罪悪感と覚悟
そろそろ出発の時間となった。
ヴァイスとフレデリックを屋敷に残し、レセリカたち学園組は王家の馬車に乗り込んだ。後はオージアスが彼らの出立を見送ってくれるという。
彼らはもう何も話すつもりがないらしく、ただ黙ってレセリカたちを見送った。ヴァイスは深々と頭を下げて、フレデリックは顔を背けたまま。
レセリカは心の中で、彼らの旅路に幸があらんことを祈った。
「よく握手を許したよな、セオフィラス」
馬車の内部は広く、四人乗りとなっている。周囲には本職の騎士が馬で並走しており、守りも万全だ。
内部にはセオフィラス、レセリカ、ロミオとジェイルが乗っており、休憩を挟んでジェイルは馬車に並走しているフィンレイと交代することになっていた。
馬車の中ではジェイルがセオフィラスの隣で歯を見せて笑っている。先ほどまでの緊張感はすでにどこかへいってしまったようだ。
「やっぱさ、あの時に言われたことに罪悪感があったのか?」
「あの時、ですか?」
ジェイルの言葉に首を傾げたのはレセリカだ。隣に座るロミオも不思議そうに首を傾げている。
セオフィラスは呆れたようにジェイルを横目で見た後、小さくため息を吐きながら今回のいきさつを説明し始めた。
「数日前、ヴァイスとフレデリックが父上と私に話したいことがあると言い出してね。二人に関しては同情の余地があるからと、父上が話す場を作ってくれたんだよ」
その時に二人が旅に出ることや、学園やレセリカに謝りたいことを相談したのだそうだ。
そうして一通りの話が終わった後、フレデリックがセオフィラスに話しかけてきたらしい。
『あの頃は、良かった』
話は唐突に始まったが、セオフィラスにはフレデリックがいつのことを話しているのかすぐにわかったという。
『子どもの頃だ。フローラ王女もいて、僕たちの仲はそれなりに良かった。一緒に遊んだことだってあっただろう?』
フレデリックはセオフィラスを見ておらず、どこか遠くを見ているようだったそうだ。昔のことはセオフィラスももちろん覚えている。
そして、その後どうなったのかも。
『だけど、あの事件を機に……君が僕に向ける目は変わった。今思えば当然だってわかるけどね。でも、当時はただショックだったよ。その日から、僕は君を恨むようになった。僕は何も悪くないのにって』
フローラ王女が亡くなることになったあの痛ましい事件は、王族の誰かを狙うものだった。
警戒が強まるのはもちろん、当時からシンディーを疑わしいと思う声があったからこそ、息子であるフレデリックも警戒せざるを得なくなったのだ。
当時幼かったとしても、怪しきは近付かせない。その判断は間違いではなかっただろうが、フレデリックの心に大きな傷を残した。
王女を失うこととなった陛下やセオフィラスが警戒するのも無理はない。とはいえ、当時の己の態度を振り返るとセオフィラスにも思うところはある。
ジェイルの言った通り、その罪悪感が今回のことを許す気になったというのは確かであったのだ。
『僕には母上しかいなかったからね。言うことを聞くのも苦じゃなかった。母上がしたことも……本当は知っていたけど。少しでも君を不快にさせられるならなんだって良かったんだ。まったく、子どもじみた執着だよね。馬鹿馬鹿しい時間を過ごしたなって思う』
王族の菓子に毒を仕込んだ犯人が母親であることを、フレデリックは幼い頃から知っていたのだ。
その事実がまた、彼を歪ませていたのかもしれない。
『でもさ、僕は……フローラ王女のことも本当の姉上みたいに思ってたよ。今も思ってる。悲しかったし、腹が立ったけど、僕には母上しかいなかったから。母上がいなくなったら、一人になってしまうから。あんな人でも、たった一人の家族だった、から』
遠い目をしたままそう告げたフレデリックは、その後すぐに背後に立つ父ヴァイスを睨みつけたという。
彼にとって、自分を放ったらかしにした父親は家族ではないのだろう。
あんなにも憎しみを露わにした彼の姿を見たのは初めてだった、とセオフィラスは目を伏せた。
『今更、父親面すんなって思うよ。けど、僕には他に道がない』
今もまだ、フレデリックの中でヴァイスに対する気持ちは複雑なままなのだろう。もしかするとこれから先もずっと憎み続けるかもしれない。
そんな二人で旅を続けことを考えると不安しかないが、それもわかった上でヴァイスが連れて行くと決めたのだそうだ。
『君が羨ましいよ、セオ。君には愛してくれる人がたくさんいてさ。もう会うこともないだろうけど、僕は一生君を妬ましいと思い続けるから。どこにいても、ね』
セオフィラスたちがフレデリックと交わした会話は、それが最後だったという。
きっと、幼い頃は仲が良かったのだろう。
王女の死がなければ、今も良い関係を築けていたかもしれない。
それを思うと余計に胸が苦しんだが、もしもを考えていても仕方がないということはわかっている。
「レセリカ。私はこれからも一部の者たちには恨まれ、憎まれる立場にある。シンディーがいなくなったからといって、私の命を狙う者がいなくなったわけではないだろうから。隣国との関係も崩れそうだしね。そして、狙われるのは……君も同じ」
ギュッと眉間にシワを寄せて告げたセオフィラスは、一度だけ目を伏せるとすぐに顔を上げてレセリカを正面から見つめた。
「それでも私はこの国の王になるし、国を守り抜くつもりだ。レセリカのことも、絶対に守りたいと思っているよ。でもね、いざという時に私は……自分の命を優先する。無責任だと思うかな」
一国の王になるということは、そういうことだ。誰よりも生き延びなければならない。
どれだけ大切な人が倒れようとも、最後まで立っているべき立場にあるのだから。
それを理解出来ないレセリカではない。それがわかっているからこそ、セオフィラスも信用してそんな問いかけをしたのだろう。
「いいえ、ご立派だと思います。生き抜く覚悟を持つというのは、とても難しいことだとわかっていますから」
レセリカもまた、彼の目を真っ直ぐ見つめ返しながらハッキリと答えた。
セオフィラスは安心したようにふわりと微笑んだが、その表情はなんだか切なくて、レセリカは胸の奥がギュッと締め付けられる思いがするのだ。
(セオに、そんな顔をさせたくはないわ)
いざという時には、自分の命も切り捨てて構わないとレセリカは思っている。でも、きっとその答えは彼の望むものではない。そんな気がした。
自分なら、どう答えてもらいたいだろうか。
自分なら、どう考えていてほしいだろうか。
自分は、どんな覚悟を持っているだろうか。
レセリカは自然と出てきた答えをそのまま口にする。
「ですから私も、生き抜きます。最後までセオの隣に立っていられるように……」
「レ、セリカ……それは」
今の言葉は、一生貴方の側にいる、という意味にもとれる。
もちろん、レセリカにセオフィラスと離れる意思はないが、少しだけ心が弱っていた今のセオフィラスにとっては、あまりにも熱烈な口説き文句だった。
みるみる内に真っ赤になって行くセオフィラスを見て、レセリカも遅れてハッとする。
自分が大胆なことを言ってしまったことに、今更ながら恥ずかしさでどうにかなってしまいそうだった。
(そ、そういう意味で言ったわけではないけれど……違うとも言えないわ。ど、どうしましょう……!)
互いに向かい合ったまま真っ赤になって黙りこむ二人を見て、ロミオとジェイルは思わず顔を見合わせた。
おそらく、彼ら二人の心情は全く同じものだったであろう。学園までの道のりは、まだ長い。




