心配事とご褒美
翌日から、レセリカは少しだけキャロルを意識して目で追うようになった。共にいられる時間はとても少ない上、一緒にいるとレセリカのことしか見ていないのでなかなか観察は出来なかったのだが。
しかし、侍女科の教師に話を聞いたことで、キャロルの天才ぶりをより理解することが出来た。
なんとキャロルはすでに、学年でトップの成績を収めるようになっているのだという。
これまでほとんど貴族家としての教養を身に付けていなかった人物が、たった一年と少しの間でトップに立つのは驚異的だと教師も驚いていた。
しかも、これまで落第ギリギリだった一般科目の授業も、将来仕える主人のためという言葉を聞いた途端、優秀な成績を修めるようになったとか。
(本当に天才なのね……)
レセリカのためとあらば、キャロルはここまで変わる。それを目の当たりにしたことで、レセリカは嬉しいと思うよりも緊張してしまった。
自分はそこまでされるに値する主人だろうか? と思うと素直に喜べないのが本音である。
セオフィラスのためにも、そしてヒューイのためにも、立派な王太子妃になろうとは思っている。だが、身近な存在がここまで自分のために変わったことを知った今、背筋が伸びる思いなのだ。
(私も、頑張らないといけないわね)
そのおかげで、レセリカもさらに頑張れる。キャロルという親友の存在は、レセリカにとってますますかけがえのないものとなっていくのであった。
※
学業に専念する日々は、あっという間に過ぎていく。昨年度は色々なことがあったせいで随分と一年が長く感じたが、今年は気付けば進級も目前となっていた。
レセリカが平和な日々を送っている一方で、貴族界の大人たちの間ではまだシンディーの件で落ち着きを取り戻せていないと聞く。
セオフィラスの周辺でも危険なことはないと聞いているため喜ばしいことではあるものの、手放しで喜べない状況はまだ続いていた。
(リファレットのこともあるし……)
結局、リファレットを養子に迎えるという話は進んでいないという。そのせいでまだ復学出来ていないのだ。
本来ならすでに卒業し、今頃はジェイルのように働き始めていたというのに。それが何より悔しくて仕方ない。
(それに、ラティーシャのことはどうなっているのかしら)
結局、婚約が白紙に戻されたラティーシャはあれ以来リファレットの話を一切しようとしない。こちらが話題を振ってもすぐに話を逸らされてしまうのだ。
フロックハート伯爵としても、さぞ心配なことだろう。その気持ちはわかるが、出来ればラティーシャには新しい婚約者との婚約を進めないでもらいたかった。
(ラティーシャがそうしたいというのなら、止められないけれど……)
なんとなく、彼女はリファレットを気にしているとレセリカは思うのだ。
触れられたくないということは、彼のことを気にしているとも受け取れるのだから。
それに、どう考えてもラティーシャはあれから元気を取り戻せていない。とにかく大人しく、以前のように明るく無邪気な姿を見せなくなってしまった。
本人としては同じように振舞っているつもりなのかもしれない。友人や教師の前でも笑顔を見せてくれるし、普段通り色んな話もしてくれる。
だが、親しければ親しいほど、ラティーシャが以前とは違うことがわかる。レセリカの今の心配はそれが中心となっていた。
「レセリカ様、今日までの職業体験学習お疲れ様でした」
貸し馬車屋の店主に声をかけられ、レセリカはハッとする。いくら心配でも、今は実習を終えたところだ。
今日はついに、二週間に及ぶ体験学習が終わる日だった。最後の挨拶はきちんとせねばならない。
「こちらこそ、大変お世話になりました。不慣れなことも多く、ご迷惑もたくさんかけてしまって……」
「いえいえ! 誰だって初めての時は失敗しますから! それにレセリカ様は吞み込みも早かったですし、こちらとしても助かりましたよ」
「そ、そうでしょうか?」
実際、レセリカの取り組みっぷりは優秀そのものではあった。だがその見目麗しさと所作の美しさ、そして滲み出る貴族のオーラによって客がなかなか寄り付かなかっただけだ。こればかりは仕方のないことである。
それでも、最後の一週間はレセリカの姿にも慣れてくれたのか、客足も伸びた。
あと一週間長ければ、レセリカの優しさにも気付いてくれ、むしろ売り上げはうなぎ登りになるだろうと店主も予想していた。もちろん、レセリカにその自覚はない。
「そうですとも。このまま働いてほしいくらいで……あっ、も、もちろんそれが無理だということはわかっていますよ!? レセリカ様は本来、こんなところで働いていいお方ではありませんしっ」
「ありがとうございます。そう言ってもらえて、嬉しいです」
うっかり本音が出かけて慌てる店主に対し、レセリカはふわりと微笑んで言葉を返す。
貸し馬車屋での接客を続けたことで、かなり自然な笑みを浮かべられるようになっているようだ。向けられた方は思わず赤面して言葉を失ってしまっているのだが。
「馬はとても好きなので……こうして毎日関わることが出来て楽しかったです。私も、終わってしまうのが残念なくらいですから」
加えてとても良い子である。店主は数秒ほどレセリカに見惚れた後、ハッと我に返ってとある提案をしてきた。
「よ、良かったら、少し馬に乗ってきますか? 日が暮れる前に戻ってきてくださるのなら、お貸しいたしますよ」
「で、でも」
正直なところ、レセリカは馬に乗って走るのが大好きである。ただ、最終日という大切な日であるということと、学生の身で一人そんなご褒美をもらってもいいのかということで迷ってしまう。
そんなレセリカの真面目な葛藤に気付いたらしい店主は、ふっと表情を和らげてさらに言葉を続けた。
「二週間頑張ってくださったでしょう? それに、本当に助かったのですよ。でも学生さんに給金を渡すわけにはいかないルールですし……せめてこのくらいはさせてくださると、こちらとしても助かるのですが」
ここまで言われてしまっては断ることも出来ない。
レセリカはありがたくそのご褒美を受け入れることに決め、小さく微笑みながらお礼を告げるのであった。




