不仲な兄
週末、ラティーシャは授業が終わるとすぐに馬車に乗り込んだ。彼女の実家は学園から遠い場所にあるため、移動だけで休日が終わってしまうからだ。
一泊してくる予定なので、週明けの授業は少し休むことになる。すでにそれも、彼女付きのメイドによって申請済みだった。
基本的には長期休暇でしか帰ることのない実家。
しかし、リファレットがアディントン伯爵家を追放されてしまった今、その件について家族と話をしなければならなかった。
実家に帰ると、相変わらず可愛らしい庭が出迎えてくれる。屋敷内はピンクに囲まれており、今のラティーシャの気分とは真逆な雰囲気なのが気持ち悪い。
彼女が小さくため息を吐いた、その時だった。二階から背の高い青年が階段を下りてくる気配を感じ、ラティーシャは視線を移す。そして、その人物の顔を見て僅かに眉を顰めた。
「ラティーシャ。お前……婚約が白紙に戻ったらしいな」
「……お兄様」
数年ぶりの再会だというのに、開口一番に告げる言葉がこれだ。デリカシーの欠片もないセリフに、ラティーシャはもはや反論する気も起きない。
彼女の兄、ラルド・フロックハートはすでに学園を卒業して三年ほどが経過している。彼は卒業してからずっと婚約者の領地に住んでおり、経営の勉強と経験を積んでいた。
いずれフロックハートの領地を継ぐための準備期間といったところなのだが、実際はただ待っているのだ。
ラティーシャが卒業し、家を出ていくのを。
「さっさと新しい婚約者を決めてくれよ。まぁ、決まらなかったとしても家からは出て行ってもらうけど。父上は俺に、もう少しだけ待ってくれって言うつもりなのかもしれないけど……さすがに俺も、これ以上は待てないからな」
「わかっていますわ。お兄様の新婚生活を邪魔する気はありませんもの」
リファレットの件は兄であるラルドにも影響を与えている、というわけだ。
呼び出された理由は彼の言うとおり、二人の結婚と領地引継ぎの先延ばしだということは容易に想像出来た。
父親はラティーシャを溺愛している。家の内装を彼女のためにかわいらしく変えてしまうほどに。
それが原因でラルドは父と仲違いをし、ラティーシャが出て行かない限りは家を継がないと言って家を出てしまったのだ。
当時、年頃だったラルドの気持ちもわかるというものである。
もちろん、今もその気持ちは変わっていない。ラルドにこんなピンクの屋敷を継ぐ気はないのだ。もし継いだ時は、家の内装を変えるところから始まるだろう。
「……お前、変わったか?」
言いたい放題言った後、ラルドはギュッと眉根を寄せて呟いた。
先ほどまでの勢いはすでになく、どこか気味の悪いものでも見るように妹を見ている。よほどラティーシャが目障りらしい。
「何がですの」
ラティーシャもまた、自分を毛嫌いする兄を好きにはなれない。妙な視線を向けられて、嫌そうに睨み上げた。
何もわかっていない幼い頃から目の敵にされてきたのだ。そちらも当然といえば当然である。
「ワガママで高飛車で、自分に自信満々でさ。絶対に王太子と結婚するって喚いてたあの頃とは別人だな」
「失礼ですわよ。私だって成長していますのよ」
ただ、ラルドが嫌っていたラティーシャと今のラティーシャは何かが違う。それを感じ取ったのだろう。
物言いに容赦はないが、わずかに声の鋭さは緩和されている。
「いつもなら、もっと俺にギャーギャー言い返すだろう。調子が狂うな……まさかお前、もしかしてアディントンの息子のこと」
「詮索はやめてくださらない? 今、お兄様とその件について話したくはありませんの」
ラティーシャが兄の言葉を遮るように告げると、ラルドはグッと言葉に詰まり、頭を掻いて気まずい顔になる。
しばらく会っていない間に、どうやら本当に妹は少し変わったようだと認識したのだ。
ラルドは妹に対して少し、いやかなり態度が悪かったことを自覚している。
彼女が幼い頃は完全に八つ当たりで意地悪をしていたし、それで彼女が自分を嫌うのも自業自得だと今では理解している。
要するに、少し大人になったラルドは妹に対する罪悪感のようなものが芽生えているのだ。
そうはいっても、顔を見れば嫌味を言ってしまうし、妹も生意気に言い返してくる。
そして結局ムキになって喧嘩になって終わるのだが……どうも今回はいつもとは違う。
ラルドは大きく息を吐くと、冷静になって言葉を選んだ。
「はぁ……前言撤回。今のお前なら、その。しばらく屋敷にいてもいい」
「え……意味が、よくわかりませんわ。何か変なものでも食べました?」
「うるっさい。くそ、やっぱり生意気な妹だ」
罪悪感が仕事をしたことで、ほんの少しだけの優しさを見せたラルドだったが、ラティーシャは当然ながら警戒した。長年の不仲はそう簡単には解消しないのである。
「ただ、屋敷の改装はするからな。ピンク一色はうんざりだ」
「それはもちろん、お任せしますけれど。私もそんなに趣味ではありませんし」
兄が嫌そうに顔を歪めて宣言した内容には、ラティーシャもすぐに了承した。言った通り、この内装は今の彼女の趣味ではなかったからだ。
幼い頃は確かに大好きな内装ではあった。というより、ほんの数年前まではこれがお気に入りで自慢でもあった。
だがレセリカと親しくするようになってから、彼女の考え方や趣味は少しずつ変わってきている。ラティーシャも成長しているのだ。
「はぁ!? そうなの!? だったら早く父上に言っておいてくれよ……なんのために俺が家に帰らなかったと……」
「じっ、自分のために良かれと思ってやってくれたことですもの。幼い頃は確かに嬉しいと思っていましたし……そう簡単に言えませんわよ!」
年頃のラティーシャにとって、変わらない父親の溺愛ぶりには少しだけ辟易としている部分もあるのだ。
だが、それでもかわいがってくれていた父親。突然、邪険に扱うことも出来ない。
それに、これはもう趣味ではないと言えば今度はどんな改装をされてしまうかわかったものではないのだ。ラティーシャは父親の暴走癖を理解していた。
「ふぅん、なんだ。思っていた以上にマシになっていて何よりだ。まぁ、色々あるだろうけど精々頑張れ」
「よ、余計なお世話ですわよっ。ちょ、頭を撫でないでくださいまし! 子ども扱いはおやめになって!」
二階の自室へと戻って行くラルドの足取りは、心なしか軽やかだ。
ラティーシャもまた、ほんの僅かだが心のつかえが取れたように感じるのだった。




