初田ハートクリニックの法度 コラボスピンオフ 聖詩の場合 〜愛されることを恐れる女性〜
「私、愛されるのが怖いんです」
そう言ったのは聖詩という女性だった。
年齢は三十代。仕事先で同僚たちとうまくいかなくて悩んでいると言うことでクリニックに来た。
薄茶のやわらかそうなロングヘア、華奢な体型。服装はレース素材のブラウスとタイトスカート。たおやかな仕草も相まって、育ちの良さが一目でわかる。
詩に付き添ってきた少年は、夢間と名乗った。
無邪気な笑顔を浮かべる夢間は、鮮やかな色のパーカーがよく似合っていた。金髪は地毛らしい。
「うさぎのかぶりものをしたお医者さんなんて、面白いねー!」なんて楽しげに笑っている。
問診票に目を通しながら、初田は答える。
「愛されるのが怖い、か。詩的だね」
「笑わないんですか」
「どこかに笑う要素があったかな。とりあえず紅茶をどうぞ。ゆっくり話すといい」
二人に紅茶をすすめると、詩も夢間も顔を見合わせてティーカップに視線を落とす。
たちのぼる湯気からは芳香がただよってくる。
「紅茶を提供する病院なんて初めてだね。あ、おいしい。キミも飲んでみなよ」
「……うん」
夢間はためらいなく紅茶を飲み、詩の袖を引く。夢間にも促され、詩はおそるおそる紅茶に口をつけた。
「おいしい」
「それはよかった。根津美さんは紅茶を淹れるのがうまいんだ」
「根津美さんって、受付にいた子ですね。そっか、いいなあ得意なことがあって」
冷えていた指先をティーカップの熱で温めながら、詩は口を開く。
「前の彼氏と別れてから、なんかうまくいかなくて。仕事も、聖さんは当たり障りのないことしか言えないのねって、いわれてしまうし。男友達とも、恋愛として深く愛されるのは怖いし、同じだけの愛を返せないけど、離れるのは怖いの」
「問診票を見る限りでは、家庭環境に問題はないようだね。ご両親は健在だし、仲もよかった。いや、問題が無かったからこそ今悩んでいる訳か」
不自由しない環境で育つのはいいことではある。だが、逆に言うと何もしてもらえない環境に放り込まれたとき、適応するのに時間がかかってしまう。
与えられることを知っているから。
「よく言われます。恵まれてるよねって。恵まれてるくせに贅沢な悩みだって」
「生まれた環境を変えるなんて誰にもできやしないので、そんなやっかみは放っておきなさい。良い家に生まれようと貧乏の家に生まれようと、それぞれに悩みはあるものだから」
初田は自分のぶんの紅茶に口をつけて、扉の方を見る。軽いノックのあと、ネルが入ってきた。
「おにぎりをどうぞ~。今日は良い海苔を仕入れたからいつもよりおいしいはずです!」
「ありがとう根津美さん」
三人分の三角おにぎりが、ティーポットの隣に追加された。
診察室を出ようとするネルに、詩は聞いてみる。
「あの、根津美さん。根津美さんは恋人っていますか? 愛されること、愛を返すの、怖くないですか」
なぞめいた質問に、ネルは一瞬目が点になったものの、笑って答えた。
「恋人はいませんが、言葉にしなくても大切にしてくれているって伝わってくるから、私も大切にしたいです」
「怖くないですか、その人の愛が離れるの」
「その人だけでなく、人はいついなくなってしまうかわからないですよ。だから今を大事にしたいです」
相手が誰なのかはわからないけれど、ネルのいう誰かはネルを大切にしていて、ネルもその人のことが大好きなのが分かる。ネルが退室してから、初田が教えてくれた。
「根津美さんは生まれて間もないうちにお父さんを亡くしているからね。わたしも、父を亡くして十年近く経つ」
「そう、でしたか。そうですよね。不慮の事故もあるし、人はいついなくなってしまうか、わからない」
詩はもう空になったティーカップをそろそろとテーブルにおろす。
事故、災害……本人の意志と関係なく、命が終わるときがある。
「人は愛を確かめずにはいられない生き物だと、言われている。思春期のこどもが親にあれこれ反発するのも、愛されていることがわかっているからこその行動だと。自分を見放したりはしないか、愛を試しているんだ。聖さんの心理も、人として当然のありかたということ。だから、そう思いつめることはないのさ」
「このままでもいいっていうことですか」
「有り体に言えばそうだね。人と人のつながりは、絶対にこの形をしていなければならないなんてことはないんだよ。だから、ルームシェアとか、内縁の妻とか、里親とか、本人たちが納得しているならその形が正解なんだ。まあ、不倫みたいな人に迷惑をかける形でないのが大前提だけど」
そんな不誠実な関係やめろと諭されるかもしれないと思っていたので、詩は拍子抜けしてしまった。
今のままでもいいのだと言われるなんて想像していなかった。
「よかったね。キミはキミのままでいいんだって」
「そうだね、夢間くん」
詩と夢間は、ネルが持ってきてくれた海苔付き三角おにぎりをいただく。
ほどよい塩加減と握り加減のおにぎりは、自信ありだと言うだけあってほんとうにおいしかった。
「怖くてもいいのさ。失うことを恐れるのも、人の心のあり方だから。そちらの夢間くんという子が支えになっているようだし、聖さんはきちんと前を向いて進んでいける人です」
「ありがとうございます」
深々と頭を下げて、詩と夢間は診察室をあとにする。
二人がいなくなってから、初田はネルの言葉を反芻してひっそり笑う。
ーー言葉にしなくても大切にしてくれていると伝わってくるから、私も大切にしたいです。
誰を指しているのか、長い間一緒にいるから分かってしまった。
たまには言葉にして、「大切ですよ」と伝えてあげようと思う初田だった。
こちらは小説家になろうの小説
(偽)新連載!! 幸せになりたい30↑OLのところへオリキャラが突然やってきた!?~夢魔くんとウタたんの幸せ向上生活 作者:唄詠い
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とのコラボスピンオフです。
唄詠い様、コラボ許可ありがとうございました!