心配と調査の依頼
ダリアが渋々と言った様子で侍女の待機部屋へと向かうのをレセリカが見送る。その背後で、ヒューイは愉快そうに頭の後ろで手を組んでいた。
「すげぇ。侍女のあんな顔、初めて見たぜ」
「もう、ヒューイったら。言わないで? すごく心苦しかったのよ?」
いつもしてやられることの多いヒューイにとっては、少々気分の良いものであったらしい。先ほどからずっとニコニコと嬉しそうである。
気を取り直して、レセリカはヒューイに向き直った。それから神妙な面持ちでヒューイに告げる。
「調べてもらいたいことが、あるの……」
レセリカの真剣な様子とは裏腹に、ヒューイはこの展開をある程度期待していたのだろう、パッと顔を輝かせた。
「マジ!? やった、仕事だな? 何? 王子サンの私生活? それともオリエンテーションの尾行? あのピンクの令嬢、押せ押せだったもんなー! 気になるよなー!」
「そ、そうではなくて!」
ウキウキしながら矢継ぎ早に質問してくるヒューイに、レセリカは両手を前に出してストップをかけた。どうもヒューイはレセリカがセオフィラスに対して嫉妬するのではないかと思っている節がある。
ほんのりと頬を赤く染めながらレセリカが言うと、じゃあなんだよとヒューイが視線で促す。
「アディントン伯爵子息について、調べてもらいたいの」
「……浮気?」
レセリカの頼みが予想外だったのか、ポカンとした表情を見せたヒューイはその顔のままポツリと呟いた。レセリカの頬がさらに赤くなる。
「ち、違いますっ!」
「ははっ、冗談だって! でも、なんでまた? 前にもフロックハート家とアディントン家の繋がりを調べてほしいって言ってたよな。あれとなんか関係あんのか?」
ヒューイの疑問は当然のことだった。きっと聞かれるだろうことはレセリカも予想していたことだ。ただ、どこまで説明すべきかを未だに迷っていた。そのため、どうしても言い淀んでしまう。
そのわずかの間で何かを感じ取ったのか、ヒューイの方が人差し指で頬を掻きながら再び口を開く。
「あー……場合によってはオレ、アディントン伯爵家に行ってもいいんだぜ?」
「だ、ダメっ!!」
レセリカの心臓がドクンと大きな音を立てた。それだけは絶対に避けたいことなのだから。
それを、ヒューイの口から言わせてしまったことに、レセリカは激しく後悔する。
(もっと、ちゃんと決めてから頼むべきだったわ……!)
今や、ヒューイは他人ではないのだ。自分にとって大切な従者であり、初めての友達。なんとしても彼のことを守る責任があるとレセリカは考えていた。
「ご、ごめんなさい、大きな声を出して。でも、そ、それはダメ。行かないで……」
もしもヒューイに何かあったら。
奴隷紋が顔に刻まれた前の人生での彼の姿を思い出すと体の震えが止まらない。アディントン伯爵には絶対に会わせたくなかった。
それなのに、息子に関わらせようとしてしまったのだ。この選択は間違いだったのではないかとレセリカの中に迷いが生じる。
「お、おい、どうしたんだよ。大丈夫か? すげぇ、顔が真っ青……」
急に震え出したレセリカに近寄り、焦ったように身体を支えるヒューイ。主の異変に彼の方が動揺している。
レセリカは、自分を支えてくれるヒューイの袖をギュッと握りしめた。
「絶対に、行かないで」
見たこともないほどの真剣な眼差しを真っ直ぐ向けられたヒューイは息を呑んだ。本心としては、主をここまで動揺させたアディントン伯爵家について調べたい気持ちでいっぱいなのだろう。
ただ、ここまでの反応を見せるにはきっと訳があるはずだとすぐに察した。自分の意思よりも優先すべきは主の命令なのだ。ヒューイは真面目な顔でゆっくり頷いてみせた。
「わかった。指示もなく行ったりしない。だから落ち着けって」
「……ええ、ごめんなさい。ありがとう」
ヒューイはレセリカを椅子に座らせると、その前に跪いて心配そうに顔を見上げてくる。
取り乱してしまったことに罪悪感を覚えたレセリカだったが、気を取り直して話を続けることにした。
「と、とにかく。ヒューイには、アディントン伯爵子息とラティーシャには面識があるのかを調べてもらいたいの。なければないで構わないんだけれど」
いつ、どのようにしてあの二人が接点を持つのか。レセリカはそれが知りたかった。そこから、自分を糾弾するようになる理由がなにかわからないだろうかと考えているのだ。
二人は恐らく味方になる。親しくなることについては問題ないのだが、対レセリカとして結託するのであれば、どんな恨みを買ってしまうのかを考えていかなければならない。
まだ表立って問題が見えてこないなら、可能性を知って対策をする。
今の彼らがどんな感情を抱いているのかはともかく、レセリカはいずれあの二人から向けられる悪感情について知り、出来ればそれを回避することを当面の目標としているのだ。
「レセリカはさぁ……なんか、大きいもん抱えてんな? それはさ、やっぱり一年前に頼んだ調査のこととなんか関係があるって思っていいんだろ? そのくらいは教えてくれよ。詳しくは聞かねーから」
立てた膝に腕を乗せて、真っ直ぐ見上げてくるヒューイの視線をレセリカは正面から受け止めた。こちらが言いたくないと思っていることを察してくれる彼は本当に優秀で信頼出来る従者だ。
「そう、ね。ええ、そうよ。関係があるわ」
「わかった。大事なことなんだな」
黙っているのが心苦しいとレセリカは感じていた。一方で、まだ話せるほどの余裕はない。ただ、絶対にいつか打ち明けたいと改めて思うのだ。ヒューイにも、そしてダリアにも。
「オレに任せておけって。レセリカの知りたい情報、絶対に掴んでやるから。あの商人の娘には出来ねーことをやってやる」
「商人の娘って……キャロルのこと?」
「あー、えっと、なんでもない」
なぜか出されたキャロルの話題に首を傾げつつも、レセリカは無事ヒューイに仕事の依頼が出来たことに胸を撫で下ろすのだった。




