謝罪と握手
レセリカたちが入室したことで、これまで座っていた男性がすぐに立ち上がり、こちらに身体を向けた。
彼の隣にいるフレデリックは、不貞腐れたように目線を逸らしてはいるものの同じように立ち上がっている。
彼らが何かを言う前に、セオフィラスがレセリカたちの元へと歩み寄ってくる。それから申し訳なさそうな顔で静かに語りかけた。
「出発前の朝早くから悪かったね、レセリカ、ロミオ。学園へは王家の馬車で送るから、少しだけ時間をくれないかい?」
ベッドフォード家の馬車もグレードが高いが、王家の馬車はその上を行く。馬も多い上に乗り心地はもちろん、安全性も高いのだ。
これなら学園にも予定通り、いや予定より早く着くことが出来るだろう。
「もちろんです。……まずは、事情をお聞かせくださいますか?」
レセリカの冷静な対応にホッとしたように肩の力を抜くセオフィラス。突然の訪問で気を悪くしていないかが気掛かりだったようだ。
余談だが、屋敷の主人であるオージアスに対しては、そのような態度を見せてはいない。
セオフィラスは手でヴァイスとフレデリックを示しながら言葉を続ける。
「この二人がどうしてもレセリカに直接謝罪したいそうだよ。特に迷惑をかけたから、とね。すでに、ベッドフォード公爵とは話がついている。もちろん私も、陛下だって承知の上だ。あとはレセリカ。君が謝罪を聞いても良いと思うのなら、聞いてやるといい。不安だと感じるのなら、断っても構わないよ」
すべてはレセリカにお任せする、ということだ。
ここまで気を遣ってもらえるのはありがたいことではあるのだが、レセリカとしてはむしろ恐縮してしまう。
加えて自分はそこまで弱々しく見えるのだろうか、とも。
頼りがいのある人物にならなくては、と相変わらず斜め上の解釈をするのがレセリカである。
「大丈夫です。……聞かせてください」
レセリカは一言をセオフィラスに向けて告げた後、すぐにヴァイスとフレデリックに向き直った。
視線を向けられたヴァイスは、深々と頭を下げる。
「ご温情をありがとうございます、レセリカ様」
「……ありがとう、ございます」
フレデリックもまた、視線を逸らしてはいるがヴァイスに倣ってお礼を告げる。だが、態度から本意ではないというのが伝わってきた。
とはいえ、これまでの彼のことを思えば反抗せずに言うことを聞いているだけ進歩しているといえよう。
それからヴァイスは、自分が王弟であることを一切告げず、ただ妻と息子が迷惑をかけてしまったことや、自分にも責任があることを謝罪した。
言い訳も、余計な事情も挟むことはないその姿勢に、レセリカは誠実さを感じる。
彼もまた、シンディーに人生を狂わされた被害者だというのに。
それを微塵も感じさせないのは王族の、いや、元王族としての矜持かもしれない。
だからこそ、レセリカも余計な口を挟まずその謝罪を静かに受け入れた。
もちろん事情は気になる。だが、ここで根掘り葉掘り聞くのは違う気がしたのだ。
「今後は、どうされるのかお聞きしても……?」
ただ一点、それだけは聞いておきたかったレセリカは質問を口にする。ヴァイスは頭を下げたまま素直に答えた。
「はい。フレデリックと共に、旅を続けようと思っています。息子は世界を知りません。たくさんの物事を見て、視野を広げてくれればと」
この国にはいられないと思っているのかもしれない。そう考えると胸が痛む話ではあるのだが、それはいいかもしれないとレセリカは思った。
シンディーという母親の世界しか知らないフレデリックには、とても良い経験になると直感したからだ。
「また、ここに戻って来るご予定は?」
彼らは国外追放されたわけではない。シンディーと結婚することになった弟のヴァイスを思って、陛下もまた心を傷めているためだ。
だが、詳しい事情を知らない人々の目は突き刺さるだろう。居心地が悪いのは彼らの方なのだ。
わかってはいるが、これで一生のお別れなのはどこか切ない気持ちだった。
「そう、ですね。特に決めていません。心の整理がつけばあるいは……お約束は出来かねます」
「そうですか……」
彼の心中を理解することは出来ないだろう。レセリカはそれ以上何も聞くことが出来なかった。
暫しの沈黙を挟んだ後、ヴァイスは隣に立つフレデリックの背を押した。
一歩前に出ることになったフレデリックは相変わらずの仏頂面だったが、レセリカのことを真っ直ぐ見つめてくる。
しかしその瞳は、これまでのような攻撃性を孕んでおらず、レセリカもまた真っ直ぐ見つめ返すことが出来た。
「……悪かった」
開口一番にそんな素直な謝罪の言葉が出てくるとは思わず、レセリカは驚いてしまった。
「い、いえ……謝罪を、受け取ります」
だがすぐに気を取り直して言葉を返すと、今度はフレデリックの方が驚いたように目を丸くしていた。
「君は、ずっと僕に対する態度が変わらないな」
「そうでしょうか」
「ああ、変わらない。ずっと僕を警戒しているけどね。少なくとも君は僕を嘲笑うような目も、憐れむような目もしていない」
彼は色んな人たちからそういう目を向けられていた、ということだろうか。育ってきた環境から、周囲の視線には敏感なのかもしれない。
(最も嫌なのは……憐れまれることなのかもしれないわ)
根拠があるわけではないが、レセリカはなぜかそう思った。
「最後にさ、握手だけしてもらえないか。……ああ、そう睨むなよ。別に何も仕込んじゃいない。ほら」
そう頼んだことで周囲の警戒度が上がったことを察したフレデリックは、手をヒラヒラさせて何も持っていないことをアピールする。
ロミオやダリア、ジェイルとフィンレイは特に警戒を露わにしていたが、レセリカは彼に悪意があるようには感じられなかった。
戸惑うレセリカであったが、他ならぬセオフィラスが小さく頷いたのを見て、恐る恐る差し出された手に手を伸ばす。
まさか受けてくれるとは思っていなかったのか、一瞬だけ目を丸くしたフレデリックは、レセリカの手を優しく握った。
壊れ物を扱うように、どこまでも優しく。
いつだったか、髪に触れられた時に感じたような不快さは一切なかった。
「あの時は、本気ではなかったが。……今は、心から君を婚約者にしたいと思うよ」
「えっ」
そして、近くにいたレセリカにだけかろうじて聞き取れるくらいの小声でポツリと呟くと、フレデリックはすぐに手を離す。
その言葉の意味を理解出来ないほどレセリカは馬鹿ではないが、何と返せばいいのかは全くわからなかった。
「じゃあ。さようなら」
しかしフレデリックは息を呑むレセリカの言葉を待たず、あっさりと手を離す。
そのままヴァイスの後ろに下がると、再び顔を背けて不機嫌そうな様子に戻ってしまった。
(最後まで、よくわからない方だったわ。でも……きっと、本当は悪い人ではないのだわ)
セオフィラスにそっと肩を抱き寄せられながら、レセリカは複雑な気持ちでフレデリックとヴァイスの二人を見つめ続けた。




