疲労と毒味
数秒の間、ラティーシャは何も言わなかった。それどころか、少しも動こうとしない。レセリカはもちろん、他の三人の令嬢たちも少し不安になった頃、ラティーシャはふわりと笑顔を見せた。
「ふふっ、まさかこんなことで皆さんの優しさを確認できるとは思ってもいませんでしたわ」
これまで通りの笑顔だ。差し出した手も両手で一度ふんわりと包んでから手を離してくれた。レセリカはホッと息を吐く。
「私、臆病でしたわね。恥ずかしいわ。でも、ある意味よかったかもしれません。だって、こんなにも優しい言葉をかけてもらえたのだもの!」
指先を合わせて照れたように話すラティーシャは魅力的だった。紡がれる言葉も素直に受け止められる。
「レセリカ様も、ありがとうございます。名前程度しか知らない私の誘いに応じてくれただけでなく、励ましてもらえるなんて……」
一度目を伏せたラティーシャは、顔を上げて真っ直ぐレセリカに視線を向けた。
「今後も、ぜひ仲良くさせてくださいませ。レセリカ様」
屈託なく笑うラティーシャは、誰もが愛らしいと目を奪われるだろう。実際、三人の令嬢たちは可愛い妹を見るような目で温かく見守っている。
けれどレセリカはほんの少しだけゾクッと背筋が凍るような何かを感じたのだ。目の前のラティーシャは邪気のない微笑みを浮かべているというのに。
きっと、あの記憶に引きずられているだけだとなんとか自分に言い聞かせる。信じたいのに、恐怖の方が勝っている気がした。
しかし、黙っているわけにもいかない。レセリカは不安を胸に抱きつつも、こちらこそと返事をしたのである。
お茶会を終え、それぞれが帰途につく。馬車に乗り込む令嬢たちをラティーシャがわざわざ見送りに外まで出てきてくれた。
一人一人に挨拶をし、手土産にとお茶会でも出された焼き菓子を手渡すラティーシャ。仲の良いアリシアがいつもありがとうと喜んでいることから、彼女のお茶会では恒例となっているようだ。
「レセリカ様。何度も言ってしまいますけれど……本日はこんな田舎までお越しいただき、ありがとうございました」
そしてそれはレセリカにも手渡された。淡いピンク色の袋は赤いリボンで可愛らしくラッピングしてある。
「ありがとう。こちらこそ、今日は楽しい時間を過ごさせてもらったわ」
手土産をダリアに渡し、レセリカは馬車に乗り込んだ。ドアが閉められ、ゆっくりと走り出す。窓からソッと後ろを見ると、ラティーシャがまだ見送っている姿が確認出来た。
椅子に座り直し、背もたれに寄りかかる。カタカタと揺れる馬車の動きに身を任せ、レセリカは目を閉じた。
ゆっくり休めるようにと、ダリアがブランケットをレセリカにソッとかける。
(少し休んでから考えましょう)
今回のお茶会では色々と収穫があった。
だが少々、情報がまとまらずレセリカは混乱している。
結局のところ、ラティーシャの真意を知ることはあまり出来なかった。
どうやらセオフィラスに憧れているらしいことはわかったが、その程度だ。自分に敵意を向けているのかまではなんとも言えない。ただ、あまり良くは思われていないらしいことはわかった。
(風の少年の話も聞いてから、ゆっくり考えた方が良さそうね)
彼はちゃんと調べてくれただろうか。そもそも、一緒についてきていただろうか。そんなことをぼんやりと考えている内に、レセリカは眠りに落ちていった。
別荘にて、後は寝るだけという時になってようやく彼は姿を現した。
「……女性の寝室に現れるなんて」
「えー。だって、この時間にならないとお前、一人になんねーんだもん」
悪びれもせず頭の後ろで手を組み、風の少年が歯を見せて笑っている。レセリカが冷ややかな視線を送ると、美人顔も相まってかなりの迫力なのだがあまり効果はないらしい。
まだ子どもだから迫力も半減しているのかもしれないが、大抵は怯むのに珍しいことである。
「それに、早く聞いておきたいんじゃないかと思ってさ。迷惑なら帰るけどー」
「どちらでもいいわ」
「……そこは今すぐ話してちょうだいってお願いするとこじゃね?」
移動中に仮眠したとはいえ、疲れの溜まっていたレセリカは今もすでに眠気が限界なのだ。対応が素っ気なくなるのも無理はない。
それをなんとなく察した少年は軽く肩をすくめ、ヨッと声を上げて窓枠から下りた。
「わーったよ。詳しい話は屋敷に帰ってからしてやる。だからこれだけ伝えとくよ。フロックハート家とアディントン家には繋がりがほとんどない。ただ……裏での繋がりまではもっと時間かけて調べないとわかんねー。今回は、オレの嗅覚に引っかかんなかったってだけだ」
「……そうなの」
報告を聞いたレセリカは、とりあえず情報として頭の片隅に置いておくことにした。今の状態では深く考えられる気がしなかったためである。
今にも瞼が落ちてしまいそうなレセリカを見て、少年は面白くなったのか小さく吹き出した。
「なんか、結構疲れるんだな、お茶会ってヤツは。ほら、もう寝ろ。明かりも消してやっから」
少年に促され、レセリカはそうするわ、とフラフラとした足取りでベッドに向かう。それからベッドに腰かけたところでふと顔を上げ、少年に声をかけた。
「貴方も、ありがとう。ちゃんと調べてくれて」
まさかお礼を言われるとは思っていなかったのだろう、少年は驚いたように目を丸くする。
「あんたには驚かされてばっかりだ。借りを返すためにオレが勝手に動いてるだけなんだから、礼なんていらねーよ」
「それでも、ありがたいもの……。あ、良かったら、サイドテーブルのお菓子、食べていい、から……」
レセリカは横になると最後まで言い終える前に眠ってしまった。女性の寝室に入ったと注意してきた割に、侵入者がいる部屋で寝てしまえる神経が少年にはわからなかったが。
「あんまり信用されても困るんですけどー?」
驚くほど理知的で冷静な時もあれば、今みたいに無防備な姿も晒す。危なっかしいな、と少年は小さな声で呟いた。
それから言われた通り、サイドテーブルに置いてあったピンク色の袋でラッピングされたお菓子を手に取って、一つを口に放り込む。
「……さすがに毒は仕込んでない、か。考えすぎだったか?」
ペロッと親指を舐めながら、少年は難しい顔で呟く。それが、ラティーシャから手渡されたものであることを見ていたらしく、密かに気になっていたようだ。
安全であることを確認したものの、袋の中の焼き菓子全てが安全とは限らない。
「全部食べていいとは言われてないが、ダメとも言われてねーよな!」
口の端をニッと釣り上げて、少年は中身を全て平らげた。
「ん、なかなかうまかったが、甘すぎ。やっぱ王城で出されたものとは違うんだなー」
軽い調子でひとり言を呟きながら、少年は部屋の明かりを落とす。
「……毒見とか。そこまでしてやるつもりはなかったんだけど。はぁ、調子狂う」
文句を言う少年の顔は、言葉とは裏腹にどこか楽しそうであった。




