秀才の妹と天才の姉
二日後、少し教室を出るのが遅くなってしまったレセリカは早足で食堂へと向かっていた。ただでさえ遅くなってしまったのに、一般科からの移動となるとどうしても時間がかかってしまう。
「抱えて走りましょうか?」
「け、結構ですっ」
護衛のジェイルが冗談めかしてそんなことを言う。精一杯の早歩きなのだが、彼にとっては遅いと感じるのかもしれない。
だが、これ以上早くしようと思うと走るしかなくなってしまう。さすがに外とはいえ構内を制服で走るのは立場的にも戸惑われた。
「その必要があるなら私が抱えますので。ジェイル様はお気遣いなく」
「おっと。頼もしい侍女さんだなぁ。護衛も兼任しているんでしたっけ?」
どのみち、婚約者以外の男性がレセリカに触れることを許すダリアではない。キッと睨みながら告げる勇ましい侍女に、ジェイルはクスッと笑った。
「今度、手合わせしてもらえません? 貴女、実はかなりの手練れでしょう?」
「お断り申し上げます」
「ありゃー、即答かー。残念です」
断られることはわかっていたのだろう。ジェイルはあっさり引いたが、あわよくば手合わせ出来たら、と思っていたに違いない。
レセリカは内心で、わかる人にはダリアの実力がわかるものなのだな、と驚くとともに、少しだけヒヤヒヤしていた。
「食堂で友達と話をされるんですよね? 人払いしますか?」
「いいえ。聞かれてはまずい話というわけではないだろうから必要ないわ。ありがとう」
こういう気遣いをする当たり、ジェイルは普段セオフィラスの護衛なのだなと実感する。もちろんレセリカだって人払いを頼むことがないわけではないが、滅多にあるものでもないからだ。
とはいえ、今は出来るだけシャルロットを待たせないよう、口を閉じて急いだ方が良さそうだ。
レセリカは再び前だけを見て黙々と足を動かすのだった。
食堂に到着すると、シャルロットが窓際の席に座っているのが見えた。レセリカの姿に気付いた彼女はすぐに立ち上がり、嬉しそうに顔を輝かせている。
「ごめんなさい、遅くなってしまって」
「いえいえ! レセリカ様は一般科だとお聞きしています。ここまで遠かったですよね。こちらこそ、配慮が足りなくて申し訳ありませんでした!」
レセリカが謝罪を告げるや否や、シャルロットは大慌てで両手を振り、勢いよく頭を下げた。恐縮させてしまったようだ、とレセリカは穏やかな口調で言葉を返す。
「いいのよ。どのみち寮に帰るのだもの」
「あ、それもそうですね……いえ、でも。急がせてしまいましたから。ゆっくりで大丈夫だと先に言っておくべきでした。反省です……」
やはりキャロルに似て素直である。姉妹の似た部分を見て、レセリカは心がほんわかと温かくなるのを感じた。
席に座ってひと心地着いた時、シャルロットは早速ですがと話を切り出した。
「ずっと、姉のことでお礼が言いたかったのです。仲良くしてくださって、本当に感謝しているので……」
「えっ」
「そんなことくらい、って思うかもしれません。でも、そう思うのも理由があって」
むしろ自分の方が感謝しているくらいなのに、と思っていたレセリカだったが、続くシャルロットの言葉に開きかけた口を閉じる。
シャルロットは苦笑しながら、姉の話になるのですがと前置きをして続きを語り始めた。
「姉は、ある意味とても不器用な人なんです」
ともすれば悪口にも聞こえる言葉ではあったが、シャルロットは自らそれを否定するように言葉を続ける。
「あ、すごい才能の持ち主ではありますよ? 私は頑張っても秀才にしかなりませんが、姉は間違いなく天才なので」
秀才もすごいことだとレセリカは知っている。自身の成績の良さも、天才ではなく秀才の部類に入るであろうことを自覚しているからだ。
だから驚いたのは、シャルロットが迷うことなくキャロルが天才だと断言したこと。ここ最近、レセリカも彼女の優秀さに同じ感想を抱いたからだった。
「侍女科の成績、すごいでしょう? 私はあまり詳しく知りませんが、あっという間に上位になったのではないでしょうか。姉は、興味のある分野に関して呑み込みがものすごく早いのです。そして完璧に習得してしまいます」
言われてみればそうだ。とはいっても、キャロルの成績についてはレセリカも噂でしか知らない。
だが恐らく思っている以上に彼女は優秀なのだろうことが今の言葉で察せられた。
「その分、興味のないことに関してはからっきしで……だからこそ、私に商会を譲ったんだと思うんです」
興味のあることに対して、尋常ではない才能を発揮する。レセリカはここでようやく、シャルロットが姉を天才だという意味がよくわかった。
「天才って、変わり者って言うでしょう? 姉はまさにそれで。姉にとって世の中に『好き嫌い』はないんです。好きか、興味がないかの二択なんです」
好きの反対は嫌いではない、とは誰が言ったことだったか。それでも人はあらゆるものを好きか嫌いで判断しがちだ。
だというのに、キャロルは幼い頃から息をするように物事を好きか興味がないかで判断するのだという。
レセリカの脳裏に、お茶会の時に恋愛の話をしている時のキャロルの様子が浮かぶ。
ひたすら黙り込んで会話に入ることがなかった彼女の様子……ただ興味がないだけだったのだと言われると、確かにすんなりと納得出来た。
会話に参加できず不満だというわけでも、悲しい思いをしているわけでもない様子が不思議だったのだが、そういうことだったというわけだ。
それでも、レセリカとセオフィラスのことについては興味深そうにしていたので、全く興味がないのかは疑問なのだが。
もしかすると、友達の話となると違うのかもしれないとレセリカは考えた。
「薬学のことに関して、姉は天才です。うちの商会は薬をメインに扱っていますから、将来有望だとずっと言われてきました。でも……商会では他の商品もたくさん扱います。姉は、それらの商品をまったく覚えなかったのですよ」
そのため、早い段階で両親は将来の跡継ぎをどうするかと悩んでいたとのことだ。それでも、娘の才能は素晴らしい。それが活かせないのは惜しい、と。
「人に関してもそうです。どれほどのお得意様でも、興味がなければ全く覚えません。薬を頻繁に買いに来るお客さんはどうにか覚えたのですけれど……極端なのですよ」
客商売をするにあたって、それは致命的だった。キャロル本人も、それでは良くないことを自覚していたようなのだが、無理に対応すると失敗ばかりしてしまったらしい。彼女なりに努力はしたのだろう。
そうしていつしか、キャロルはシャルロットが後を継ぐべきだと主張し始めたのだという。それを両親もシャルロットも受け入れたが、キャロルの将来を思うと心配で仕方なかったそうだ。
薬学の知識を使って薬師や研究者になるしか道はないと、両親は落ち込んでいたという。
貴族家のご令嬢としては確実に婚期を逃す道だ、そう思うのと仕方がないといえよう。
シャルロットは一度軽く目を伏せた後、パッと顔を上げて笑みを浮かべた。
「だから、レセリカ様付きの侍女になると聞いた時、すごく嬉しかった。安心したんです。やっと他に夢中になれることが出来たって。レセリカ様に興味を抱いた姉なら無敵ですよ。本来なら興味のない人付き合いも、レセリカ様のためならやってみせると思います」
「え、私……?」
思わぬところで自分に話が戻ってきて、レセリカは目を白黒させている。シャルロットは嬉しそうにニコニコ顔だ。
「姉は天才なので! レセリカ様のためなら興味のない物事も覚えられるのだと思います。その分、変わっている人だからご迷惑をおかけすることもあるかと思いますが……どうか、ずっと仲良くしてもらえたらって。はっ! あ、あの! お礼を言うはずなのに差し出がましいお願いになってしまったんですけど、その!」
急にハッとして慌て始めるシャルロットを見て、レセリカは小さく微笑む。キャロルよりも慌て方がやや幼く、取り繕い方がまだまだ未熟である。
「もちろんよ。私の方がお願いしたいくらいだもの。キャロルに、ずっと仲良くしてほしいって」
「れ、レセリカ様……!」
ただ、その姿がとても好ましい。今はそうでも、きっと将来は立派な商会の跡継ぎとして成長するだろうこともレセリカは疑っていない。
そんな彼女のことを少しだけ妹のように思ってしまったのは、まだレセリカだけの秘密である。




