対話と笑顔
「いや、いいんだ。それでいい」
セオフィラスはゆっくりと椅子の背もたれに寄りかかって、リラックスしたようにそう言った。
驚いたのはレセリカの方だ。慌てて顔を上げると、先ほどまでとは違う柔らかい微笑みを浮かべているものだから、余計に戸惑う。
「他の話をしよう。そうだ、レセリカ。君には弟がいたね」
しかも、急に話題を変えられてさらにレセリカは困惑した。呆れられたのかとも思ったが、それともどこか違う気がする。
頭に疑問符を浮かべながらもはい、と答えると、セオフィラスは嬉しそうに笑う。自分には男兄弟がいないから羨ましいな、とそれは普通の少年のように会話を続けるではないか。
まだ混乱から抜け出せないレセリカは、先ほどからセオフィラスの口調が気さくなものに変わっていることにも気付いていなかった。
「弟ってどんな子? さっきは緊張した様子だったな……。なんとなく睨まれている気もしたが」
「い、いえ、睨むつもりはなかったかと……」
「あはは! いいんだ、それはどっちでも。ほら、聞かせてくれないか。レセリカ、弟はどんな子なのかな?」
相変わらず理解が追い付いてはいなかったが、だいぶ先ほどのパニック状態は収まってきたレセリカ。それに、愛する弟の話をされてなんだか嬉しくもあった。
レセリカはロミオの顔を思い浮かべながらセオフィラスに伝えていく。
「はい、弟のロミオはとても優しくて勤勉です。私とは違って表情がクルクル変わる、とても素直ないい子なのです。彼がいると家がいつも明るくて……」
ロミオの良いところだったらいくつでもあげられる。弟が大好きなレセリカが、一度ロミオのことを話し始めたら止まらなくなってしまうのも無理はないことだった。
セオフィラスはその話を止めることなく、最後までレセリカの話を聞いていた。
ふと、レセリカは自分が話し過ぎていたことに気付く。ハッとなって口元に手を当てると、慌てて小さく頭を下げた。
「も、申し訳ありません。話しすぎてしまいました」
「いや。謝ることなんてない。……レセリカは、弟を愛しているんだね」
しかし、セオフィラスは何も気にしていないようだ。それどころか彼の空色の目がとても優しく細められていたので、レセリカは胸に温かいものを感じた。
「……はい。とても。自慢の弟です」
そして、無意識にフワリと微笑んでそう答えたのだった。
「……私も、姉や妹のことをとても愛している。愛する家族がいるというのは、とても良いことだ」
数秒の間を置いて、セオフィラスは少々悲しそうに呟いた。それを聞いたレセリカはハッとなって思い出す。
(確か、セオフィラス様のお姉様は……)
レセリカは慌てて記憶を思い起こす。セオフィラスの心に大きな傷を残した過去に起きた暗殺事件。その際、第一王女が命を落としていたはずだ。
確か年齢は、今の彼と同じ九歳。あの事件の時、セオフィラスと王女は同時に狙われ、セオフィラスだけが辛うじて一命を取り留めたのだ。
「ああ、気にすることはない。この話は私が切り出したのだから。むしろ嬉しいよ。おかげでレセリカが家族をどれだけ愛することの出来る人か、わかったことだし」
レセリカがわずかに身動ぎしたことで考えていることに気付いたのだろう、セオフィラスが先に言葉を続けた。
それでもレセリカは、無神経な話題で一人浮かれてしまったことを少し反省して目を伏せる。
気にしなくていいと言っているのに真面目だな、と口をへの字にしたセオフィラスは年相応の少年に見えたのだが、レセリカはやはり気付いていない。
「さて、レセリカはなぜ自分を選んだのかと聞いたね。そして、誰でも良かったと答えた私に同意を示した」
再度、戻ってきた話題にレセリカは目線を上げる。しかし、話を切り出した時に感じたピリピリとした空気は一切なくなっていた。
「……はい。恐れながら、私は殿下のことをあまり存じ上げません。お噂は耳にしていますが、それだけで判断は出来ませんもの」
「そうだね。私も同じ意見だ」
本音を告げても、困ったことにはならなかった。角が立たないようにと気遣ってばかりの前の人生の時より、随分と楽に話せることにレセリカは気付く。
もしかすると本当に、ちゃんと主張した方が良い方に向かうのかもしれない。
(殿下が相手だし、あまり自分のことを言いすぎるのはよくないでしょうけれど……)
再び緊張し始めたレセリカは、キュッと拳をまた握りしめて口を開く。
「ですから、知りたいと思っています。出来ることなら、歩み寄りたいと。共に国の未来を考えていくには、まずは知ることからだと思うのです。同じ方向を向いていないと、国が混乱してしまうでしょう?」
言い切ってからレセリカは、国の未来だなんてまだ婚約したばかりだというのに大胆だっただろうかと心配になる。
けれど、本心だ。何もしなかったら目の前の王太子は何者かに暗殺されてしまうかもしれないのだから。
実際、国が混乱した未来を知っているレセリカにとってはとても大事なことなのだ。
「……ああ、そうだ。その通りだね」
そんな真剣な思いが伝わったのか、セオフィラスも神妙に頷く。
「私も、レセリカを知りたいと思う。お互いに歩み寄る姿勢が大事だというのだな?」
小さく頷いたレセリカを確認し、セオフィラスはふと目線を下げた。難しそうに眉間にシワも寄せている。
「だが、申し訳ないことに私はどうしても人を簡単に信用することが出来ない」
とても誠実だ、とレセリカは感じた。それに、無理もないとも。
過去に起きた暗殺事件の詳しい事情をレセリカは知らないが、姉を亡くし、自身も殺されかけたのなら人間不信になるのは当たり前だ。
(私だって、あの人たちのことはどうしても信じられそうにないもの)
脳裏に浮かぶのは、前の人生でレセリカを陥れた人たちの顔。
彼らだって今の段階ではまだ裏切ってはいないのかもしれない。まだ出会ってさえいない人たちもいる。それでも、真っ新な目で見られる自信がレセリカにはなかった。ただ判決を下しただけの国王ですら、恐怖心が消えないのだから。
気持ちは痛いほどわかる。だからこそ、この人にだけは自分も誠実でありたいとレセリカは思った。
「はい。それで構いません。私は、何も後ろ暗いことなどしないと誓えますから」
そして願わくば、彼にも信じてもらいたい。婚約者として、今後長い付き合いになるのだから。
レセリカの真っ直ぐな目を受け、セオフィラスはゆっくりと頷いた。
「貴女を婚約者に選んで良かったよ。まずは、今日の婚約発表だな。よろしく頼む」
「光栄です。もちろん、しっかりとお役目を果たさせていただきます」
先に席を立ったセオフィラスは、レセリカの側に立ちそっと手を差し出した。レセリカは躊躇することなくその手を取ると、一度立ち上がってからカーテシーをしてみせる。
「ふふっ、真面目だな?」
「も、申し訳……」
「あははっ、謝らなくていいってば」
セオフィラスはまた普通の少年のように笑う。
それは本当に珍しいことで、こっそりと様子を見に来た国王夫妻やオージアス親子がとても驚いていたのだが……二人がそれに気付くことはなかった。




