思いの呪い
キャロルが毒の香水を使うことはなかった。
「おっと、そうはさせねーよ」
どこからともなく風が吹き、いつの間にかキャロルを拘束しながら香水を取り上げていたからだ。
そもそも、レセリカとポーラだけで犯人かもしれないキャロルと対峙させるわけがない。
当然、近くでヒューイが待機していたし、部屋のすぐ外では他の者たちや騎士たちが待ち構えていた。
なにも知らなかったポーラだけがポカンとしており、仕方がなかったとはいえレセリカは申し訳なく思う。
「なぁ、セオフィラス。これは現行犯でいいよな? この中身、例の毒入り香水だぜ」
ヒューイはもういいだろうとばかりに部屋の外に向けて声をかけている。
それを合図に、セオフィラスやジェイル、フィンレイ、ダリアや他の騎士たちがぞろぞろとやってきた。
セオフィラスは少し驚いたように口を開く。
「見ただけでわかるものなのか」
「わかるだろ、普通!」
「普通はわからないよ、ウィンジェイド」
当たり前のように言うヒューイに対し、セオフィラスは呆れ顔だ。
風の一族特有の才能なのか、元素の一族の才能なのか。
いずれにせよ危険物を確認することなく一目でそれとわかるのは、普通は出来ない。
ヒューイ本人はそう言われても、相変わらず不思議そうに首を傾げている。
「私、捕まってしまうのでしょうか」
ヒューイによって拘束されているキャロルが、大勢やってきた騎士たちを見て感情の籠らない声で呟いた。
全員が一斉にキャロルに目を向ける。
その表情には焦りの色も、哀しみの色もなく、いつも通りに見えた。
それが余計に、レセリカには不気味に思えて悲しくなる。
「取り調べはこれからじっくりされるだろう。ご家族にも連絡がいく」
「あー、そうですか。家族には申し訳ないことをしましたね……」
騎士の一人がそう告げると、キャロルは軽く目を伏せた。
家族に迷惑をかけてしまう自覚はあるようだ。
だが、してしまったことに対して一切悪いとは思っていないのが見てとれた。
「お前……なんでそんな平然としてるんだよ。一国の王太子や、その婚約者を殺そうとしておいて!」
特に抵抗もせず黙って騎士に引き渡されたキャロルを見て、耐え切れなくなったらしいジェイルが叫ぶように問いかけた。
見ればフィンレイも鋭い眼差しでキャロルを睨んでいる。
セオフィラスも特に止める気はないようで、キャロルの返答を待っていた。
「その点については、興味がないので……」
「……は?」
「私はレセリカ様のいろんなお顔が見られるだけで幸せですから。それ以外はどうなろうがどうでもいいと言いますか」
「お、前……これから処刑されるかもしれないんだぞ!?」
ジェイルの震える声を聞いてもなお、キャロルは首を傾げる。
本当に、心の底から不思議そうに。
「死んだらそこで終わるだけでしょう? 何か問題があるのですか?」
自身の命にも興味がない、そう聞こえたレセリカは愕然とした。思わずウっと口元を抑えてしまう。
「狂ってる……」
「そうですかねぇ? やっぱり私は、人とは違うみたいです」
フィンレイの呟きに対してもサラッとそう返したキャロルは、今度こそ騎士に連れられてこの場から去っていく。
「レセリカ様。私はこの先もずっと、そう、たとえ死んだ後でもずーっとレセリカ様のことが大好きですよ。ずっと、思い続けます」
遠ざかっていくキャロルが大きな声で最後に告げた言葉は、まるで呪いのようにレセリカの心に突き刺さった。
彼女の腕に付けられたままの、あの時一緒に買ったお揃いのブレスレットがやけに目についた。
(私だってキャロルのこと、今も大好きで……でも)
ぽたり、ぽたりと床に滴が落ちていく。
誰かがレセリカにゆっくり近づき、隣で片膝をついてくれたのがわかった。
(親友、なのに。初めて学園で出来た、大切な友達なのに、私は……!)
誰かの手が、レセリカの背に添えられて優しく撫でてくれている。
その温かさから、こちらを思いやる気持ちが伝わって来て余計に涙が溢れてきた。
(今はもう、貴女のことを怖いとしか思えなくなってしまったわ……!)
レセリカは、そう思ってしまう自分が何よりもショックだった。
何があっても親友の味方でいる自信があったはずなのに。理解しようと思っていたはずなのに。
どうしても理解が出来ない。共感が出来ない。
キャロルをもう、親友とは思えない。
そう思ってしまう自分が酷く醜く感じるのだ。薄情に思えるのだ。
楽しかった思い出全てが過去のもので、もう二度とキャロルとそういった思い出を作れないのだと思うと、悲しくて、苦しくて、辛かった。
「レセリカ……」
やはり、隣で自分を支えてくれていたのはセオフィラスだったようだ。
名前を呼ぶ声からは、レセリカを心配している気持ちが伝わってくる。
けれど、今のレセリカにはお礼を言うことも、涙を止めることも出来そうにない。
「ご、ごめ、なさ……と、止まらなくて……止め、たいのに」
「いいんだ。いいんだよ、レセリカ」
キャロルが犯人かもしれないと気付いた時から、覚悟を決めていたはずだった。
これまでずっと、我慢していたのだ。
気付いた時はショックであったし、信じたくなかった。
それでも冷静でいられたのは、どこかでキャロルのことを信じたい気持ちがあったからだ。
けれど、それは全て打ち砕かれた。
自分がキャロルが犯人だと暴き、捕まえることとなったのだ。
自分のおかげではない。自分のせいで。
その責任を、一生負うと決めていた。
キャロルに問い詰めると決めた時から。
(それなのに、涙が止まらないわ。悲しくて、仕方ないわ……)
静かになった室内で、レセリカが静かに泣く音だけが響く。
落ち着くまでにはかなりの時間を要し、その間ずっとセオフィラスはレセリカの隣にい続けてくれた。




