キャロルの執着
キャロルは、昔から心のどこかにぽっかりと穴が開いている感覚を抱えていた。
家族は優しい。
両親は厳しかったが、覚えの悪いキャロルを諦めることなく丁寧に商売のことを教えてくれたし、出来の良い妹のシャルロットは姉である自分を馬鹿にすることなく応援してくれていた。
キャロルにとってネッター商会のことはどうでも良かったが、優しくしてくれる家族が自分を跡取りにしたいのならそれに応えたいと思ってはいた。
だが本心は跡を継ぐ以上に薬学のことを学んでいたかった。夢中になれた。
薬の勉強をしている時だけは、心の穴が埋まっている気がしていたのだ。
そんなキャロルはある日、レセリカ・ベッドフォードと出会った。
最初は遠くから見ただけだったが、その時にキャロルは雷に打たれたかのような衝撃を覚えたのだ。
(なんて、美しいの……!)
これまでずっと夢中になれた薬草や毒草のことなんか頭から吹き飛んでしまうほどの衝撃だった。
薬について学ぶことは引き続き楽しいものだったが、その日以来レセリカのことを考えない日はなかった。
(どんな声で、どんな話をするのでしょう? どんな風に食事をして、どんな顔で眠るの? 知りたい。もっとあの方のことを知りたい!)
そんな折、ラティーシャからお茶会のお誘いが届くと、キャロルは狂喜乱舞した。
レセリカもそのお茶会に呼んでいると聞いたからだ。
(あの方が来られるかはわからないけど、行ってみるしかない!)
絵姿を眺めているだけの日々だったが、ついに目の前で会うことが出来るかもしれない。
キャロルはそう考えるだけで幸せだった。
だからこそ、レセリカが本当にお茶会に来た時は緊張で強張ってしまった。
それでも勇気を出して話をすることが出来て、とにかく嬉しかった。
表情の変わらない冷徹令嬢。
近寄り難く、高貴な存在。
ただ存在するだけで美しいと思っていたレセリカが微笑んだ時、キャロルは二度目の衝撃を受けたのだ。
(違う表情も、見せてくださるのね……!?)
冷徹令嬢は笑わないと思っていた。
完成された美だと思っていた。
だが、違ったのだ。
彼女は笑うことが出来る。
恥ずかしがることが出来る。
色んな表情を浮かべることが出来るのだ。
(もっと色んなお顔が見てみたい)
キャロルの欲望が少しずつ歪んでいったのは、この時からだ。
一つ得てしまったキャロルは、もっともっとと望むようになっていった。
とはいえ、レセリカと出会わなくてもキャロルはゆっくりと歪んでいくこととなる。
表情の変わらないレセリカを見て、いつしか少しでも違う顔を見てみたいと思うようになるのだ。
キャロルのレセリカに対する想いは「執着」だ。
無実の罪で捕まった驚愕の顔、断罪される前のボロボロな姿、首を落とされる直前の絶望した顔、そして……死に顔。
レセリカが一度過ごした前の人生において、キャロルは大満足だった。
そのどれもが思っていた通りに美しかったからだ。
レセリカのそれらの表情を脳裏にしっかりと焼きつけることが出来たのだ。
美しさがこれからもっと花開くであろう年頃に、その美を保ったまま死んだレセリカ。
勿体ないことさえも美しく、キャロルにとってそれは最高の最期だった。
レセリカのやり直し人生におけるキャロルは、きっと前の人生の時よりも幸せだっただろう。
なんといっても、レセリカの側にいられる時間が増えていたし、親友を名乗れて、近くで色んな表情を見られたのだから。
けれど、キャロルの欲は年々抑えられなくなっていった。
幸せそうなレセリカの姿ばかりを見ていたキャロルは、それだけでは物足りなくなってしまったのだ。
どうも元来、キャロルは人が負の感情を抱いた時の姿の方に惹かれるようであった。
「……ああ、すごい。レセリカ様。もしかして今、絶望してくれているのですか?」
力が抜けて座り込みながらこちらを見上げてくるレセリカの顔に、キャロルはゾクゾクとした感動が湧き上がるのを感じる。
ずっと見たかったこの表情を、まさかこんな形で見られるとは思っていなかったのだ。
「なぁんだ! それならもっと早くに打ち明けていれば良かったです! 私の趣味が人から受け入れられないものだってことはわかっていました。だから秘密にして、出来るだけ普通の人を演じていたのですけれど」
ギュッと自分を抱き締めるキャロルは、歓喜に震えている。
「それが、この結果を招いたのですね。ああ、幸せです。ありがとうございます、レセリカ様。脳裏に焼き付けますね!」
取り繕うのをやめたキャロルは、こんなにも狂気に満ちていたのかと誰もが思うだろう。
いや、こちらが本当のキャロルなのだ。
ただそのことを、レセリカはどうしても受け止めきれずにいるようだった。
恐怖なのか、哀しみなのか、そしてそれが何に向けられた感情なのか、レセリカにはわからないのだろう。
なにも言えずにキャロルから目を離せないでいるレセリカを、スッと真顔になったキャロルが見つめた。
「あとは、死に顔が見られたら最高ですね」
「っ、レセリカ様から離れてください、キャロル様!」
咄嗟にレセリカを庇うように動いたのはポーラだった。
女性騎士を目指しているだけあって、ポーラにはすでに震えはない。
内心ではきっとまだ動揺しているだろうに、レセリカを守ろうとするその姿はとても頼もしい。
だが、キャロルは残念に思う。ポーラなら、この気持ちをわかってもらえると思っていたからだ。
自分の欲望を共感してもらえるとまでは思っていないが、レセリカを思う気持ちがあれば理解してもらえるのではないかと。
けれど結局、この欲望を理解できる人はいないようだ。それが残念で仕方がなかった。
「ポーラ……わかってもらえないですかねぇ? 私はレセリカ様が大好きなのです。愛しているのです。全てのお顔……死に顔も見たいのですよ」
大きなため息を吐き、半ば諦めたように告げてみると、やっぱりわかってもらえなかったのか、ポーラはこちらを睨みつけながらハッキリと否を叫んだ。
「全てを見たいなど、傲慢ですよ! 大好きなら、愛しているなら、尊敬しているなら……その人の幸せを望み、守るべきですっ!!」
「はぁ……『べき論』は嫌いなんですよね。でも、そうですか」
正義感に満ち溢れたポーラの言葉は、キャロルにとって中身のないペラペラなものに感じる。
キャロルは、残念ですと言いながら微笑むと、ポケットの中から小さな香水瓶を取り出した。




