事態の急変と怒り
進級して半年ほどが過ぎた。
レセリカは一般科で親しいクラスメイトも出来て、順風満帆な学園生活を送れている。
時折、離れたクラスにいるフレデリックの何とも言えない言動を噂で知って頭を抱えることはあったが、直接何かをされることもなかったため、基本的には傍観に徹していた。
……のだが。
「フレデリック様。どういうことでしょうか、それは……」
ある日突然、何の前触れもなく彼はレセリカの下に現れた。
「わからないのか? この僕が昼の休みにこうして迎えに来たのだ。共に食事をする以外に何がある」
授業終わりに出入口の前に立ち塞がってレセリカを待つフレデリックを見るのはなんだか久しぶりである。
口を開いてみれば相変わらずですね、という感想が浮かんでくるのだが、今はそんなことを考えている場合ではない。
たまたま授業が早く終わったことで、まだ護衛であるリファレットが来ていないのだ。
ここはレセリカ一人でどうにか乗り切る必要があった。
「お約束していませんが」
「? そんなものは必要ないだろう。僕とのランチ以上に大切なことなどないからな」
毅然とした態度でレセリカが告げると、フレデリックは鼻でフンと笑いながら偉そうに答えた。どこからその自信が来るのか、とても不思議である。
「困りますし、お断りいたします」
「へぇ、セオフィラスに言われているから、か? 君には自分の意思というものがないのだな。まるでお人形だ」
お人形、という単語にレセリカはわずかに動揺した。この程度の挑発に乗る気はないが、前世の記憶がある分どうしても反応はしてしまうのだ。
だが、レセリカはそれをほとんど表に出すことはない。実際、フレデリックも気付いた様子はなかった。
色々と思うところも、言いたいこともあるのだが、レセリカは冷静になるよう意識して真っ直ぐフレデリックを見上げた。
「私の意思です。私が、貴方と一緒に食事をしたくないのでお断りしています」
「……そんなわけあるか。意味がわからないな」
「私の方が、意味がわかりません。なぜ、私の気持ちを貴方が否定するのですか」
話が通じないとはまさにこのことである。何度も断っているというのに、なぜここまでしつこく誘うことが出来るのだろうか。
間髪入れずに口を挟むと、フレデリックが軽く舌打ちをしたのが耳に入る。そのことが少しだけ怖く感じたレセリカは、ほんのわずかに肩を揺らした。
「ああ、面倒な女だ。いいから僕について来い。ランチくらいご馳走してやる!」
「っ、やめてください……!」
ついに痺れを切らしたのだろう、フレデリックがレセリカの腕を乱暴に摑む。
ヒューイに助けを呼ぶべきだろうか、しかし人の目が多すぎる。レセリカは迷った。
「失礼します、フレデリック殿下。護衛として、その手は振り払わねばなりません」
そんなレセリカを助けてくれたのは、リファレットであった。
あっという間に摑んでいた手をレセリカの腕から引き離し、フレデリックからレセリカの姿が見えないよう、彼の前に立ち塞がった。
座学の授業は集中力の妨げにならぬよう別室で待つ彼は、普段から早めに来て待っていてくれる。
レセリカはそのことをわかっており、数分もしないうちにリファレットが来てくれることを知っていた。だからこそ、安心してハッキリと言い返せたのだ。
だがもし、あと数秒でも来るのが遅れていたらヒューイの鉄槌が下っていたかもしれない。大事にはしたくないレセリカにとっては間一髪である。
「お前……アディントンの息子だな? はっ、いいのか? 僕にそんな態度を見せても」
「言っている意味がわかりません。私は今、一学生として、そしてレセリカ様の護衛騎士として間違いのない対応をしているつもりです。いくら殿下といえど、止めることは出来ませんよ」
体の大きなリファレットが間に立ってくれると、レセリカからもフレデリックの姿は見えなくなる。
視界から相手の姿が消えることがこれほど安心するのかと、レセリカは彼に深く感謝した。
自分よりも遥かに身分が上であるフレデリックに対して、物怖じすることなく毅然とした態度をとる様は、とても凛々しく見えた。
あとでラティーシャに教えてあげよう、などと考える余裕も出てきたくらいである。
「ふん、生意気な……! っ、その言葉、後悔するなよ!!」
数秒ほどの睨み合いが続いたあと、フレデリックは引き下がることにしたようだった。ただ、捨て台詞が少し引っかかる。
「レセリカ様、遅れて申し訳ありません。大丈夫でしたか?」
「ええ。来てくれてありがとう、リファレット。とても助かったわ」
フレデリックが去った後も、リファレットは気遣ってくれた。
助けてくれたことに礼を言いつつ、レセリカはそこはかとなく嫌な予感に眉根を寄せた。
そして、その予感は残念なことに当たってしまうこととなる。
翌週、レセリカの耳にとんでもない知らせが入り込んできたのだ。
「追い出された、ですって……? アディントン家から?」
「ええ。そのせいで、現在リファレット様は学園に滞在することが叶わないとか……」
朝、目を覚ましたレセリカに珍しく慌てた様子のダリアから聞かされた話は、にわかには信じられないものだった。
だがそれは、昨晩遅くにヒューイが摑んできた情報だというので間違いないのだろう。
「学園と王妃様の計らいで、休学という扱いになっているそうですが……今日中に学園の、特に貴族たちの間で噂が広まることが予想されます」
予想外の手を打ってきたものだ。レセリカは頭を抱える。
リファレットの護衛任務は国王が任命したものだ。そのため、いくらフレデリックといえどもそう簡単に手は出せないと高を括っていた。
「まさか、家族が彼を切り捨てるだなんて……」
「はい。陛下がレセリカ様の護衛について言及しても、家族のことだからと言われてしまっては口を出せないようなのです。息子は許されざることをした、申し訳が立たない、と。その一点張りだとか」
すでに正式な手続きで縁を切られており、もはや国王でさえどうすることも出来ない状態になっているのだという。
どう考えても計画的だ。誰かが入れ知恵したとしか思えない対応速度である。
簡単に言うと、リファレットは一瞬で貴族ではなくなった。それどころか孤児扱いだ。
あと一年ほどで成人するとはいえ、それまでの働き口もなく路頭に迷うことになる。
当然、学園へ通う資金も打ち切られたことで、通えなくなり、レセリカの護衛も出来なくなるというわけだ。
せっかく、騎士科の最終学年を最高の成績で卒業出来たはずだというのに。レセリカは悔しさに奥歯を噛み締めた。
「さすがに見兼ねた王妃様が彼の後見人として声を上げたそうですが……血の繋がりのない他人が後見人になるには、色々と時間がかかるのだそうです」
「ドロシア様でもそうなの? ……いえ、そのための法だものね。むしろ王族がそれを守らないわけにはいかないわ」
それでもどうにか彼の生活を影から支えることと、退学ではなく休学という扱いにすることは出来たという。
今はそれだけで良かったと思った方がいいのかもしれない。
(私の、責任でもあるわね……)
レセリカは決意のこもった眼差しで顔を上げ、すぐにダリアへ指示を出す。
「ダリア。来週末、ドロシア様とお話が出来ないか都合をつけてもらえるかしら。きっと、ドロシア様からも私に話したいことがあると思うの」
「かしこまりました。すぐに」
今はちゃんとした事情を知り、情報を共有する必要がある。レセリカは理不尽に対する怒りを感じて拳を握りしめた。
「ラティーシャ……」
そして何より気になるのは、彼女のこと。
リファレットの婚約者である友人のことを思うと、胸が酷く痛むのだった。




