懸念事項と見せつけ
ランチの時間が終わり、そろそろ移動を始めようかという時、セオフィラスが思い出したかのように口を開いた。
「そうだ。来年から新たに教師が増えると聞いたんだけれど……少し、注意をしておいてほしいんだ」
「注意、ですか?」
セオフィラスの表情からは、言うべきかどうか迷っているのが窺えた。迷った末に話すことに決めてくれたのだろう。レセリカは続きを待った。
「うん。教師の名は、シィ・アクエル。レセリカは聞いたことがあるかな? 水の一族の者なんだけれど」
水の一族、と聞いてレセリカはハッと息を呑む。セオフィラスの口から元素の一族について語られたことに驚いたのだ。
ヒューイやダリアのことを隠している身として、どうしても緊張してしまう。
「その様子だと、ある程度は元素の一族について知っているね?」
「は、はい。その、詳しくは知らないのですが」
おかげで、セオフィラスにも悟られてしまったようだ。それ以上を知られないように、レセリカは焦りながらも無難な返事をした。
無表情の仮面が役に立っている。セオフィラスは特に不思議がることなく小さく頷いた。
「水の一族は、報酬さえ払えばどんな仕事でも請け負うという一族でね。……今は誰が彼らを雇っているのかわからないから。念のため、ね」
なんでも、水の一族は常に誰かから雇われている状態だという。ただ、受け取っている報酬を上回る金額を提示されればあっさりと雇い主を変更する厄介な一族でもあるらしい。
ただ雇う貴族側としてはそれを知りつつも、お金さえ払えばどんな仕事でもしてくれるとあって、元素の一族の中では最も依頼しやすい者たちだ、という認識なのだ。
金額によってあっさりと裏切るというのは、とても恐ろしいことだとレセリカは思うのだが。依頼する彼らは心配にはならないのだろうかと疑問に首を傾げてしまう。
「アクエルの者は基本的に外面が良い。優しそうだとか、気さくな人だとか思うかもしれないけれど、絶対に気を許してはいけないよ。水の一族は……表情も変えずにどんな仕事も完璧に遂行するから」
セオフィラスが言葉を選んでくれたことにはレセリカも気付いていた。
つまり人を害するような依頼、さらにハッキリ言うならば人殺しも顔色一つ変えずにするということだ。
しかし、水の一族は地の一族を直接的に害することは出来ない。その点、セオフィラスやレセリカは安全と言えるのだが。
(どんなことにも、抜け道というものはあるものね)
例えば、この薬をカップに入れてくれと言われればその薬がどういったものであれ、言われた通りにカップに入れるだろう。それによって地の一族である誰かが亡くなったとしても、直接その人を狙ったわけではないから問題ない、というように。
この程度のことを素人のレセリカだって思いつくのだ。悪いことを考える人はいくらでも抜け道を探し出すだろう。
「元素の一族については情報が少ないから、私もあまり詳しくは説明出来ないんだ。念のため警戒して、としか言えなくてごめんね?」
恐らく、もう少し詳しく知ってはいるのだろう。しかし、今この場で話せるのはこのくらいなのだとレセリカは理解した。察しの良い婚約者なのである。
それはそれとして、今日は夜にでもヒューイやダリアとこのことについて話をしようと心にメモすることは忘れない。
「わかりました。気を付けます」
「んー、そうは言っても心配だな。少し護衛を増やそうか……なんといっても君は私の婚約者だからね。私と同等の警備は必要だと思うんだ」
聞き分けの良いレセリカを見て、難しい顔をするセオフィラス。
この学園は王城とほぼ変わらないほど安全面に気を配られているのだから、少し過保護かとも思うのだが。とはいえ、レセリカの立場を考えればその心配もわからないではない。
「それなら、ベッドフォード家から護衛をつけたいのですが……許可をいただけるのであれば、ですけれど」
セオフィラスの心配も汲みたいが、城からの護衛がつくとなるとレセリカも今後、動きにくくなる恐れがある。
苦肉の策として実家からの護衛をと咄嗟に口にしたが、悪くない提案に思えた。
「なるほど。慣れた相手の方がレセリカも気負わずに済むよね。話を通しておくよ。連絡はそちらの侍女を通じればいいかな?」
「はい、よろしくお願いいたします」
そして、その提案はセオフィラスにも好意的に受け取ってもらえた。これで、自分が動きにくくなることもない上に、万が一にもヒューイの存在を見られても言い逃れが出来る。
正体については今後も明かすつもりはないが、存在さえも隠しておかなければならないよりはずっと気持ちが楽になる。レセリカはホッと息を吐いた。
片付けを済ませ、それぞれが席を立つ。カフェテラスの一階に下りると、キャロルとポーラがレセリカを待っていてくれていた。他にも、同じクラスの女生徒の姿が見える。
それがとても嬉しくてくすぐったく、レセリカは口元に笑みを浮かべた。
「……レセリカは最近、本当に良い友達に囲まれるようになったよね。いや、ほら。思惑を抱えた者が近寄ってくることってあるでしょう?」
「そうですね……入学前や入学当初はそれも多かったのですが」
そんなレセリカの様子を見て、セオフィラスも自分のことのように嬉しそうに笑んだ。彼女たちが、レセリカの立場に擦り寄ってくるような人ではなさそうなのはすでにわかっているからである。
ちなみに、そういった者たちを追い払っていたのはダリアだ。面会やお茶会の誘いはまず侍女であるダリアに来るのだから。
対応を任せっぱなしにして申し訳なかったとレセリカが言うと、セオフィラスは感心したようにダリアに目を向けた。
「君の侍女はとても優秀なんだね。より安心したよ」
その言葉を受け、ダリアはレセリカの背後で綺麗に礼をしてみせた。
「それではセオフィラス様。また来週、ですね」
「……ああ、そうか。来週まで会えないんだったっけ」
レセリカが向き直って挨拶をすると、セオフィラスは少し何かを考えるように顎に手を当てた後、ニッコリと微笑んでレセリカの手を取った。
「名残惜しいけれど……」
手の甲に、セオフィラスの唇が触れる。
それを認識した瞬間、レセリカの顔があっという間に赤く染まった。
「っ!?」
「今はこれで我慢するね。じゃあ、また」
満足そうな笑顔を向けて、セオフィラスが先に立ち去っていく。背後ではキャーという女生徒たちの歓声が響き渡った。




