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ドレスと少しのワガママ


「ああ、これなんていかがでしょう。お嬢様は本当にお美しいからどんなドレスでも似合ってしまいますわぁ」


 この日はパーティー用のドレスを決めるため、屋敷に仕立屋が来ていた。


 貴族御用達の「仕立屋ジョイス」は、界隈ではかなり有名だ。従業員は腕利きが揃い、誰に頼んでもその出来は素晴らしいと評判である。

 依頼するには長い月日を待つか、誰かの紹介状が必要となっている。特に最も腕が良く、店のオーナーでもあるレディ・ジョーにドレスを頼むのは世の令嬢たちの憧れでもあった。


 そして今日。ベッドフォード家にはそのレディ・ジョーが直々に来てくれている。それもこれも、オージアスが無理に予定を捻じ込んだから、らしい。

 そのせいでレディ・ジョーは内心で苛立っていた。しかし公爵家からの依頼を無碍には出来ない。仕事は仕事と割り切って、不満を表に出すことも決してしなかった。


 彼女は仕事にプライドを持つ、芯の強い女性なのだ。


「やはり、瞳の色と同じ紫のドレスですわね。デビュタントのドレスとしては少々大人っぽくなりますが、レセリカお嬢様なら完璧に着こなせるでしょうし」


 ただ、どうしたって心の内では不機嫌である。仕事はきっちりこなすつもりだが、お偉い方だからと(へりくだ)ってやるつもりもなかった。

 当たり障りのないデザインを勧めてさっさと決め、縫製だけは決して手を抜かないようにすればいい。


 たっぷりとした赤毛の長身美女、レディ・ジョーは人当たりが良い外面の裏で、実は人の好き嫌いがハッキリとした気難しい人物でもあった。


 そんな不機嫌なレディ・ジョーだったが、レセリカを初めて見た時の印象はなかなかの高評価だった。

 まず何より、その見目の良さ。ホワイトブロンドのサラサラとした髪は手入れも行き届いていて天使の輪が見えるし、珍しい紫の瞳は理知的で見る物を惹きつけるだろう。姿勢も良く、体幹も鍛えられているのが見ただけでわかる。


 その上、キャンキャンうるさくするでもなく、ただ黙ってこちらの説明に耳を傾けているところが良かった。煌びやかなドレスカタログや布地を前に、頬を紅潮させるでもなくただ……ひたすらに無表情で。


(反応がなさすぎるのも嫌だけれど、ワガママ放題されるよりずっとマシだわね)


 笑えばさらに周囲を虜にするだろうに勿体ない。父親に似たのだろう、かわいそうに、とレディ・ジョーは内心で失礼なことを考えていた。


 当たり障りのないデザインを選びはしたものの、彼女の目利きは確かだ。レセリカは美人顔であるし、他の者ならば背伸びをしすぎだと思われそうなドレスでも、この子なら着こなせると瞬時に判断した。

 間違いなく、彼女にはこれが最も似合う。その他、デザインや装飾についてまで面倒を見る気はなかったが、きちんと最適解を考えて選んだドレスだった。


 一方で、レセリカもまたこのドレスが自分に似合うことは重々承知していた。前の人生の時に仕立ててもらった物とほぼ同じなのだから当然とも言える。

 微妙に違うのは、仕立屋が彼女ではなかったからだろう。それでも、似たデザインになるのはそれほど自分にはこのタイプが似合うということでもある。


「ふむ。ならばこれに決めるか、レセリカ」


 前の人生でも、オージアスが同じようなことを口にしていたのをレセリカは思い出す。

 これまでだったなら、ここで素直に首を縦に振るだけで終わっただろう。ドレスに興味のない父のために、早く決めて話を終わらせた方がいいと焦った覚えがあるからだ。レセリカ自身も、特にこだわりがなかったのだ。


 ただ、今回は少し違う。この紫のドレスを見ると、レセリカはどうしても忌まわしき記憶を思い出してしまうのだ。


 無実の罪を突きつけられた夜会で着ていたのも同じ色、似たデザイン。彼女の着るドレスはいつも紫の大人っぽいもの。色の濃淡に違いはあったが、大きく印象が変わるドレスを着たことはなかったのだ。


 レセリカにとって嫌な記憶の中の自分は、いつだって紫のドレスを着ていた。


 ドレス自体はそれなりに気に入っていた。だが、あの記憶がレセリカをどうしても躊躇させる。


 黙ったままのレセリカを見て、オージアスは何かを察したようだ。

 花瓶事件の後、レセリカと毎日のように挨拶を交わし続けたことで、ほんの少し娘のことを理解出来るようになった父は、娘の僅かな変化に気が付くようになっていた。素晴らしい進歩である。


 レセリカの健気な行動は、本人の知らぬところで見事に堅物な父に良い影響をもたらしていたようだ。


「レセリカ。何かあるならハッキリ言いなさい。黙っていてはわからん」


 ただし、言い方はぶっきらぼうなままである。それでもレセリカは、ちゃんと気遣いの言葉と受け取った。これも慣れてきたからこそかもしれない。

 やり取りを聞いていたレディ・ジョーは、この男はまだ七歳の娘に対してもこうなのか、と笑顔を引きつらせていたが。


 父にこうまで言われたのだからと、レセリカはちゃんと自分の意見を伝えることを決意する。と共に、またワガママを言ってしまう、最近はワガママばかりで気が引けるのに、という葛藤もしていた。


 しつこいようだが、レセリカの行動でワガママと呼べるほどのことは何もない。全てレセリカ甘やかし隊である使用人が勝手にやっていることである。


「あ、あの。これが、気になるのです……」


 意を決したレセリカがそう言って指し示したのは、まったくイメージにはない淡いピンク色のドレスだった。デザインもシンプルなエーラインではなく、幼い女児が好みそうなふんわりとしたプリンセスライン。


 レディ・ジョーはその発言に大きな衝撃を受けた。無表情なレセリカは、その見た目通りに大人っぽいものを好むだろうと勝手に決め付けていたからだ。

 よくよく考えれば、まだ七歳の少女。お姫様に憧れていてもおかしくはない年頃である。レセリカもまた、普通の女の子なのだと思い知ったのだ。


(わたくしも、まだまだですわね……)


 この時、レディ・ジョーの職人魂に火が点いた。


 実際はレセリカにそういった意図はない。ただこれまでのドレスとはまるっきり正反対のイメージの物を選んだだけである。


(いいでしょう。この色とデザインでこのお嬢様に似合う完璧なドレスを作ってみせますわ!)


 本気になったレディ・ジョーはそれから細かい部分を徹底的に、そして恐るべき速さで詰めていく。オージアスやレセリカ、さらに使用人たちは一様にその勢いに押され、いつの間にかただ頷くのみとなっていた。


「ひと月後、ドレスをお持ちいたしますわ」


 そうして全てを話し終えたレディ・ジョーはそれだけを言い残し、まるで嵐のように去って行ったのだった。




 ひと月後、レディ・ジョーは達成感に満ちた表情でベッドフォード家を訪問した。顔に疲労感が滲んでいたが、美しさとエネルギッシュさは健在だ。


「さぁ、ご覧くださいな。レセリカお嬢様だけに似合う、素晴らしい仕上がりになっていますわ」


 出来上がったレセリカのドレスは、胸元で切り替えてあるプリンセスラインのドレスだった。

 胸元はレセリカの指定した淡いピンクだが、スカート部分はくすみカラーのピンクとなっている。しかしたっぷりとしたチュールで仕上がっているので、全体的に愛らしくも上品な印象を抱かせた。

 また、袖と首元はレースで出来ており、肌の露出が少なく清楚な雰囲気だ。形が可愛らしいので甘くなりすぎないよう、当日は髪をアップに、コサージュはシックなものにしようということで話はまとまった。


「ホワイトブロンドの髪はどんなドレスも美しく着こなせますわね。瞳もお美しいので、スカートの色味はほんの少しだけ紫がかったものにさせてもらいましたの。絶対にお似合いになると思って!」

「ええ、とても素敵。本当にありがとう。ワガママを言って、ごめんなさい」


 やや興奮気味に語ったレディ・ジョーに対し、口元に少し笑みを浮かべてお礼を告げるレセリカ。

 そんなお嬢様を見て、レディ・ジョーは動きを止めた。


 出来上がった後も、あーでもないこーでもないと文句を言われることの多いこの仕事。そうではない時ももちろんあるが、プライドの高い貴族たちは褒める時だって上から目線であることが多い。きちんとお礼を言ってくれる人もいるが、とても少ないのだ。


 それでも報酬はいいし、自分が好きでやっている仕事だからといつも不満を呑み込んでいた彼女にとって、レセリカの奥ゆかしく素直なお礼は心に染み渡る。何日も徹夜で作業をした後の今は特に。

 レディ・ジョーが末永くレセリカの仕立てをすると心に決めたのは、当然の流れであった。


 こうしてまた一人、レセリカは知らぬ間に自分のファンを増やしたのである。


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