理屈屋のエド
無名冒険者カイはやせ細った身体をベッドに預け、殺風景な部屋でただひたすら過去を振りかえっていた。
それは戦いの日々。
狭く汚い天井に描くには不釣り合いな輝かしい栄光の日々。
しかし志半ば。
全てを手に入れる寸前に病魔に襲われた。
人生の全てを賭けた意味は? 問いは堂々めぐりした。
そのうち、それも停止した。
翌日彼は数人の仲間に看取られ息を引き取った。
その葬儀は人類のために『闇』一角と渡り合った英雄にしては細やかだった。
数十年後。
その墓に参る者も全くいなくなり、彼の記憶も彼の仲間たちと共に消えていった。
「もし、そこのもの」
「はい? どうかされましたかお嬢さん」
墓地で管理人に声をかけた女。真っ黒な死に装束で一部の隙も無く、雨も降っていないのに傘をさしていた。
「英雄カイの墓が見当たらぬ。どこか?」
「英雄カイ? はて? もしかして共有墓地の方のかな。お嬢さん、身内のかたかな?」
女は管理人を無視して行ってしまった。
「行っちゃうんだ。たぶん見つけるの大変だろうに」
管理人の心配をよそに女はまっすぐそこへ向かった。
そこは誰の管理も受けず、雑草だらけにされていた。
「本当に死んでいたか。人間め」
女は雑草に手をかざした。すると草はみるみると腐り、枯れて、散っていった。
「お嬢さん、お嬢さ〜ん。暗くなるべさ。あれ〜いない。どこだ? な、なんだこりゃ……!」
墓の管理人は一面の緑とツタが枯れ果て、あらわになった一つの墓を見て驚愕した。
そこには高級品である真新しい本が供えられていた。
管理人は好奇心に負けその本を手に取り、ページをめくった。
◇
都市から離れた僻地。
自然、魔物と魔獣が集まり、人の生活領域を脅かす。
領主が各集落や村に兵隊を行きわたらせることは叶わない。
ならば、頼れるのは荒くれ者のよそ者集団。
そう、冒険者だ。
税の大半を投入した、田舎に不釣り合いなほど立派で大きい建物。
中は冒険者でごった返している。
人が集まればそこは経済活動の中心。
冒険者が集まるところには食事を出す屋台に武器屋、道具屋、神殿から派遣される祈祷療法師、音楽演奏者、詩人と様々が集結する。
しかし今フロアを埋め尽くすのは冒険者ばかり。
ここは『闇』の軍勢との前線だ。
いつもなら酒とけんかに色を添える吟遊新人の音楽もない。
待機している彼らの酒の肴は自分と同じくこんな危険な場にわざわざ足を運んだ変わり者との会話だけだ。
「ここからまた英雄が生まれるかもな」
「英雄? 剣士『暴風奏者』プテラノガルスみたいな?」
「英雄って聞いてまず『暴風奏者』か。おれは『剃刀ランカスター』だな」
「趣味悪いな。おれは……」
新進気鋭の冒険者たち。彼らの会話はいつも決まっている。定番の一つ。誰が最強か。
「やっぱり『不屈』のカイだよな」
最も有名な英雄の話だ。
歴史上英雄・勇者は大勢いる。
槍使い『千年竜王殺し』ビスマルク
重戦士『鉄槌』のプルート
聖女『清浄聖域』ベルディ
いずれも人類を救ったと言っても過言ではない大英雄たち。
しかしこの手の話題で必ず名前が挙がるのは『不屈』のカイ。
最古の英雄だ。
最初の英雄と呼ばれる者。
なぜなら史上初めてその活躍が詳細に伝記に残された英雄がカイだからだ。
それは千年以上昔。
始まりは唐突。『闇』の軍勢の四強の一角、『吸血女帝』との遭遇戦からというセンセーショナルなものだ。15歳。駆け出しだったカイは死にかけるが奇跡的に生き残り、復讐を誓う。そして信頼できる仲間と共に、超常的魔物と再戦する。
都合七度の戦いで徐々に実力は拮抗していく。
読者はこの成長に感動し、不屈の精神を称賛すると共に、その勝利を疑わなかったことだろう。
ところが、8度目の対戦は無かった。
読者の期待に反し、彼は病気で冒険者を引退し、すぐに仲間たちに看取られてこの世を去ってしまう。
伝記の最後はその細やかな葬儀の描写で締めくくられる。
読者としては不完全燃焼であり、最も気になる点に言及されていない。
『吸血女帝』の脅威はどうなったのか。
この点に関しては歴史史料で知ることができる。
『吸血女帝』は突如姿を消した。
その根城はもぬけの殻であり、四強の一角は別の魔物に代わった。
「おれはこう思う。カイはあの『吸血女帝』を倒していたんじゃないかってね」
「ああ、おれもおれも!」
「だよな。『吸血女帝』も同じ頃いなくなってるしな」
謎多き英雄。空想の的だ。
想像を駆り立てる上に、吟遊詩人のアレンジで伝え聞かせられたことで、冒険者たちは思い思いのカイ・ビジョンを持っている。
おまけにカイの伝記は世界中あらゆる言語で翻訳され伝わっており、本当にどこの国、民族でも知られている。世界一有名な人類と言えるだろう。
「あの伝記はたぶん後世の歴史家が記録をもとに想像で書いたフィクションだろう」
そこに水を差す『理屈屋』が一人。
「おい、カイは実在しないってことか?」
「いやモデルはいたかもね。カイという冒険者が死んだ神殿の記録は確かだよ。でもおかしいだろ。あれだけ詳細な描写なのに伝記はカイの死後百年後に書かれている。一体だれが書いたのか不明だし、つじつまがあわないところもある。おそらく――」
男の考察に周囲の冒険者たちは辟易とする。
「そんなことどうでもいいだろ。おもしろければ」
「おれは感動したぜ」
「お前だってそうだろ?」
「もちろんカイの伝記は歴史的に重要な史料だ。勇者の戦術はどれも実戦的でよく練られてる。参考になるよ。魔物の戦い方とかも。それにあの伝記には冒険者志願者を増やす効果があった。そのことからも、一種のプロパガンダ的広められ方をしたのさ。つまり―――」
自然と男の周りから人がはけていく。
「やれやれ、過去の叡知に敬意を払わないとは愚かだな」
こうしてかれこれ3日、誰ともパーティを組めないままだ。実力はある。名前も通っている。しかしこの理屈っぽい性格は冒険者と相性が悪く、エドワード・エルガーが孤立することはいつものことだった。付いた名が『孤狼の知将』。彼が自分で広めた。
『闇』が襲撃しているこの激戦区まできたのは仲間探しのためだ。
それで未だ一人。飲んでないとやっていられない。
「おい、酒を頼む」
何の気なしにテーブルの横を通った女の臀部に話しかけた。
「はい?」
見上げると首をかしげ女性と目が合った。
酔っていても彼女がここの給仕係でないことは明白だ。何せ纏う純白の衣の面積は婚姻前の乙女のごとく広く、肌の一切が秘匿とされている。
露になっているのは辛うじて目元だけだ。
それだけで、相当な美女だとわかった。
「こ、これは失礼した」
「お酒で御座いますね。戴いて参りますわ」
思わず心臓が跳ねる。
(なんて品のある女性だ)
エドワードはしばらく忘れていた実家の、貴族的暮らしを思い出した。
しかし不思議だ。
給仕ではない。
ここの貴族の令嬢でもあるまい。
なら同業者?
いや、神殿の女神官や巫女の衣服ではない。そもそも印が見当たらない。
「お待ちどうさまです。ご一緒しても?」
迷惑なことに人でごった返すフロアで、自分が数人を追い払ってしまいここしか空間的余裕がなかった。自分の迷惑な所業に感謝した。
「もちろんです」
対面に座る女を改めて観察してしまう。
野性味あふれる冒険者たちの中で明らかに浮いている。しかし、不自然なほど注目されていない。
「ギルドの職員の方ですか?」
「えぇ? いえいえとんでもございません」
「では、なぜあなたのような方がなぜこんな場所に?」
ここは冒険者ギルド内のたまり場。
いるのは野性的な感性の荒くれ者たちばかりだ。
「このような場所だからでございます。今この街には『闇』に対抗するために各所から様々な冒険者様方がお集まりです。ワタクシ、多少言語の心得がございます」
「言語の? 通訳ですか?」
まれに急増の大部隊で言葉が通じない者が輪を乱すことがある。
多種多様な種族・民族・国に属する冒険者が集えば、言葉の壁にぶつかるのは必定だ。
通常その場合は調整できる経験豊富な冒険者がなんとかする。
「なるほど、通訳か。しかしなんでまた?」
疑問はもっともである。
読み書きができる者自体が少数だ。さらに複数の言語を操れるともなれば相当な知識階級。わざわざ冒険者の通訳などする必要はない。
それこそ冒険者ギルドの上級職員になれるはずだ。
「それは、冒険者が好きだからでございます」
それはエドワードにとってシンプルでとても共感性の高い回答だった。
なぜなら自分も冒険者が好きで冒険者になったからだ。
「へぇ? 例えば? ボクは『鉄線』だね」
「あら。ワタクシも大好きです。『ルッソ兄弟』や『モモヤマケンノスケ』も」
自然と盛り上がる二人の会話。
ここでエドワードの悪い癖が出た。
「カイについてはどう思う?」
「カイ……でございますか」
「一番有名な英雄だ。でも、伝記の内容はある種のプロパガンダだと思うんだよね」
「と言いますと?」
エドワードは理屈っぽく伝記の解釈を並べ立てた。
通訳の女はそれをしばらく黙って聞いていた。
「一番腑に落ちないのはやはりラストだね。真実実を出そうとして無念の死を描いたんだろう。一種の注意喚起のために。でも無名冒険者の葬儀をどうやって描写したのか」
「あの最後の描写は彼の仲間から聞いたのでは」
即答されてエドワードはドキリとした。
「な、なるほど」
「きっと彼の仲間たちはカイの魅力を後世の人々にも知ってほしいと願ったのでしょう」
「あなたはロマンチストですね」
女はやや不服そうに目を細めた。
「つまり、カイは実在しない。そう言いたいのですね」
「いや、モデルの人物がいただろうことは否定しないよ。実際は『吸血女帝』と戦った冒険者たちの話をつなぎ合わせたんだろうけど」
「理屈っぽいですね。さすがは『理屈屋のエド』」
今度はエドワードが眉を顰める。
「良く知ってますね」
自分が知られていた。それも悪名の方で。
居住まいの悪さを感じ、酒が進み、言葉が続かない。
「なぜそこまでカイにこだわるのです? お嫌い?」
「いいや。大好きだよ」
女は意外そうに目を見開く。
「子供のころ、彼の伝記が家にあってね。夢中になって読んだ」
「あらお坊ちゃまでしたか」
「神から与えられた才覚が無くても、『不屈』の精神で立ち向かい、知恵と勇気で最強の敵と渡りあう。憧れたさ」
「そうですか」
「でもいざ大人になるとね。カイのような冒険者がたくさんいると知る」
「はい、全くです」
エドワードは頷く。
「なぜカイが選ばれたのか。それが不思議でならない。そこまで入れ込んでおきながらカイの人となりについてはほとんど描かれない。さっきあなたは仲間が書かせたと言ったけど、それなら『吸血女帝』以外との冒険や戦い、日常の姿が全く無いのはおかしい。まるで、『吸血女帝』から見たカイを描いているようだった」
エドワードはまた悪い癖がでたことを自覚した。
「そんなことあり得ない。ならやはり空想と考えるべき」
「もしかしたら、本当に吸血女帝が書いたのかもしれませんね」
「え?」
「こんな話はどうでしょうか」
七度挑戦を受けた『吸血女帝』は八度目が無いことを不思議に思い、カイのもとを尋ねる。そこでカイが死んでいることを知る。
自分を苦しめた冒険者が百年も経つと誰の記憶にもなく、もはや敵だった自分しか覚えていないことに淋しさを覚え、本に残すことにした。
「このようなストーリーはどうですか?」
「おもしろい。でもありえないよ。死を悼む心が無い。だから魔物なのだから」
「そうですね。言ってみただけでございます。ですがカイは人々の心の中に確かに存在します。歴史を巻き戻し確かめる手段は魔術師も開発できておりません。ならばあえて、カイの存在を否定することはありません」
「あなたは変わっている」
「それはあなた様ですよ」
こんな話に付き合ってくれる女性は初めてだ。エドワードは舞い上がる。酒の入ったグラスを持ち
上げようとした。
それが女に遮られた。
「うおっと」
「酔いすぎると戦えませんよ?」
その後すぐに二人の会話に終止符を打つように街の警鐘が轟いた。
◇
後に奇跡の勝利と言い伝えられる戦い。
『闇』の圧倒的数に対し、冒険者たちはかすかな勝機を掴み、軍の到着まで街への侵攻を食い止めた。
急ごしらえの冒険者たちが一致団結したことが大きな勝因と言われた。
しかし事実はそれだけではなかった。
「すごい奴だ。噂以上だな。あの『理屈屋』は」
「え? 『理屈屋』って悪口じゃなかったの?」
「本人はそう思ってるだろうし半分そうだろう。けど半分は賞賛もこもってる」
「愛称みたいなものさね。冒険者は向こう見ずで身勝手な輩が多い。それが『理屈屋』がいると有象無象が軍に変貌する」
エドワード本人は認めない。彼が冒険者としては半人前だということを。戦いにおいて力も呪文も使えない。ただの凡庸なヒュームだ。
しかし、彼は全体像を把握して敵の動きを読み、作戦を立てるのが上手かった。
普段は人を遠ざける屁理屈が、戦術へと変わる。
エドワードの戦術がはまり、敵の大部分は奇襲と待ち伏せにより叩き、戦力の要を要所に正しく配置することができた。
奇跡的大勝利に冒険者ギルドでは飲めよ歌えよの大騒ぎだった。
「戦いを終えていかがですか?」
「どうもこうもないですよ。みんなおれの言うことは聞かない。あなたの言うことを聞いていた」
「それも最初だけでございますよ」
「あなたがいて助かりました。おかげで細かい作戦も立てられました」
通訳の女が作戦を翻訳して伝えたおかげで聞き間違いや勘違いという最も起こりうるミスがなかった。
エドワードは進軍についてきた通訳の女が、エルフやドワーフだけでなく獣人たちと話しているのを見た。さらには秘境の山岳民族と口笛のような非言語で意思疎通をしており、彼らの斥候でもたらす情報は勝利に大きく貢献した。
繋がらない情報のネットワークは彼女がいたおかげで齟齬もなく、全体像を描いた。
エドワードはその情報に基づいて、合理的に、『理屈屋』に恥じぬ理屈を並べたに過ぎない。少なくとも本人は、手柄とも思っていなかった。
だから二人は自然と負傷者の手当を手伝い、まだ勝利の美酒をいただいていなかった。
「みんなあなたにもっと感謝するべきだ」
「いえいえ。ワタクシは好きでやっていることでございます。こうして冒険者が戦い、勝利を祝う姿を間近でみられるだけで幸運です」
「変わっていますね」
「あなた様の方こそ」
手当の手際を見ても、相当な知識を持っているに違いない。
エドワードはすっかり彼女のとりこだった。
逆に通訳の女も、エドワードに興味深そうにあれこれと質問をした。
「戦いが始まってまず何を考えましたか?」
「敵の戦力を知ってどう思いましたか?」
「戦いが終わってまず何がしたいですか?」
まるでインタビューだ。
「はは、ボクの活躍でも書いてくれるんですか?」
「それも楽しそうですね。でも物語を描くにはもう少し出世いただかないと」
「それは手厳しい」
一通り負傷者の手当てをして、あとは療法祈祷師に任せようとしたときだった。
彼女が立ち上がりソワソワと落ち着きを失った。
「エドワード様、第二軍です」
「え? でもまだ警鐘は鳴ってないし軍も到着して」
「斥候が笛で、今、おそらくやられました」
二人は急ぎギルドでその情報を伝えた。
◇
奇跡の勝利から一転。
冒険者たちは苦戦を強いられた。
情報のかなめだった山岳民族の斥候たちが真っ先に殺された。
冒険者の中でも戦闘に長けた者たちも、敵の将に討ち取られた。
エドワードは気が付くと暗い森の中で転がっていた。
敗北を悟った。
まさか『闇』四強の一角、『悪魔卿』の一番槍が出張ってくるとはな想定していなかった。
それは敵の第一陣とは全く性質の異なる軍だった。
化け物たちが数にものを言わせ突撃してきた一陣と対象的に、第二陣は作戦を立て、こちらの動きを読み、精鋭を集めて、防衛を突破してきた。
もともと戦力で劣っていた上に、疲弊した彼らに勝ち目はなかった。
しかし、エドワードは諦めなかった。
冒険者の普遍で共通の信念。
それは「不屈」だ。
エドワードは身を起こし、ゆっくりと立ち上がった。
貴族の剣。
習ったままの凡庸な剣術しか彼の攻撃手段はない。それでも、あざ笑うようにエドワードを見下ろす「悪魔将軍」に立ち向かった。
恐怖と絶望を操る権能術中で震える肉体を支えるものがあった。
同じような状況で戦ったやつがいる。
自分がはじめてではない。
相打ち覚悟で飛びかかり切りつけた。
予め用意していたとっておきの聖水をかけた剣は悪魔将軍の腕をかすかに焼いた。
「無駄なことを」
引き換えにエドワードの胴体に風穴が空き、悪魔の腕は容赦なくその臓物を引きずり出した。
「グアアア! ァァァ……」
死の間際。倒れ込む自分の体を支える手を感じた。
目が見えた。
声が聞こえる。
「エドワード様」
「どうして?」
「あなた様の『不屈』、見せていただきました。ですが、ここはまだ物語の冒頭でございますよ」
起き上がる。
傷が無い。
悪魔将軍と配下が気がつく。
「ほう、全回復の秘薬『エリクサー』か」
「万能薬だって?」
それは伝説級のアイテムだ。
そんなものがここにあるわけがない。
だが自分の身に起こったことも事実。あるいは悪夢を見ているのか。
不安からエドワードは女の手を握った。
「ご安心ください。これは純粋な回復薬。副作用はございません」
「副作用?」
エドワードは死の淵から脱したことで覚めた目で改めて自分の手を握る女を見た。
なぜこれまで気が付かなかったのか。
ここまで二度の戦いに随行してきた彼女には全く汚れがない。
そのローブは白いままだ。
街から離れた山中を登るのに、彼女の薄い底の高貴な靴は適さない。
この状況で、彼女は一切汗も掻かず、怯えた様子もない。酒場で話した時と同じ一定の声色だ。
「気に食わぬ。神殿の巫女か? 恐れを知らぬと見える」
悪魔将軍が邪悪なオーラを放った。
「狂乱して恐怖をまき散らす苗床となるがいい。『根源的恐怖〈プライマルフィア〉』」
ぎゃはぎゃはと配下たちが笑う。
半狂乱と化し、不安と混乱で泣き叫ぶ彼女を期待したのだろう。
しかしそうはならなかった。
構造的に汗をかかない悪魔が、身を震わせた。
「ぐっ……これは『呪詛返し』!?」
エドワードには何が起きているのかわからない。
ただ、権能を発動させた悪魔将軍とその配下たちが不安と混乱で殺し合いを始めた。
人語を解し、戦術で自分たちを上回る高度な知性を持つ魔物が、あっさりとその優勢を失ったことに、エドワードは困惑した。
「あらあら。ワタクシ、戦う気はありませんでしたのに」
「な、なんだ貴様は……まさか、神殿が新たに生み出した聖女か? いや……違う。貴様は、貴方様は……」
「今更気がつくとは。『闇』も鈍くなったものよ」
何かを悟った悪魔将軍がそれ以上しゃべることはなかった。
まるで口をふさぐように。
真っ赤な刃が配下もろともずたずたに引き裂き、跡形もなく消滅したのだ。
「お前のせいで、この物語は使えない」
エドワードはその真っ赤な刃の源が、通訳の女であることをはっきりと確認した。
人の術や奇跡の類ではない。
聖水ですら切り裂けなかった上位悪魔に何もさせずに倒した力。
『闇』の将軍級を倒せる者は現代において一人しかいない英雄級か数人だけの優者級のみ。
あるいは人ならざる者。
闇の四強
エドワードは真っ赤な刃を知っていた。
それは最も有名な英雄の伝記に頻出した宿敵の権能。『血・変幻自在武装』だ。
「……『吸血女帝』?」
口に出し、ハッとした。
「それはお忘れください」
目を見るとエドワードは失神した。
◇
千年前。
八度目を待っていた吸血女帝の下に、カイの仲間たちが現れた。
女帝はカイの姿が無いことを作戦だと考えた。
どこかに潜んでいるであろうカイのことを考えながら、かつてないほどの猛攻を受け続けた。
カイの仲間たちは刺し違える位の覚悟で、カイを抜きにして女帝を追い詰めていった。
そしてついに、女帝は決定的な隙を作ってしまう。
敗北を覚悟した。
だが、カイの攻撃はなかった。
拍子抜けし、ひん死のカイの仲間たちに尋ねた。
「カイは死んだ」
「死んだ? まさか。妾以外に敗北したと申すか。『邪竜騎士』か。それとも『混沌魔人王』か?」
「違う。カイは病で死んだ。誰にも敗けていない」
吸血女帝は愕然とした。
たった今、自分に敗北をもたらした男はすでにこの世にいなかったのだ。
それも、自分との激しい戦いを乗り越えた男が、病で死んだことを聞き、ただの人間だったことが意外でならなかった。
弱い人間と戦い、敗北を期した。
吸血女帝は自分が何に敗けたのか、知りたくなった。
女帝はカイの仲間たちを生かして逃がす代わりに、その末期の様子を聞き出した。
仲間たちは眷属にされることを恐れ、墓の場所は教えなかった。
女帝はカイの墓を探した。
自分に敗北をもたらした程の冒険者ならば、すぐにわかると考えたがカイについて知る者はわずかだった。
それは年月を経るほどに如実となり、ついにはその名を知る者は誰もいなくなった。
だから、女帝は自分で記録を残すことにした。
百年が経ち、ようやく彼の故郷にたどり着いた。
◇
エドワードは奇跡の勝利の功労者となった。
しかし、その勝利を誇るでもなく、彼は次なる戦地へ赴いた。
その名声をきけば誰もが彼の指示に従った。
その功績に甘んじることなく、常に『闇』との戦いの最前線に赴く姿勢は冒険者の鏡として賞賛された。
だが、エドワードの目的は他にあった。
激戦地に現れる通訳の女の噂をたどった。
そして、数十年後。
カイの故郷は今や英雄の街。始まりの街として発展していた。
墓には冒険者を志す者や、高位の聖職者、貴族たちが日々参拝に訪れていた。
その中に、黒い死に装束を着て、雨も降っていないのに傘をさす女が一人。
「やっと見つけましたよ」
女が振り向くと歴戦の猛者の如く全身に古傷を宿した初老の男がいた。
「これはこれは『理屈屋』のエドワード様。お噂は聞いておりますよ。ですが追って来てはなりませんよ。ワタクシの正体を知る者を殺さない理由があるとでも?」
「ありますとも」
エドワードは吸血女帝の目をまっすぐみた。
その瞳は鮮血のように赤く、闇を照らすように怪しく光を灯していた。
「あなたには心がある」
「『理屈屋』らしからぬ甘いお考えでございますね」
「理屈を言えば良いのか。なら説明しよう。伝記の著者はカイの勇敢さと想像力豊かな戦術を余すところなく描き、我々読者に感動と興奮を与えた。涙したものもいただろう。著者はただ事実を羅列したのか。違うだろう。この墓地で当時行われた細やかな葬儀をあなたは見ていない。それなのに胸を打つのは、あなたがカイの死を悼んでいたからだ」
女は口元を覆って小さく笑った。
「……エドワード様。あなたの方がよほどロマンチストですよ」
「少なくとも私の身に起きたことは現実だった」
エドワードは生き残ってからすぐに身体の変化を恐れた。
吸血鬼が傷を治す方法は治療ではなく肉体の魔物化。つまり眷属にされた可能性があった。
だが、エドワードはもとのヒュームのままであり、血への渇望もなかった。
それは吸血女帝の血から回復力のみを抽出、分離した『万能薬』だった。
エドワードはそれから『万能薬』ついて調べた。そして著者不明の伝記に手がかりを見つけた。
数世紀前、西の都。聖女『清浄聖域』のベルディに『万能薬』を伝えたとされる『白の伝道師』がいる。彼女の伝記にはその詳細は不思議なほどに描かれていなかった。
他にも冒険者の通訳をした変わり者の記録を冒険者の伝記で見つけていった。
「あなたに倣って、ボクも記録を残すことにしました。栄光を授かれない者への慰めに」
「自伝ですか? ご心配なさらずともあなたの物語はあなたが死んだらワタクシが書きますよ」
「いいえ。冒険者を助ける通訳の女の話です。まずは名前から教えていただこう」
吸血女帝は墓の周りの枯れ葉にそっと手をかざした。
すると枯れ葉は青々と生命を宿らせ、美しい花を咲かせた。
「本を書くのはとても大変ですよ?」
「ならば先輩にご教授いただきましょうか」
『通訳の女』
その序文は自分を導いてくれた英雄カイへの感謝。
一章では聖女ベルディに『万能薬』の製法を伝えた『白の伝道師』
二章では北方で光の大魔術師リーンに『反・暗黒魔術』の秘術を授けた『言葉操る者』
三章では南方の『闘技王』ディークを英雄級冒険者に導いた『闘技王の教師』
そして東の前線で冒険者『理屈屋』エドワードを助けた『通訳の女』
その四人について描かれていた。