恩人と夢のような現実
週末。今度はレセリカがラティーシャの寮室の前で待っていた。
本当は寮棟の前で約束していたのにドアを開けたら目の前にレセリカがいたものだから、ラティーシャはとても驚いた。
いたずらが成功したように微笑んだレセリカを見て、彼女もずいぶん変わったな、と改めてラティーシャは思う。もちろん良い方に。
あの日ラティーシャが泣きついた後、レセリカはダリアを通じて王妃ドロシアに連絡を取った。
その結果、ラティーシャへの話にレセリカも同席を許してもらえたのだ。
「それどころか、お茶に招かれるなんて」
「きっと、ラティーシャにリラックスしてもらいたかったのよ。ドロシア様はとてもお優しいから、安心して」
それは言われずともわかっている。それとこれとは話が別なのだ。
チラッとラティーシャがレセリカに視線を向けると、どうしたのかと小さく首を傾げる彼女と目が合う。
これから王宮に向かうというのに普段通りだ。緊張で余裕がなくなっている自分とは大違いである。
(王太子妃、それどころか愛人の一人になるのも、私には最初から無理だったんだわ)
レセリカのような胆力はそう簡単に身に付けられるものじゃない。
盲目的に恋していれば周囲のことなんて目に入らないから緊張もしなかっただろうが、それがどれほど愚かしいか今ならよくわかる。
(あのまま突っ走っていたら……私は破滅していたわね)
そう考えると、レセリカは恩人と言える。
あの時、彼女が突き放すのではなく向き合ってくれていなかったら、ラティーシャの周囲には誰もいなくなっていたかもしれない。
幼い頃からの付き合いであるアリシアとケイティだって、いつかは離れていっただろう。
子どもだったから、まだ許されたのだ。
でも、止められていなければ今もその子どもだから許されていた愚かな行為を繰り返していたと思う。
ラティーシャは、そう自分のことを客観視出来るようになっていた。
「やっぱり、貴女はずるいわ」
「え?」
公爵家の人間であることも、美しさも、生まれつきのお人好しな性格も、努力を実らせることが出来るところも、その努力を人に悟らせないところも、人運の良さも……人を妬まないところも。
全てが羨ましい。それは昔から今も変わらない。
「……ありがとうと言ったのよ! もう言わないわ!」
大きな声で言ったことで、少しだけスッキリした。
レセリカと敵対するのではなく、自分の醜い部分も含めて受け入れたことで、楽になった。
「……どういたしまして。ラティーシャ」
「ふん……」
もしかしたら、最初からレセリカとは親友になりたかったのかもしれないと少しだけラティーシャは思ったが、なんだか悔しくてその考えは胸の奥の方にしまい込んだ。
◇
王妃とのお茶会は、和やかに始まった。言葉や表情の一つ一つから、ラティーシャを気遣う様子が伝わってくる。
非常にありがたいことではあるのだが、それが余計に居た堪れなかったし、早く本題に入ってほしかった。
「今回、貴女を呼んだ理由だけれど」
「っ、はい!」
ついに王妃が話を切り出したことで、ラティーシャの肩がビクリと跳ねる。
不安で圧し潰されそうになっていることを、ドロシアも気付いていたに違いない。どことなく申し訳なさそうに眉尻を下げていた。
「元婚約者として、貴女には知っておいてほしいと思ったの。余計なお世話だったらごめんなさいね」
「え、と……」
それがリファレットの話だと気付くのに、数秒ほどかかった。
「元」とつけられたことに、なぜか胸も痛む。
「武術大会での事件については知っているわね? そこでリファレットは身を挺してセオフィラスを守ってくれたの。これも知っている?」
「は、はい。おかげで誰も傷付くことはなかったと。けれど、刺客には逃げられてしまったとか……」
恐る恐るといった様子で聞いていた話を口にすると、ドロシアは静かに頷いた。
ちなみに、襲撃犯が元素の一族であることは一部の者にしか知られていない。
そもそもそんな一族がいるという話自体、あまり一般的ではないからだ。
「ええ。逃げられてしまったのは仕方のないことよ。捕まえたところであまり意味はないもの。だって、その刺客は火の一族だったから」
「! げ、元素の……」
「そうよ。貴女も名前と脅威は知っているようね」
伯爵家の令嬢であるラティーシャは、その存在を知っている程度だ。
半分以上は伝説の存在という意識でもあるため、この事実にはとても驚いてしまった。
「他言無用でお願いね。貴族の間では薄々気付かれているとは思うけれど、噂になるのも危険な存在だから」
「それはもちろんですわ!」
何がきっかけで誰に報復されるかわからない。
元素の一族には関わらない方が良いというのが、善良な貴族の常識だ。
「とにかく、そんな存在を相手に戦ってくれたの。その功績を称えて、リファレットには男爵位を授ける予定なのよ」
「え……」
「加えて褒美として、アディントン領をね。元貴族の跡取り息子であることを加味した議論の上、問題ないとされたわ。今後の頑張り次第でさらに爵位が上がることもあるかもしれないわね」
つまり、リファレットは貴族に戻るということだ。
それも、アディントン男爵として。
自分が嫁ぐ予定だった家の当主になる。
それは、再びラティーシャと婚約出来るという意味でもあった。
「きっと大変だと思うのよ。彼一人ではね。どこかに良い婚約者がいないかしら、というのが目下の悩みね」
ドロシアはそこで言葉を切ると、話は以上よと告げて強制的に終わらせた。
「私はこの後まだ予定があるから退席させてもらうわね。二人はゆっくりお茶を楽しんでちょうだい。レセリカ、後のことを任せていいかしら」
「もちろんです。ドロ……いえ、お、お母様」
有無を言わさぬ圧を受けて王妃をお母様と呼んだレセリカは、どうにか笑みを浮かべて返事をする。
それに満足したようにドロシアも笑顔で頷くと、優雅に立ち上がってメイドたちと共に席を後にした。
「レセリカ様……これは、現実なのでしょうか」
二人と彼女たちのメイドだけが残された静かな場所に、ラティーシャの小さな呟きが落とされる。
その目には薄っすらと涙が浮かんでいた。
「夢ではないわ。現実で、本当のことよ」
「そう、なのですわね……」
ポロポロと落ちていく涙は、自分では止められない。
そっと差し出されたレセリカのハンカチを受け取ったラティーシャは、しばらく声を押し殺して泣き続けてしまった。




