最後の祈りを捧げると、衣擦れの音が空気を揺らす。
ヒュッと何かを振り上げる音とともに、ビクリと肩を震わせ、シルベチカはその時を待った。
王太子暗殺未遂による断罪からの、婚約破棄。
……からの、死刑執行五秒前。
………………?
何も起こらないまま数十秒が過ぎただろうか。
うっすらと目を開けると、何かに絡みつかれた執行人が、逃れようともがいている。
「ク、クソッ、なんなんだこれは!」
なおも振りほどこうと必死にもがくと、ガヤガヤと賑々しい声が突如床下から聞こえ、呑気な男の声が処刑場に響いた。
「こちら獣人国ヴェストラキア。『蒼の国』の皆さまへ、聖地、ハルハラ神殿よりお送りしています」
「獣人国ヴェストラキア!?」
思わず王太子が驚きの声を上げる。
蒼の国が最西端だとしたら、獣人国ヴェストラキアは最東端。
大陸の端と端に位置するこの二国は、馬車で移動すれば、二ヶ月にも及ぶ道程である。
「えー、お集まりの皆さま。私はハルハラ神殿の大神官、イーモップです。先日貴国にて、『聖女降臨』の神託がおりました」
……この状況で『聖女降臨』?
「これより、先般の取り決めに従い、聖女様を我が国へと召喚します」
先程からふわふわとした事ばかり言う大神官が、「それでは開始して」と誰かに声をかけると、そのままプツリと音声が途切れた。
「待てッ! 一体何をする気だ!?」
「シルベチカ嬢の足元が光り出したぞ!」
「早く罪人を斬れ! 逃がすな!」
王太子が命じ、その場にいた誰もがシルベチカに駆け寄ろうとするが、彼女の足元から青い光が円状に拡がり、円柱を描くように天に向かって伸びていく。
シルベチカは神秘的な柱の中で、自分の身体が透けていることに気が付いた。
「これは……?」
見間違いではないようだ。
徐々に光が強くなり、シルベチカの身体からも、光の粒が溢れ出す。
「させるかぁッ!」
なんとか逃がすまいと王太子が剣を投げるが、円柱にはじかれ、弧を描きながら地を滑っていった。
ゴッと地鳴りのような音が処刑場を揺らすと、眩い光がシルベチカの身体を包みこみ、地の底へ引きずりこむような、尋常ならざる重力が、身体中にのしかかる。
「……え? きゃあああぁぁッツ!!」
シルベチカは薄れゆく意識の中で、何かを叫ぶ元婚約者を、透けた腕越しに確認して……そして。
***
目が潰れそうなほどの目映い光が溶けていく。
自身の身体を抱え込むように丸くなっていたシルベチカは、腕の隙間からそっと、外の様子を窺う。
「やった! 成功だ! しかも生きてる!!」
……しかも生きてる?
先程、大神官イーモップと自己紹介をしていた声の男が、感極まったように地に伏せ、号泣している。
いやぁ良かった良かった、三百年前の召喚時は座標が少しずれて、腕だけ召喚でしたからなぁ。
さすが猊下、円柱で囲う作戦は大成功ですね!
なにやら恐ろしい話が聞こえ、五体満足で移動できたことに、ひとまずほっと、息をつく。
続けて国王らしき男が叫び、耳が割れんばかりの歓声が上がった。
「これで我が国は救われる! しかも今回の聖女は蒼の者! 生命を司る、『蒼の聖女』だ!!」
興奮し叫ぶ者、泣きながら天を仰ぐ者――――。
聖女もなにも、自分は何の力も持たない、一介の公爵令嬢であるというのに。
国王らしき男の背後に掲げられた国旗には、太陽に獅子の国章……間違いなく、獣人国ヴェストラキアであるようだ。
先程から演説しているイーモップ、特権階級らしき者は人間と姿形が同じだが、一部の者は、耳や尻尾がはみ出している。出したりしまったり……出来る出来ないは、個人差があるのかもしれない。
どうやってこの場を逃れようか画策していると、今度は若い男の声が聞こえた。
「今朝も神官達が慌しかったが、もしや神託の続きが?」
「さすがの御慧眼。……ございました。いつにも増して、我らの神は公平であらせられます」
イーモップの言葉に、後ろに控える神官達が口々に神を讃え、その場にいる者すべてが、文字通り耳をそばだて次なる神託を待っている。
「本来であれば、聖女様は神の花嫁。ですが今回は、こう仰せられました」
独身で修道院、独身で修道院、独身で修道院……
逃げられないなら、せめて独身で修道院と、獣人国の名も知らぬ神にシルベチカは必死で祈る。
「……聖女様に貢物を献上せよ! 最もお気に召した貢物の主を、聖女様の伴侶とする!」
なお、貢物はすべて神殿にて検分し、場合により没収する!
狂喜乱舞し、子供のようにはしゃぐ聴衆に、十本の指では収まりきらない程の突っ込みが、頭に浮かぶ。
はい嘘! もう、絶対嘘!
財力のある者に忖度し放題、横領し放題の神託に、気絶したふりをしながらギリギリと歯噛みした。
シルベチカは現在、婚約者のいない身。
誰に操を立てる必要もないのだが、獣人の生態は謎に包まれている。
……絶対にお断りしたい。
だがしかし、断れなかった場合も、打開策は残されている。
どれも気に入らないと、何も選ばなければ良いのだ。
「なお、いずれの貢物もお気に召さなかった場合は、最も強い者が選ばれる!」
その言葉に、屈強な男達がいる方角から、わあっと歓声があがる。
嘘でしょ!?
それなら自分で選んだほうがまだマシじゃないの!
おいさっきの神託はなんだったんだと、我慢しきれず内心ツッコミを入れるシルベチカ。
「す、すごいぞ! 王族でなくても、聖女様を望める機会を与えられるとは!」
「いや、でも待て顔が見えないな。もしこれで老婆だったらどうする」
「俺はイケる! だって聖女さまだぞ!? 尊い御方が、わが家の敷居を跨いでくださるなんて!」
騒然とした場内で、起きるタイミングが掴めず丸くなっていたシルベチカに、ひときわ身体の大きい男が近付き、跪いて騎士の礼をした。
「ヴェストラキアの聖騎士、『ゴーシュ・クドニエル』と申します。既にお目覚めのことと推察しますが、お言葉を賜ってもよろしいですか?」
微かに動き、様子を窺っていたのがバレていたらしい。
言いたい事は山の如しだが、この雰囲気に抗うだけの精神力を、シルベチカは持ち合わせていない。
その時お腹が、きゅるると可愛い音をたてる。
そういえば冤罪で勾留されてから丸三日、水しか与えられていなかった。
「おなかが……すいた」
死の淵から生還し、気が抜けたのだろうか。
それだけ言うと、目の前が暗くなり、シルベチカはそのまま気を失ってしまった。
***
どれくらい経ったのだろうか。
気配を感じ、重い瞼を持ち上げると、心配そうにのぞき込む獣人たちの顔が間近にあった。
「……きゃッ!」
思わず布団の中に潜り込むと、聖女様が目覚められたと室内は大騒ぎになる。
恐る恐る顔を覗かせると、子供の様に跳ね回る者、高くジャンプをして喜ぶ者、そして、慌てて駆け込んだ大神官イーモップと、最後に質問をした体の大きな聖騎士……ゴーシュの姿が目に入った。
「ああ、良かった、聖女様! 体調はいかがですか!?」
泣きそうな顔でシルベチカの両手を握るイーモップ。
だが周囲があまりに騒がしく、声がよく聞こえない。
困ったように微笑むシルベチカに気付き、ゴーシュが人払いをすると、部屋の中にはイーモップ、ゴーシュ、シルベチカの三人だけが残った。
「すぐに粥をお持ちいたしますね」
イーモップに優しく微笑まれ、シルベチカは何だか申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
実家である公爵家は、高熱を出してもお見舞いどころか部屋に監禁され、完全に治るまで面会を謝絶されるほど、寒々しい家族関係だった。それなのに彼らは、出会ったばかりの自分に、こんなにも心を砕いてくれている。
「あの……その前に、大事なお話があるのです」
シルベチカは、寝起きの舌で、たどたどしく言葉を紡ぐ。
この人が良い獣人たちを、これ以上騙すわけにはいかない。
「私は聖女ではありません。何の力も持ち合わせてはいないのです」
そう語ると、イーモップとゴーシュは顔を見合わせ、きょとんとした顔でシルベチカへと目を向けた。
「ですから、私は何のお役にも……」
「お待ちください、聖女様」
なおもシルベチカが語ろうとしたところで、イーモップに遮られる。
ゴーシュに何か合図を送ると、腰に下げていた布袋から、細く小さな植物を取り出し、イーモップへと渡した。
失礼しますね、と前置きし、シルベチカの掌にその植物を乗せる。
「では両手で触れ、『目覚めよ』と息を吹きかけてください」
何をさせられているのか分からないまま、そっと両手で包み込む。
寝台から少し離れたところまでゴーシュが下がり、剣の柄に手をかけた。
聖女と謀った罪で処刑されてしまうのかしら。
でも私が言ったわけじゃないわ、と独り言ち、『目覚めよ』と呟いて息をふっと吹きかける。
ああ、やはり何も起こらない。
がっかりして、後方に控えるゴーシュへと目を遣ると、不意に手の中で、何かがドクドクと脈打った。
次の瞬間、ぐわん、と音を立てて、手中の植物が膨らむ。
「!?」
さらに、もう一度膨らみ、シルベチカの人差し指のように、白く、小さく、細かった植物が、イーモップの上半身を隠すまでに大きくなった。
蕪のように膨れ上がり、ぽーんと高く跳ね上がると、シルベチカに向かってギュルルと高速回転しながら突っ込んでくる。
あわや衝突……と身構えた瞬間、目にもとまらぬ速さで飛び込んできたゴーシュが、一刀のうちに切り裂いた。
わずかに回転を残しながらポトリと地に落ち、ぐしゃりと砕ける蕪のような何か。
「……聖女様は大陸のどこかに存在し、神託とともに力を授かります。その昔、獣人国ヴェストラキアが大陸全土を支配していたのは、降臨した聖女様を、確実に手中に納めるためです」
初めて聞く話に、シルベチカはコクリと頷く。
「聖女が大陸のどこに降臨されるかは分からないため、全土を支配下に置いていたのですが、いかんせん広すぎて管理が容易ではありません。そこで、各領地に自治権を与え、国としての独立を認める代わりに、『聖女降臨』の際は、無条件で我が国へ差し出すことを約束させたのです」
召喚前、『先般の取り決め』と言っていたのは、なるほどそういう事かと、シルベチカは得心する。
獣人国へ召喚するため、各国には一方通行の魔方陣が敷かれている。
神託を受けると、自動で聖女へと座標が合う仕組みになっており、受け入れる獣人国側の準備が整えば、昼夜問わず常に魔方陣を起動できる仕組みだと、イーモップは付け加えた。
「我が国はここ数年の飢饉により、備蓄も底を尽きかけています。実を申しますと獣人の身体能力は、人間の比ではなく、ひとたび戦いに出れば一騎当千……かくなる上は、他国を滅ぼし、略奪するしかないと頭を悩ませていたところでした」
そんな中、今回の神託がなされ、国民は狂喜乱舞したのです、と自身も嬉しそうに身体を揺らしながら、イーモップは語る。
「聖女の力は、覚醒した土地の場所で異なります。今回は『蒼の国』……生命を司る、『蒼の聖女』です」
そう言うと、今度はサイドテーブルの上にあった木の器を手に取り、シルベチカに持たせた。
「もう一度、『目覚めよ』と息を吹きかけてください」
シルベチカは先程同様、息を吹きかけるが、今度は何も起こらない。
「お分かりですか? 先程の植物は、地に植えれば根を張り、芽吹き、花を咲かせます。つまり、『生きている』ということ」
手渡した器を、軽くコンコンと叩き、イーモップはなおも説明を続ける。
「ですが、この器は例えるならば、『死んでいる』状態。……つまり、『蒼の聖女』は、生命あるものに対する力。その成長限界まで生命を吹き込み、躍動させるのです」
まぁ先程のように、たまに暴れる場合もありますが、なにしろ我が国は猛者揃い。
何の心配もございません。
「数百年前に降臨された『蒼の聖女』は、作物が育たぬ痩せた土地に生命を吹き込み、かつてない程の収穫量を叩き出したと記録されています」
そんな大それた事が自分に出来るかは分からないが、先程の一件で何かしら役に立てる事がありそうだと、シルベチカはほっとしながら頷いた。
「そこで……先の神託に従い、聖女様には一年以内にその伴侶をお選びいただきたいのです。なお、血が濃く、獣人としての能力が高いものほど人間に近くなります」
いつの間に近くに来たのか、ベッドサイドにゴーシュが立ち、イーモップに代わり話し始めた。
ぐぐ、と力を籠めたかと思うと、あっという間に大きな黒豹へと変化する。
「!?」
「我々獣人は、力こそがすべて。三年おきに国王が変わるのも、そのためです」
見た目は豹だが、人間同様、流暢に話すことが不思議で、シルベチカはまじまじとゴーシュを見つめた。
「その時々で、一番強い者が王になる。王座を巡り、死闘が繰り広げられます。もし一年以内にお選びにならなかった場合は、一番強い者……次代の王が自動的に伴侶に選ばれます。……そして、次の政権交代は一年後!」
次なる死闘を想像し、興奮してきたのか、次第に口調が熱を帯びてくる。
「憂いなく、王位簒奪トーナメントを開催するためにも、早急にご決断いただかなくては!」
なんなら今だ! 今すぐでもいい!!
獣の姿になり理性と知性が低下したのか、じっとしていられず、室内をグルグルと回り始めたゴーシュに、「落ち着いてください」とイーモップが声を掛けるが、まったく効果がないようだ。
ビロードのように美しく、しなやかな見た目に惹かれ、シルベチカがそっと腕を伸ばすと、ぴょんと飛び上がり、すり寄るように身体を近付けた。
顎下をさわさわと撫でると、気持ちよさそうに喉を鳴らし、今度はシルベチカに身体をこすりつけマーキングを始める。
最初は止めようと手を伸ばしたイーモップだったが、その様子に耐えられなくなったのか、自身もぐぐ、と力を込めて、ちょっぴり小太りなレッサーパンダに変身した。
そのままちょこちょことシルベチカの膝によじ登り、撫でてもらおうと身体を寄せる。
「まぁ可愛い!」
可愛いモフモフに、思わず抱きしめようと両手を広げたその時、可愛さで敗北したゴーシュが、カプリとイーモップの後ろ首を噛むと、大きく頭を一振りし、部屋の隅までぶん投げた。
壁に身体を打ち付け、「ごふっ」と一声発し、気絶するイーモップ。
「きゃあああ、なんて事するの! 意地悪したら駄目でしょう!」
段々ペットを相手にしているような気になってきて、ベッドから起き上がり、子供に叱るように注意をするシルベチカ。
その時、ドアがノックされ、返事がない事を不思議に思った使用人が、粥の乗ったワゴンを片手に部屋を覗いた。
仁王立ちで叱る聖女様に、ベッドサイドでしゅんと項垂れる大きな黒豹。
部屋の隅では、何故か小太りのレッサーパンダが気絶し、辺りにはバラバラの野菜が散らばっている。
何があったのかは分からないが、まあ聖女様が元気なら良いことだ。
ドアの隙間から覗き込む使用人たちは、尻尾をブンブン振りながら、聖女の回復を喜ぶのだった。
*** 2023/08/20 加筆 ***
数日後、獣人国ヴェストラキア王宮の一室で、ゴーシュをはじめとした聖騎士団に籍を置く幹部五名と、現国王オーランドが円卓を囲み、一堂に会していた。
「聖女様のご様子は?」
聖騎士団の錚々たる顔ぶれを見遣り、オーランドはゴーシュに問う。
「ハルハラ神殿の神官達が誠心誠意お仕えし、量は少ないものの、三食召し上がれるまでに回復されました」
おお、と安堵の声があがる。
「……公爵家のご令嬢と伺ったが、召喚された際、粗末な衣を身に纏っていたのは何故だ?」
一人の幹部が問うと、その場にいた全員が一斉にゴーシュへと目を向ける。
聞けば『蒼の国』王太子の婚約者であったとのこと。
薄汚れた囚人のような衣服を着て、気絶するほどお腹を空かせているなど、通常であれば考えられない。
「それがその……」
返答に窮したゴーシュを、オーランドは睨みつける。
「構わん。すべて話せ」
「……承知しました。聖女様にお話を伺ったところ、『王太子暗殺未遂』の濡れ衣で投獄され、三日三晩飲まず食わずで過ごされていたとのこと」
通常、捜査機関が正しく機能していれば、現行犯でもない限りは「被疑者」の扱いとなり、裁判を経て判決が下されるはずである。
だがシルベチカは王妃教育のため王宮を訪れた際、一方的に捕縛され、外部との連絡手段を遮断された挙げ句、三日後には処刑の準備が整っていたという。
「聖女様のご家族である公爵家は、異を唱えなかったのか?」
紅一点、『赤』の聖騎士団団長、グリズリーのビアンカが堪え切れず口を挟むと、ゴーシュが神妙な面持ちで答える。
「公爵家であるご実家との関係は極めて希薄だったようです……にも関わらず聖女様は、冤罪での処刑を受け入れる代償に、ご家族の助命を嘆願されたそうです」
王族がらみのでっち上げであれば、最早裁判をしたところで覆るまい。
そう思っての嘆願だったが、外部の情報が遮断されていたため、その後どうなったのか、一切状況が分からないのだという。
ビアンカが立ち上がり、ドォンと大きな音を立て円卓を叩き割った。
興奮のあまり人型を保てず、獣化している。
好戦的なビアンカが、その怪力で円卓を叩き割るのは初めてではないが、通常であれば窘めるはずの面々も怒りのあまり獣化し、誰一人として言葉を発しない。
しばらくして黄金の獅子、オーランドが重々しく口を開いた。
「『蒼の国』で詳しい経緯を確認したほうがよさそうだな。……召喚時の座標を流用し、一方通行ではなく双方向に行き来ができるよう、魔方陣の組み替えをハルハラ神殿に通達しろ」
『蒼の国』へ行きたい者はいるか?
王の問いにビアンカが、目をギラつかせながら手を挙げる。
「私にお任せください……次第によってはその場で方を付けてきます」
***
玉座から立ち上がり、ふらりと足を数歩動かすと、『蒼の国』の王はよろめき膝をついた。
シルベチカを拘束すると同時に、公爵家へ大量の兵を向け、国家反逆罪という大義名分を掲げて一族郎党すべて処分した。
公爵家の広大な領地と、国庫の三分の一にも及ぶ潤沢な財産を手中に収め、王家の威信を取り戻す。
まさか王家がここまでの強硬手段に出るとは思っていなかったのだろう。
権勢を誇った公爵家は一夜にして滅んだ。
そして、王太子暗殺未遂の実行犯としてシルベチカを極刑に処すれば、その血は絶え、公爵家を陥れるための謀略は、滞りなく完遂するはずだったのに。
「まさか、シルベチカが『蒼の聖女』、だったとは」
もうお終いだ、と王は顔を両手で覆う。
獣人国ヴェストラキアの聖女は、ある日突然神託とともに力を授かる。
生まれながらではなく、その時になるまで誰にも分からないのだ。
――処刑場に獣人が現れたとの報せを受けたのは、ほんの半刻前。
その獣人はまっすぐに王宮へ向かうと、たった一人で衛兵達をなぎ倒し、玉座へと続く扉を蹴破った。
「我が名はビアンカ! 獣人国ヴェストラキア、『赤』の聖騎士団団長ビアンカ・ノーラムである!!」
散々大暴れした後なのに、息一つ乱さず、獣のような咆哮とともに名乗りをあげたのは、百九十センチもあろうかという屈強な女性騎士。
鼓膜を突き破るような大音量に、ビリビリと空気が震える。
「ま、待て、話をしようではないか。我らは『蒼の国』の王族だ。いくらヴェストラキアとはいえ、他国の王族を簡単に殺してみろ。国際的な信用を失ってもいいのか!?」
堪らず王太子が叫ぶと、ビアンカはツカツカと歩み寄り、その手首を片手で掴み軽々と宙に持ち上げた。
そのまま、ぐぐ、と力を籠めると、メキメキと骨が砕ける音がする。
「ぐあぁあああッ!!」
苦痛に顔を歪め、王太子は悲痛な叫び声を上げるが、ビアンカは眉一つ動かさない。
「……国際的な信用? そんなものを得て何になる」
王太子を掴む腕を勢いよく振り、柱に向かって投げつけると、グェッと蛙が押し潰されるような声が聞こえた。
「聖女様のご家族はどこだ? 命と引き換えに、公爵家の助命を願い出たはずだが」
都合の悪い事実を追及され、国王夫妻は怯え震える。
その時、一人の衛兵が前に進み出た。
「恐れながら申し上げます」
ゴクリと唾を飲み、ビアンカを見上げるようにして震えながら続ける。
「シルベチカ様が捕縛された日、自分の命と引き換えに家族の助命を願い出たにも関わらず、陛下の命を受けた兵士らが、その夜のうちに公爵家の方々を鏖殺しました」
なぜ、主君を裏切るようなことをとビアンカが眉を顰めると、衛兵は涙ながらに訴えた。
「あの晩、公爵家のみならず、口封じのため、その場にいた使用人達もすべて殺されました。公爵家の侍女として働く、私の妻もまた、その一人です」
あろうことか罪の無い使用人達までも、毒牙にかけたらしい。
ビアンカは「分かった」と一言だけ返すと、跪く国王夫妻と王太子に、告げた。
「申し開きがあれば聞こう。 ……なければ、お前たちの命はここで終いだ」
***
『蒼の国』、国王夫妻と王太子の首がビアンカによって刎ねられ、代わりに王族公爵として叙爵していた王弟が、王位を継承する。
公爵家の一件は、正しく国民の知るところとなり、シルベチカの王太子暗殺未遂についても、晴れて冤罪と認められた。
あの後、ヴェストラキアに戻ったビアンカは、怒りにまかせて暴れたことを猛省し、オーランドに報告をしたその足でシルベチカの元を訪れ、包み隠さず全てを打ち明けた。
如何なる処罰も受け入れますと跪くビアンカに、シルベチカは「ありがとう」とその手を取り、少し悲し気に微笑んだ。
あれから二日。
やはりどこか元気がなく、心ここに非ずといった様子のシルベチカを心配し、イーモップは王宮広場へと連れ出す。
「聖女様、ご覧ください。広場にはまだ続々と民からの貢物が集まっています」
噴水の周りに受付所が設けられ、獣人達が心尽くしの贈り物を携え、列を為している。
「食糧難と聞いていたのですが、こんなに頂いて大丈夫なのですか……?」
見れば皆、卵や魚、肉など、手に手に食物を携えている。
少しだけ目に力が戻ってきたシルベチカを嬉しそうに見つめながら、イーモップが答えた。
「勿論です! 聖女様の喜ぶ顔が見られれば、皆本望です。『蒼の聖女』への期待も幾分込められてはおりますが……」
ああ、そういえば過去、『蒼の聖女』の力で食料難を脱し、歴史的な豊作に転じたのだとか。
何かお返しする方法はないかしらと考えていると、シルベチカが王宮広場を訪れたという報告を受け、オーランドとゴーシュがやってきた。
「聖女様、お気に召した貢物はありましたか? どれかおひとつ、選んで頂いても良いのですよ」
オーランドの問いに、シルベチカは追加の神託を思い出す。
「どれも心が込められており、ひとつを選ぶなど出来ません。何かお返しできたらよいのですが……」
「陛下、王宮広場を国民に開放し、定期的に宴を開くのはいかがでしょうか?」
何かを思いついたらしいゴーシュが、オーランドに提案する。
「実を申しますと、聖騎士団の騎士達は、運動量も多く常に腹を空かせているのですが、何せこの食糧難。備蓄も減り、しばらく満足に食事を採れておりません」
オーランドは「確かにそうだな」と、思案を巡らすように広場へ目を遣った。
「そこで、『蒼の聖女』様のお力をお借りし、貢物の成長限界まで生命を吹き込み、巨大化していただくのです! そうすれば、食料が行き渡るのでは、と。幸い、聖女様のお力は、使えば使うほど純度が高まり、より効力が強まります」
「ああ、なるほど、鍛錬にもなるということか。それは良い考えだな。……聖女様、いかがでしょうか」
ゴーシュの提案に、何かお役に立てるならとシルベチカは二つ返事で頷いた。
「よし、善は急げだ。早速取り掛かろう。イーモップ、聖女様が十分にお力を発揮できるよう、お支えしろ。ゴーシュは料理人を集め、酒の手配だ。私は国民並びに王宮内に触れを出す準備をしよう」
それに、何か作業をしていたほうが、きっと聖女様の気晴らしにもなるだろう。
オーランドの一声で、あっという間に準備が進められ、シルベチカも慣れないながら、イーモップの助けを借りて次々と貢物を成長させていく。
何十倍にも膨れ上がった生鮮食品を、今後は料理人達があっという間に大鍋で調理し、聖騎士団の騎士達が運び、酒樽と一緒に王宮広場へ所狭しと並べられていく。
夕刻を過ぎ、広場に灯りがともると、皿を片手に集まった者達から、わあっと歓声があがった。
「皆の者、本日の宴は聖女様のお力によるもの。引き続き、心を尽くして聖女様にお仕えせよ。……さあ、聖女様、お言葉を」
オーランドの言葉に続き、陛下万歳! 聖女様万歳! とあちらこちらで称賛の声が聞こえる。
「ええと、……この国に温かく迎え入れてくださったこと、心から感謝いたします。少しでもお役に立てるよう、頑張ります!」
歓声が雨粒のようにシルベチカへと降り注ぐ。
「それでは、乾杯!!」
オーランドの言葉を合図に、皆笑顔で杯を空けた。
私でも役に立てたと、シルベチカは嬉しさに少しだけ涙ぐみながら、はしゃぐ獣人達に手を振っていると、オーランドが二杯目の酒を、空の杯に注いだ。
「陛下、本日はありがとうございました」
オーランドと二人で乾杯をし、シルベチカが礼を言うと、「それでは親愛の意味を込めて、名前で呼んでいただけますか?」と三杯目の酒を注がれる。
「まぁ、お名前でなど……それではオーランド様、乾杯」
陽気な周囲の空気につられ、段々と楽しくなってきたシルベチカは、ぐいっと難なく三杯目を飲み干し、四杯目をオーランドの杯に注ぎ返すと、自分の杯にも手酌した。
「ははは、シルベチカ嬢、お酒がいけるクチだな」
あっという間に杯を空にし、さあ五杯目にいこうかというところで、ゴーシュが割込んでくる。
「陛下、今宵は無礼講ですよね!? 聖女様、私も聖女様と乾杯をしたいです」
シルベチカの手から酒瓶を奪うと、ゴーシュがなみなみと酒を注ぎ、杯を満たす。
三人で乾杯をすると、「こう見えて、こいつは酒に弱いんだ」とオーランドがゴーシュの秘密を教えてくれた。
よし六杯目、というところで、今度はビアンカとイーモップがやってくる。
「あ、陛下、聖女様のこと、お名前で呼んでいるのですか!? 聖女様、私もお名前で呼ばせてください!」
そして私のことは呼び捨てで! と既に出来上がっているビアンカと、しこたま飲まされ早々と睡魔に襲われたイーモップが、シルベチカに懇願する。
騒ぎを聞きつけ、『白』の聖騎士団団長であるシロクマのブロンが、自分も仲間に入れろと駆けつけ、『青』の聖騎士団団長、象のブルがぐいぐいと割込んできた。
『黒』の聖騎士団団長であるゴーシュは、団長達の中では一番若いのか、他の団長達に忙しく酒を注いでいる。
「聖女様、お初お目にかかります。『緑』の聖騎士団団長、ハヤブサのアルビンと申します。……オイ、お前ら! 俺を仲間外れにすんじゃねーぞ。」
後ろから腹に響くようなバリトンボイスが聞こえ、目つきの鋭い男が乾杯に加わった。
十杯を超えたところで、数えるのをやめ、酒樽がハイペースで空いていく。
だいぶ酒の回った国王と、聖騎士団の五団長。
同じく泥酔した聖女の膝には、おやすみモードの大神官……レッサーパンダがちょこんと座っている。
無礼講のまま、宴もたけなわ。
ふと手元のブドウに気付いたシルベチカが、お酒ばかりじゃ胃に悪いわよねと一粒もぎり、隣にいたオーランドの口に、ひょいと放り込んだ。
それまで大騒ぎだった面々が、急に黙り込み、しんとなる。
酒で色付いた頬を更に上気させ、オーランドはブドウを食べ終えるとベロリと唇を舐めた。
「シルベチカは、悪い大人の男がお好みのようだ」
少し興奮してきたのか瞳に熱を帯び、わずかに獣化し、捕食者の目に変わる黄金の獅子。
そのまま、シルベチカの首元に鼻を寄せ、クンクンと匂いを嗅ぎだした。
「いや、これはたぶん分かっていないな。……シルベチカ、悪い大人の男なら、断然俺だろう」
この中では一番酒に強いハヤブサのアルビンは、ニヤリと笑って、シルベチカの口にぷにっとブドウを突っ込む。
「……ん? んん、美味しぃ」
もはや呂律が回らなくなりつつあるシルベチカが、もう一粒ブドウをもぎり、お返しとばかりにアルビンの口に押し付けた。
あっと声をあげて、アルビンを睨みつけるオーランド。
「悪いが、相思相愛だな」
膝の上でスヤスヤと眠っていたレッサーパンダを投げ捨て、抱き上げようとしたアルビンの腕をゴーシュが掴んだ。
「何が相思相愛だ。ご存知ないだけだ!」
怒り狂いながら、アルビンの腕を振り払ったゴーシュの口にも、ブドウが突っ込まれる。
「……え?」
「だめよ。楽しい宴で喧嘩はダメ。はい、どうぞ」
とろけるような笑顔で、二粒目のブドウ。
「……せ、聖女様、あの、給餌は求愛行動の一つでしてその……」
あ、あれ、二粒ってことは、もしかして俺が本命……?
小さく呟き、顔を真っ赤にすると、先程のオーランド同様、シルベチカの首元に鼻を近付け、匂いを嗅ぎだすゴーシュ。
こちらも興奮しているのか、黒い耳がぴょこんと飛び出ている。
負けじと割込もうとしたオーランドだったが、アルビンに頭をぐいっと押しのけられ、酔いも相まって後ろにコロンと転倒した。
さらに匂いを嗅ごうとするゴーシュに蹴りを入れ、アルビンは二人のネコ科から奪うようにシルベチカを抱き上げ、ぎゅっと抱きしめる。
逞しい腕に抱かれ、少しだけ酔いが醒めて慌てだすシルベチカを至近距離で見つめ、微笑み、その頬に口付けた。
「……ッ!!」
「あ、あああっ」
「きっ、貴様、不敬だぞ!!」
頬に手を当て、真っ赤な顔でわなわなと震えるシルベチカ。
なお、シロクマのブロン、象のブルは妻帯者のため、若者達の戯れる姿を酒の肴に、黙々と飲み続ける。
アルビン優勢かと思われたこの戦い……だが、次の瞬間、アルビンの身体が後方に吹っ飛び、シルベチカの視界が一気に高くなった。
「愚か者どもが。お前らなんぞに任せてられるか」
シルベチカを腕に座らせ、ビアンカが男達をなぎ倒す。
ゴーシュの頭を鷲掴みにし、見下ろす巨体の女騎士は、聖女様攻略の難易度を物語る。
「聖女様が欲しければ、私を倒してからにするんだな」
壁のように立ちふさがる、陸上最強クラスの肉食動物。
泥酔し、「ビアンカ素敵!」と歓喜し抱き着くシルベチカの頭を撫でながら、ビアンカは豪快に笑った。
一年後の王位簒奪トーナメントは、人化での戦い。
種族差は最小限に押さえられるはずだが……。
あれ? ビアンカが優勝した場合って、聖女様は誰の手に!?
最高難度のラスボスを呆然と眺めながら、明日から鍛錬の量を倍にしようと、男達は心に誓うのだった。
お読みいただきありがとうございました。
モフモフ小説が大好きで、書きたくなっての短編です。
また、本小説ですが、講談社異世界ヒロインレーベルにて、アンソロジーでのコミカライズをしていただけることになりました。詳細につきましては、決まり次第ご報告させていただきます。
これもひとえにお読み頂き応援してくださった皆様のおかげです……。
本当に本当にありがとうございました!!(*ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾
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面白かったよ!と思ってくださった方、ブクマ、★★★★★で応援いただけると、励みになります!感想も、とても嬉しく、大事に読んでいます。
また、他にも小説を投稿していますので、ご覧いただけましたら幸いです。