思い出の香水
途中でお茶の時間を挟み、レセリカたちは少しだけ貴族向けの通りに歩を進めた。
緊張しっぱなしのポーラに話しかけている時、レセリカはどこからともなく漂ってくる良い香りにふと足を止める。
「香水……?」
店の看板を見るに、香水専門店のようだ。
お客さんが外へ出てきたことでドアが大きく開かれ、店内の香りが漂ってきたらしい。
(そういえば、前の人生でセオフィラス様に香水を贈ったっけ)
結局、それを気に入ってもらえたのかどうかは未だにわからぬままだ。使ってくれたのかさえ、レセリカは知らない。
(もうすぐご卒業なさるし、また贈ってみようかしら)
以前、選んだ物と同じ香りになるかはわからないが、今ならもっと彼のことを思いながら選べるかもしれない。
「あの、二人とも。この店に寄ってもいいかしら?」
「香水店ですね。いいですよ!」
「あわわ、わ、私なんかが入っても大丈夫でしょうか」
「ポーラは気にしすぎなのです。ささ、入りましょう!」
キャロルがポーラの背中を押しながら店内へと向かう姿を、レセリカは少し後ろからついて行きながらクスリと笑う。
ポーラにとっても良い経験になればいいなと、レセリカは純粋にそう思った。
店内は静かで、清潔感の漂う空間となっていた。
一歩足を踏み入れた瞬間、先ほど感じたものよりも強い香りが鼻腔をくすぐる。
それでも匂いがキツイとは思わない辺り、この香水店は良いものを取り扱っているのだろうことがわかった。
「……レセリカ様、香水を買われるのですか?」
ゆっくりと商品を眺めていると、側で控えていたダリアがそっと耳打ちをしてくる。
こういう時に声をかけてくるのは珍しい。レセリカは少しだけ疑問に思いながらも、はにかみながら答えた。
「ええ。セオに……卒業のお祝いにどうかなって」
「っ、そ、そうですか」
少しだけ微妙な間があった気がする。
質問してきたことといい、何かあるのだろうか。レセリカは小首を傾げた。
「どうかした?」
「い、いえ。良い香りが見つかるといいですね」
「ええ、そうね」
けれど、再び答えた時のダリアはいつも通りの笑みを浮かべている。
(もし何か問題があるなら、きっと後で教えてくれるわよね……?)
気にはなったが、聞いたところでどのみち今は答えてはくれないだろう。
レセリカはあまり気にしないよう頭の片隅に置いて、再び商品を見始めた。
「あ、これ……」
店内の中央付近、恐らく店側が特におすすめしている商品が並ぶ棚にレセリカの目が留まる。
見覚えのある美しい瓶に入った香水だ。
前の人生でレセリカがセオフィラスに贈ったものと同じ物のように見えた。
(中の香りも同じかしら?)
レセリカがその香水に注目していると、横からひょっこりとキャロルが顔を覗かせてきた。
「へぇ。これはまた、珍しいですねぇ」
そう呟くように言うと、キャロルは香水の説明文を食い入るように読み始めた。ものすごい集中力だ。
キャロルの様子に驚きつつ、レセリカも説明文を読んでみる。
そこには香りの特徴と、使われている植物や油などの成分が詳しく記載されていた。
「何か、気になるの?」
レセリカが読み終えた後も真剣に説明文とにらめっこするキャロルが不思議で声をかけると、キャロルはハッとしたように顔を上げた。
「す、すみません! 私、家で薬学を勉強していたので、こういう見覚えのある植物の名前や香りがあるとついあれこれ考えてしまう癖があって……!」
慌てたようにそう告げたキャロルを見て、レセリカもそういえばと思い出す。
彼女の妹であるシャルロットが言っていたことを。
『薬学のことに関して、姉は天才です』
つまり、この香水に使われていた植物に目を惹かれたのだろう。
夢中になって説明文を読むキャロルを見て、レセリカは初めて彼女の天才ぶりを目の当たりにした気がした。
「いいのよ。この香水に使われている植物に興味があったのね?」
シャルロットと二人で会話したことを、わざわざキャロルに伝えるのも妹が気恥ずかしくなるだろう。レセリカは当たり障りない質問をするに止めた。
キャロルは目を輝かせながら嬉しそうに語る。
「はい! これが香水に使われるのは珍しいなと思って。薬にも使われる材料でしたので、つい」
「どんな薬になるの?」
「これ単体での効果はあまりないのですよ。他の薬草の効果を高めるような作用があります」
キャロルは饒舌になっている。だがその説明はとてもわかりやすかった。
曰く、薬に使われるのは植物の根だそうで、香りに使われている花の部分は薬には使わないのだという。
ただ、キャロルは全てを調べないと気が済まない性分だとかで、花についても色々と研究をしたらしい。
「その時にこの香りを知ったのです。とても爽やかで素敵ですよね! どちらかというと、女性よりも男性向けの香りかと」
「そうね、私もそう思うわ」
嬉しそうに語るキャロルにレセリカも同意を示す。
やはり香りも前の人生で選んだものと同じだった。この爽やかな香りはセオフィラスのイメージに合う。
「何を考えているのか、手に取るようにわかるのです。レセリカ様、殿下に似合うと思っていらっしゃいますね?」
真正面からハッキリ言い当てられ、レセリカの顔に熱が集まっていく。
みるみる赤くなっていくレセリカに気付き、ポーラも会話に入ってきた。
「プレゼントするんですか? 私もこの香りは殿下にピッタリだと思いますよ」
「そ、そう? そうね……」
ただ、こんなに安易に決めてしまってもよいのだろうか。
自分には前の人生での記憶がある。あの時もそれなりに悩んで決めたものではあるが、彼に対する気持ちが今とは全く違う。
その時の気持ちで選んだ物をそのまま贈るというのもどうなのかと悩む気持ちがあるのだ。
「あ、もしレセリカ様が良ければ、ネッター商会で容れ物をご用意しましょうか? このガラス瓶も素敵ですが、殿下に贈るというのであれば特別品をご紹介しますよ! ここのお店は取引先でもありますしね」
香水を眺めながら悩んでいたのを見てか、それとも最初からオススメする気だったのか。
キャロルから思ってもみなかった提案がもたらされた。
「いいの?」
「はい! レセリカ様のためですから!」
もしキャロルの言葉に甘えられるなら、記憶にある贈った香水とは見た目が変わる。
中身は同じでも、以前とは違う気持ちを抱くレセリカにとってはそれが素敵なことのように思えた。
「じゃあ、お願いしようかしら」
「お任せください! ふふ、もう家を継ぐことはありませんが、ここへ来て商人らしいことをして差し上げられるなんて、なんだか嬉しいですね」
照れたように笑うキャロルを見て、レセリカも幸せな気持ちで胸をいっぱいにするのであった。




