聖女が来るから君を愛することはないと言われたのでお飾り王妃に徹していたら、夫と聖女の様子がおかしいのですが
設定ゆるゆる、ふんわり読んでもらえると嬉しいです。
※途中少しだけ虐待を連想させる描写があるので苦手な方はお気を付けください。最後はみんな幸せになります。
書籍版が、3/10にマッグガーデン様より発売されました!
「エデリーン。君には感謝している。だが、私が君を愛することはない」
結婚前日の夜。私は婚約者であるユーリ・マキウス陛下の執務室に呼び出された。
彼はつい先日国王に即位したばかりの見目麗しい新王。だというのに、その表情は暗い。
……まあ、理由は薄々わかっているんだけど。
「それは、聖女さまが来るからでしょうか?」
私が聞くと、彼はゆっくりとうなずいた。
「そうだ。私は聖女を愛さなければいけないんだ」
……愛って、そんな厳しい顔で言うことじゃない気がするのだけど、そこは触れないでおこう。彼の気持ちもわかるから。
「わかりました。私も、さすがに聖女さまをないがしろにしてまで愛してもらえるなどと期待しておりません。そもそもこの結婚自体が、おかしいのですから」
言いながら私はため息をついた。
この国では代々、異世界から聖女を召喚してきた。
何でも、異世界人にしか使えない特別な魔法が、この国を守ってくれるのだと言う。
そのため王が変わる度に異世界から聖女を召喚し、彼女たちを力ある貴族の家の養女として迎え、王妃として嫁がせる。それが慣習で、今回もそうなるはずだった。
なのに。
私――エデリーン・ホーリー侯爵家令嬢――の父が、突然「エデリーンを王妃にする!」と言い出したのだ。
ユーリ陛下は元々第七王子。かろうじて王位継承争いには参加できたものの、生母の身分が低く立場が弱かった。そこへ、後ろ盾となって王まで押し上げる代わりに、私を正妃に迎えろと持ち掛けたのが父だ。
最初聞いた時は「そんな無茶な」と思ったのだが、これがまさかの大成功。
そういえばお父さま、政治と商業に関する手腕はどちらも天才的だったのを忘れていたわ……。
けれど、それって私にとっても陛下にとっても、そして将来やってくる聖女にとっても不幸なことなのよね。
なぜなら、異世界からやってくる少女たちが力を発揮するためには、確固たる条件がある。
それは――聖女は絶対に愛されなければいけない、ということ。
なぜかはよく知らないけれど、とにかくそれが聖女が力を発揮する条件。
幸い、召喚される聖女というのは皆例外なく若くてかわいくて、ついでにこの国では特別な証である黒髪で性格もすごくいいから、歴代国王たちはすぐに虜になったみたい。
国王と王妃(聖女のことね)が相思相愛になることで国の守りはどんどん強くなり、みんながめでたしめでたし――っていう流れなのだけど、考えてみて。そこに私が王妃として挟まっていたら、お邪魔虫以外の何物でもないわ。
父に問い詰めたら「仕方ないだろう。占い屋のばあさまがそう言ってたんだから」の一言で会話が終わって、人生で初めて舌打ちしようかと思ったわ。
私が当時のことを思い出してイライラしていると、陛下が重苦しく口を開く。
「君につらい立場を強いることになって、申し訳なく思っている。私のことを恨んでくれてかまわない。だが、どんなことをしてでも国を守りたいんだ」
その顔は真剣そのもので、私は何も言えなかった。だって父の後ろ盾を失えばユーリ陛下はすぐに蹴落とされるだろうし、父は父で私を王妃にするのは絶対だと言って聞かない。
それに形はどうあれ、彼の国を思う気持ちは本物なのだ。
国王と聖女が愛し合えば愛し合うほど、国の守りは強くなる。逆に言うと愛情にひびが入れば、守りにもひびが入るということ。
先代国王、つまりユーリ陛下の父王は、最初の数年は聖女と仲が良かった。けれど時がたつにつれ、もともと遊び人であった血が抑えきれなくなってしまったらしい。
令嬢や侍女たちに次々と手を出し、何人もの王子王女を産ませてしまう。そのうちの一人がユーリ陛下だ。
当然、聖女である前王妃さまは怒り狂い、そして力を失った。そのせいで我が国はもうここ十年ほど、ずっと魔物の脅威に脅かされ続けているのだ。
だからご兄弟の中で誰よりも優しく、そして誰よりも真面目なユーリ陛下が思いつめるのも無理はない。彼もまた、母親を魔物によって失ってしまったのだから。
「気にしないでくださいませ。先ほども言った通り、私は百も承知です。その代わり、私は私で好きにさせていただきますわね」
「もちろんだ。生活面で君に不自由はさせないと約束しよう」
それで私たちの話はまとまった。
ま、元々上位貴族たるもの愛のある結婚など期待していない。むしろ公務やらなんやら、めんどくさそうな役割をこなさなくてもよさそうで気が楽だ。全部聖女がやればいいのだから。
私には魔力もなければ特別な力もない。役立たずなお飾り王妃として、一人趣味に没頭――じゃなくて、陰から応援させてもらうわ。
◆
……って思っていたのに、一体何がどうなっているの?
聖女召喚のためにしつらえられた部屋の中。困り果てた顔のユーリ陛下と、同じく困り果てた顔の大臣やら神官たちやらに囲まれて、私は目の前で泣く女の子を見下ろしていた。
召喚紋の上でガタガタと震えているのは、ざんばらに切られた黒髪の、どう見ても五歳かそこらの幼女。……確かに聖女はいつも若いけれど、これはいくらなんでも若すぎるのではなくて!?
私が説明を求めてぐりんっと視線を向けると、陛下は苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。
「……彼女が今期の聖女、らしい」
ぐりんっと、今度は神官に顔を向ける。どうなってるのよ! と目で説明を求めれば、顔に汗を浮かべた大神官が進み出た。
「その、国の力そのものが弱っているせいで、どうやら召喚がいつもみたいにうまくいかなかったようで……」
遠回しに自分たちの責任じゃないことをアピールされているけど、そんなことよりもっと気に掛けるべきことがあるでしょう!
「この子、元の世界に帰せないの?」
今まで召喚した聖女たちはなぜかやたら適応力が高く、「これが異世界召喚なのね!?」と目を輝かせながらこの世界になじんでいったらしいけれど、この女の子はどう見ても違う。完全に誘拐だ。
「残念ながら……」
大神官が汗をふきふきしながら言う。私はまた舌打ちしたくなった。
「どうやらこの子だけ言葉も通じないようだ。……そして私が近づくと、怖がる」
言いながら陛下が一歩足を踏みだすと、聖女はびくっと肩を震わせた。
……まあ無理もない。ユーリ陛下は先王に似てすらりとした長身美男なのだけど、わけもわからず変な場所に連れてこられた五歳児から見たら怖いだけよね。
陛下が暗い顔で言う。
「来てからずっとその調子だ。うずくまって、一歩も動こうとしない」
――もうお手上げ、というわけね。
とりあえず王妃だから、私も呼ばれたってところかしら。
私はため息をつきながら、目の前の聖女を眺める。
彼女は体を抱きかかえるようにして震えていた。体にぴったりした風変わりなシャツとズボンを着ており、袖から覗く手首はずいぶんと細い。
「……あら?」
そこで私は、ふとあることに気づいた。
裾から覗く手首……のさらに奥、腕の部分に、紫色の何かが見えたのだ。
私がつかつかと歩み寄ると、少女はまたびくりと震えて自分を守るように頭を抱えた。
……この反応、いくらなんでも怖がりすぎだわ。まるで私にぶたれると思っているみたい。
ゆっくりとしゃがみ、できるだけ優しい声で話しかける。
「……ごめんね、少しだけ体を見せてね」
言いながら少女の服をまくり上げると、予想通り、そこには紫のあざが散乱していた。――殴られた跡だ。
私はぐっと唇を噛んだ。
こんな幼い子に、なんてひどいことを。
顔も知らない保護者への怒りがふつふつ湧いてくるが、今はそれをグッと抑え込む。私は彼女から離れると、陛下を見た。
「陛下。お願いがあります。どうかしばらく、私と彼女を二人にしてもらえないでしょうか? それから、肌触りのいい毛布と私のスケッチブック一式を」
ユーリ陛下の目が細められる。だが彼は私の家族構成を思い出したのだろう。すぐにうなずいた。
「わかった、君に任せよう。道具も用意する。他に必要なものがあったら言ってくれ」
「でしたらあたたかいスープもお願いしますわ。それとお菓子も」
私の言葉に、陛下はすぐ言う通りにしてくれた。心配顔の大臣や神官たちを叩きだし、侍女たちにも外に出てもらい、二人きりになる。
少女は相変わらず、かわいそうなぐらいガタガタと震えていた。
その姿に胸を痛めながら、私はそっと歩み寄る。怖がらせないようしゃがんで目線を合わせてから、細い体にやさしく毛布を巻く。
「……大丈夫、怖くないわ。私はあなたを叩いたりしない」
それから少し離れたところに座る。私は床に紙を広げると、少女には構わずチョークを走らせた。
大きな窓から夕日が差し込む中、部屋に響くのはシャッシャと言う静かな音だけ。その音に慰められるように、少女の体からだんだん震えが消えていく。
気づくと彼女は、毛布に丸まったままじっと私の手元を見つめていた。にこっと微笑むと、すぐさま顔がそらされる。……そろそろ、頃合いかしら。
「見る? 私、絵は上手なのよね」
言いながら、絵をトンッと立ててみせる。途端、こちらを向いた少女の目が丸くなった。
そこに書かれていたのは、彼女の肖像画だ。
昔から絵だけは得意で、妹たちを喜ばせるのによく使った手なのだ。
「ね、なかなか上手だと思わない? そっくりでしょう」
言いながら、絵を少女の前に置く。彼女は何も答えなかったが、その瞳はキラキラと輝いていた。こうしてみると、聖女だけあって幼いながらにも美少女だわ。
それから私は、人差し指で自分の顔を指さした。
「わたしはエデリーンよ。エ・デ・リーン」
何度も指しながら名前を繰り返せば、彼女も理解したらしい。次に少女を指さす。
「あなたの名前は?」
少女はしばらくためらってから、ゆっくり口を開いた。
「……アイ」
鈴のように可憐な声。私はにっこりと微笑んだ。
「そう、アイっていうの。よろしくねアイ。私たち、仲良くしましょう」
――それから聖女アイと私と、それから陛下も含めた新生活が始まった。
◆
「まあ、アイは絵が上手ね! それに頭もいいわ。陛下もそう思いませんこと?」
アイが書いたリンゴの絵と、その下に書かれている文字を見て私は思い切りほめちぎった。彼女は恥ずかしそうにもじもじしている。
「……ああ、確かに上手だな」
隣で、どこか困惑した表情で言ったのはユーリ陛下だ。
私たちは今、アイに与えられた部屋で彼女の勉強に付き合っていた。
「陛下、そういう時はもっと大げさにほめてください。ほら、もう一回!」
恐れ多くもひじでどつけば、陛下はこほんと咳払いした。
「その……五歳の時の私よりすごく上手だ」
彼なりの不器用な褒め方に、思わず笑ってしまう。陛下はむっと顔をしかめた。
「だめだったか?」
「いいえ、陛下らしくていいと思いますわ」
見れば、アイもかすかにだがはにかんでいた。相変わらず言葉は出ないが、こちらが言っていることは理解できるらしい。それだけで十分だ。
私は毎日アイと一緒に過ごした。
彼女と一緒にご飯を食べ、文字や言葉を教え、一緒にお風呂に入り、夜は抱きしめて眠る。初めはずっと怯えたように私を見ていたアイも、やがて安全だとわかったのだろう。蕾が花開くように、みるみる元気に、可愛くなっていった。
髪は艶を取り戻し、瞳にキラキラとした活気が宿り始める。
同時に、政務の空き時間にユーリ陛下がちょくちょくやってきて一緒にお茶を飲むことも増えた。
「最初は無責任な神官たちにぶち切れそうでしたけれど、結果的によかったのかもしれませんわね」
治りかけてきたアイの傷を見ながら、私は陛下に言った。
「そうだな。どんな理由であれ、子供を殴る親の元になんていさせられない。……親が目の前にいたら、即座に斬り捨てていたところだ」
陛下の目がギラリと光る。私は深くうなずいた。
「私なら魔物の群れに放り投げてやりますわ」
あ、今のは無神経だったかしら。慌ててアイの方を見ると、彼女は困った顔でこちらを見ている。
「……ごめんなさい、あなたのご両親を悪く言ってしまったわ」
「すまない。君を前に言う言葉ではなかった」
そろっておろおろする私と陛下を見て、アイはにこりと笑って首を振った。それから小さな体が私の胸に飛び込んでくる。あたたかい体に、私は少しだけ泣きそうになった。
アイに、囁くように語りかける。
「……アイ、これだけは覚えておいて。実の親であっても、あなたを叩く人は悪い人よ。あなたは愛されるために生まれた子ども。ううん、あなただけじゃない。全ての子どもたちは、皆愛されるために生まれたの。だから自分が悪かったなんて思わないで。あなたはずっと素敵な子よ」
ぎゅっとしがみついてくるアイの頭を、私は優しく撫でた。
この子が聖女だからとか、そんなのは関係ない。ただ私がこの子を幸せにしてあげたい。その一心だった。
◆
そうしているうちに、国に小さな変化が起きていた。あちこちで観測されていた魔物が、少しずつ姿を消し始めたのだ。
それを教えてくれたのは、目を輝かせたユーリ陛下だった。
「アイ、これはきっと君のおかげだな。君の聖女としての力が、国を守ってくれているんだ」
聞かれて、アイはきょとんと首をかしげた。本人は無意識らしい。
「まあ、では陛下の愛がアイに届いたってことですのね! 聖女は愛されれば愛されるほど、力を発揮するといいますものね」
よかったわね、と頭を撫でれば、よくわからないながらもアイは嬉しそうに笑った。それを見た陛下が小声で言う。
「……いや、どちらかと言うと、君の愛が届いたのだと思うが」
「私の?」
今度は私が首をかしげる番だった。陛下が言う。
「聖女は愛されれば愛されるほどその力を発揮する。だがそれは男女の愛に限られたことではないんだ。君がアイを想う力が、何より彼女の支えになっているんだと思う」
「まあ、そうなんですの?」
目を丸くしてアイを見れば、彼女も目を丸くしている。私がアイを愛することで彼女の力になっているのなら……それってとっても素敵なことね。
「ねえアイ……。あなた、よかったら本当に私たちの子にならない? 私と、ユーリ陛下の子に」
その言葉に、アイと陛下が同時に目を丸くした。
「私ずっと考えてたの。私と陛下は仮初めの夫婦だけれど……だからこそ、あなたを守ってあげられると思うの。もしあなたが将来陛下と結婚したいというのなら、公爵家に迎えてもらえれば私が身を引くし……」
「いや、ない。彼女と結婚は絶対にない。アイは子供だぞ」
ぶるぶると首を振る陛下の横で、アイも必死に首を振っている。揃えたかのような動きは、まるで親子だ。私はプッと噴き出した。
「そうね、ここでアイを娶りたいなんて言ったら、陛下を軽蔑するところだったわ」
「君は私を一体何だと思っているんだ……」
額を押さえる陛下を見て、私とアイは笑った。
そんな時だった。廊下からバタバタと音がしたかと思うと、騎士たちが慌てた様子で部屋に飛び込んでくる。
「陛下! 大変です! 召喚の間に突如謎の召喚紋が現れました! けれど禍々しい気配、もしかしたら魔物かもしれません!」
「なんだと? すぐに行く! 騎士団を集めよ!」
腰に剣を携え、陛下が飛び出していく。それを見ながら、私も急いで振り向いた。アイを安全なところに避難させようと思ったのだ。
だがアイは、何かを感じ取ったかのようにピンと背筋を伸ばしたかと思うと、陛下の後を追って走り出した。
「アイ! 待って! そっちは危ないわ!」
私は追いかけた。
◆
召喚の間では、今まで見たこともない異常な瘴気に覆われていた。吸っただけで胸を悪くするような、どす黒い気だ。部屋に入ってすぐ、私はウッと鼻を覆った。部屋の中では、騎士たちが皆苦しそうに顔をしかめている。
「アイ!? なぜここに!?」
陛下の声だ。見れば、大きな黒い渦の前に立った陛下の服を、心配そうな顔のアイが掴んでいた。
「アイ! 危ないわ! こちらに来るのよ!」
私がアイの腕を掴み、連れ出そうとしたそのときだった。
キィィイイン、という奇妙な音とともに空間がぐにゃりと歪み、渦から青白い手が突き出される。
私は咄嗟にアイを隠すように抱きかかえた。魔物が襲ってきても、彼女だけは守らなければ!
「エデリーンとアイを守れ! 傷ひとつつけさせるな!」
陛下の怒号が響く。すぐさま騎士たちが、私とアイの周りを囲んだ。そんな私たちの目の前に、渦の中からゆっくりと魔物が――いや、人間が現れた。
「マ、マ……?」
胸の中のアイが、小さく呟いた。
「え?」
私は渦から現れた人間を見る。
現れたのは、男と女の二人組だった。どちらも私より年上に見える。彼らはアイと同じ風変わりな服を着て、けれど目は血走り、すさんだ空気を醸し出していた。
驚いて見つめていると、二人がアイに気づいたらしい。
「愛、てめぇ! 今までどこにいたんだよ!」
「そうよ! あんたのせいで警察に捕まっちゃったじゃない! このままじゃあたしたち逮捕されちゃう、早く帰るわよ!」
なんて叫びながら、近づいて来ようとする。
「――そこまでだ。我が国の聖女に手出しするなら、容赦はしない」
スラリと剣の刃を輝かせて、陛下が二人の行く手をさえぎった。
「な、なんなんだお前! 変な服着て……警察呼ぶぞ!」
「その子はあたしたちの子だよ! 早く返して!」
だが陛下は冷たく睨んだまま、全く動じない。たじろいだ女がアイに向かって叫ぶ。
「愛! おいで! ママと一緒に帰ろう!? 家に帰れば、おいしいケーキがあるよ!」
アイは震えながら、ぎゅっと私にしがみつく。私は叫んだ。
「おだまりなさい! あなた方にこの子の親を名乗る資格はありません! アイはうちの子です!」
「なによあんた、えらそうに……! あんたなんかただの誘拐犯じゃないの! アイ! わがまま言ってないでさっさと帰るよ!」
カッと頭に血がのぼる。私はいてもたってもいられず、アイを騎士に預け、ずかずかと女の前まで歩いていった。それから叫ぶ。
「誘拐犯で結構よ! アイはうちでたっぷり甘やかしてたっぷり可愛がってたっぷり幸せにしますから、どうぞお構いなく! さっさとお引き取りください!」
それから両手で力の限り、どんと女を押した。彼らが渦から来たのなら、渦からお帰りいただけばいいのよ!
「きゃっ!」
目論見通り、バランスを崩した女が渦の中にずぶずぶと倒れこんでいく。
「てめぇっ……!」
隣に立つ男が、私に殴り掛かろうとしていた。だが男の拳が繰り出される前に、陛下が男のみぞおちに拳を叩き込んだ。そのまま流れるように鮮やかな回し蹴りを入れて、渦の中に蹴落とす。
陛下が叫んだ。
「アイ! 君はどうしたい! 私たちの子になるか!? それともあちらの世界に帰りたいか!?」
アイは泣いていた。泣きながら、小さな体で叫んだ。
「わ、わたしは……エデリーンにママになってほしい! パパは、へいかがいい!」
――アイが叫んだ瞬間、渦が爆発音を立てて霧散した。アイの両親だと言う人間も消えていた。後に残されたのはこの国の人間と、アイだけ。
「アイ!」
私はすぐさまアイの元へ走り、小さな体を抱きしめた。アイがぎゅっとしがみついてくる。その頭を、陛下が優しく撫でる。
「……アイ、酷なことを聞いて悪かった。その代わり、私たちが君を大事にしよう。君の本当の両親の分まで、いやその何倍も幸せにしてみせる」
その言葉に、アイはうなずきながら泣いていた。私から離れておずおずと、けれどしっかりと陛下に抱きつく。
それを微笑んで見ていると、陛下が今度は私を見た。
「……その、エデリーン。君も、私とともにアイの親になってくれないだろうか」
「もちろんですわ。私は仮とは言え陛下の妻です。誠心誠意、尽くさせていただきますわ」
けれど私の言葉に、陛下が口ごもる。あら? 欲しかったのはこの言葉じゃなかったのかしら?
「その……それなんだが……仮というのも、もうやめたいのだがどうだろう……?」
「えっ?」
私がきょとんと見つめると、陛下はぼっと顔を赤らめた。
「いや、その、都合がいいことを言っているのはわかっている。……だけど私は君と、夫婦になりたいんだ。愛のある、本物の夫婦に」
いつも淡々としている陛下が、耳まで赤くなっていた。
言葉の意味がわかって、じわじわと胸があたたかくなる。私はこらえきれず、微笑んだ。
「もちろんですわ――ユーリさま」
そんな私たちを、アイがニコニコしながら見つめていた。
――アイ。私のかわいい小さな聖女。
彼女は私と陛下がたっぷりと愛を注いだ結果、やがて歴史上の誰よりも強い聖女へと成長することになる。
国に平和を与え、先代聖女にも心の平穏を与えた彼女の歩みは今後もとまらない。
私と陛下。それから血の繋がらない姉に密かな恋心を抱く歳の離れた弟とともに、ずっとこの国に紡がれていくのだ――。
〈終〉
もし気に入っていただけたり、おもしろいと思ったら
ブクマや下の⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎で評価していただけるととても励みになります。
書籍版は3/10にマッグガーデン様より発売中です。