自覚と決意
ヒューイがセオフィラスに会いに行った翌朝のことだ。
貴族科の女子寮を出たところで、レセリカは目を丸くして足を止めた。
「レセリカ、おはよう」
「おはようございます、セオ。あの、どうしたのですか?」
自分を待っているかのようにセオフィラスが立っていたからだ。
早朝から爽やかな微笑みを浮かべ、こちらを見つめてくるセオフィラスを見ると、なぜかレセリカの胸が高鳴る。
しかし、ハッと思い至って慌てて口を開いた。
「も、もしかして私、お約束を忘れていたでしょうか?」
今日は一緒に学園へ行く約束をしていたかもしれない。週末はバタバタしていたこともあって、レセリカは自分の記憶に自信がなかった。
どうしよう、と脳内で一人パニックに陥っているレセリカを見て、セオフィラスは苦笑を浮かべながらそれを否定した。
「ああ、違う違う。私が勝手に来ただけだよ」
どうやら自分が何かを忘れていたわけではないようだと知って、レセリカはようやくホッと肩の力を抜いた。
と同時に、それならばなぜセオフィラスがここにいるのだろうという疑問が浮かぶ。
首を小さく傾げるレセリカを見て、セオフィラスは眩しいものでも見るかのように目を細める。
自然と頰が緩み、声色も優しく言葉を続けた。
「なんだか、レセリカの顔を見たくなってね」
「そ、そう、ですか……」
レセリカとしては、それだけ? といった感想だ。
もちろん、自分の顔を見たいと言ってくれるのは嬉しいが、そう思うのにも何か理由があるのではないか、と不思議なのである。
「腑に落ちない顔をしているね? 私は君に恋をしていると言ったでしょう。顔が見たくなるのは当たり前のことだよ」
けれど、直球でそんなことを言われてしまっては納得せざるを得ない。レセリカは瞬時に顔を真っ赤に染めた。
忘れていたわけではない。あの日に思いを告げられたことを。
だがまさかまた、しかもここまでサラッと言われるとは思っていなかったのだ。
(ど、どうしましょう。こういう時、なんと言えばいいのかわからないわ)
あの日だって、結局レセリカはろくに何も言えなかったのだ。さすがに二度目ともなれば何か言った方がいいだろう。
そうは思っても、口を開けたり閉じたりするだけで、レセリカの吐息は言葉になってくれない。
セオフィラスは、そんなレセリカの様子さえも愛おしいとでもいうように微笑むと、落ち着いた声で語りかける。
「レセリカ。私は君の気持ちを知りたいって思っているけれど、無理に聞き出したいわけではないよ。焦らせるつもりはない。でも」
一歩近付き、セオフィラスはレセリカの輝く銀髪を指で掬う。そのままそれをレセリカの耳にかけ、その手で頬に優しく触れた。
「絶対に、君にも私を好きになってもらうつもり。だからこうして、毎日でも愛を告げたいんだ。こう見えて、私は必死なんだよ」
身体が硬直してしまう。自分は今、うまく呼吸が出来ているだろうか。
それは以前、フレデリックにされた時と同じ反応ではあるのだが、決定的に違う点がある。
全く嫌ではない、ということだ。むしろ、スッと手が離れてしまうのを残念に思う自分がいるほどであった。
「そんなに動揺してしまう? 困ったな……私はもっと触れたいのだけれど」
クスリと笑うセオフィラスを見ていると、心拍数がどんどん上がっていく。
そんなレセリカを救ったのは、側に控えていたダリアだった。
「セオフィラス殿下、口を挟むことをお許しください。でも、その辺りでおやめください。レセリカ様がパンクしてしまいますので」
「あはは、わかってるよ。ごめんね、レセリカ。それじゃあまた、昼食の時に」
何か、何か言わなければ。そう思っていたのに、心臓が破裂しそうで何も言えなくなってしまう。
それに、何も言えないまま去っていくセオフィラスの背を見送るのは、胸が締め付けられる思いがした。
心臓が忙しすぎる、とレセリカは思う。けれど、そうなってもいいからセオフィラスに会いたいとも思うのだ。ほんの数秒前に会えたというのに。
この矛盾に気付いた時、レセリカはスッと理解した。
(私は、セオに恋をしているのだわ)
おそらく、そういうことなのだ。恋というものがどんなものなのか、その気持ちがよくはわかっていないのだが、それ以外にこの感情を表す言葉がないと感じる。
もしかしたら間違っているかもしれない。それでも、セオフィラスに恋をしていると考えるとやけにしっくりとくるのだ。
気持ちを自覚したレセリカだったが、今はその思いを自分で受け入れるのに精一杯。
(私もいつか、お伝えしないと。でも、もっとしっかり確信を持ってからじゃないと失礼になるかもしれないわ)
加えて真面目な性格が仇となり、セオフィラスにそれを告げるには、まだまだ時間がかかりそうである。
(それに……あと一年と少し)
気付けば、レセリカは五年生。それもそろそろ折り返しだ。約半年後には最終学年となり、その頃にはセオフィラスは卒業している。
彼が暗殺されるのは、レセリカの卒業間近だったはずだ。
前の人生とはあらゆることが変わっている。自分が処刑される未来はもうなくなったかもしれない。
それでも、セオフィラスが暗殺されかねない立場であることが変わらない以上、あの運命の日がどうなるかが不安で仕方がないのだ。
せめて、その日が無事に過ぎるまで。レセリカはこの気持ちをうまく伝えられる気がしない。
愛しいと思う気持ちを、レセリカはそっと胸にしまい込む。
(自分の気持ちを言葉に出来るようになったら、お伝えさせてください。セオ)
自分が一度、生きた時間をさらに超えて生き延びたなら。
その時はちゃんと伝えられる、そんな気がした。
これにて、4章はおしまいです。
次回、最終章「未来の始まり」編の更新再開までしばらくお時間いただきます。
お読みくださりありがとうございます!
どうぞ最後までお付き合いくださいませ……!
阿井りいあ




