不可能な思惑
シィが出て行ったのを見届けたシンディーは、苛立つ気持ちのまま乱暴に椅子に腰かけた。
そのまま机の引き出しを思い切り開け、たばこを一本取り出す。苛立ちのせいでマッチになかなか火が点かず、二本を無駄にしながらどうにか火を点けて吸い込んだ。
たばこは、ここエデルバラージ王国では流通していない。シンディーの母国から秘密裏に送られてくる嗜好品であった。
彼女の吸っているものは、たばこの中でも依存性の高い危険な商品である。その分、ストレス解消やリラックス効果も高いため、シンディーは愛用しているのだ。
ただしその依存性の高さから危険視され、この国では流通が禁止されている品物となっている。
シンディーは王弟の妻としての立場を利用してうまく輸入し、密かに売買を進め、今やこの国でも裏の世界の住人の間で少しずつ広まりつつあった。
次はさらに依存性の高い薬物を検討している。いくら王弟の妻といえど、あまりにも勝手がすぎる行いである。
「なんとしてでもフレデリックに『ロア』の名を。そしていずれは『オル』の名をいただくのよ……!」
ふぅぅ、と長い息を吐き、少し落ち着きを取り戻したシンディーは小さな声で呟く。「ロア」は王太子に、「オル」は国王に付けられる名であるが、本当の意味は別にあった。
地の一族オルデロア。その血を強く受け継ぐ者、という意味でその名が国王と王太子に受け継がれているのである。
「腐ってもヴァイスは王族。その息子であるフレデリックは王になる資質を持っているはずよ。さらに地の一族の血が濃い冷徹令嬢と結婚したら……生まれてくる子は間違いなく地の一族の後継。ついに我が母国の血が、元素の一族と混ざり合うのだわ……!」
その子どもを皮切りに、ゆくゆくは他の元素の一族を取り込んで母国への進出を。
その時、エデルバラージの国王として息子のフレデリックが君臨していれば、エデルバラージはパナグロウの手中に収めることが出来る。
それこそが、シンディーがこの国の王弟に嫁いだ最大の目的であった。
元素の一族という強大な力を持つこの国は、シンディーの母国にとって昔から変わらぬ脅威だ。攻め入ろうにも隙がなく、取り入ろうにも立場は対等止まり。
対等な関係が築けているのならそれで良し、とは思わない。それが隣国パナグロウ海洋国であり、シンディーの母国である。
聖エデルバラージ王国もまた、パナグロウのことは長年警戒し続けてきた。
なんといっても周辺の海を熟知している、世界を支配しかねない力を持つ国だ。加えて野心的。海に面している国ならどこも警戒する国だ。
だからこそ、エデルバラージは現国王の時代に同盟を結んだのである。自国を、そして海に面する全ての小国を守るために。
エデルバラージとパナグロウ、王族に近しい娘を互いの王族に嫁がせることで和平は結ばれた。……あくまで、表向きには。
しかしパナグロウから送られ、嫁いできたシンディーは秘密裏に任務も背負ってきていたというわけだ。それこそが元素の一族の取り込み。
彼らさえ味方に出来れば、もはやエデルバラージなど敵ではなくなる。それを狙ってのことだった。
実のところ、元素の一族の取り込みは不可能なのだが、彼女たちパナグロウの者は知る由もない。
それはそうだろう。そもそも、元素の一族自体が謎に包まれており、エデルバラージ国でさえ把握しきれていないのだから。
パナグロウも、元素の一族の存在を知ったのは偶然からだった。
エデルバラージに攻撃を仕掛けるべく密偵を放ったところ、あっけなく見つかって処分されてしまったことがあった。
その際、ギリギリで生きていた者からどうにか情報を得たのである。その者も、ものの数分で命を落としたのだが。
エデルバラージに隙がないのは、かの者たちの存在である。それがパナグロウの認識であり、だからこそ利用しようと考えたのだろう。
「シィ・アクエル……いつもニヤついていて何を考えているかわからない不気味な男。優秀だと聞いていたのに、とんだハズレくじだったわ。でも、顔だけは良いのよね。調教のし甲斐があるわ」
自分には何でも出来ると信じて疑わない、プライドの高そうな男を足で踏みつけるのはさぞ快感だろう、とシンディーは微笑む。
「あの男は私と対等であると思っているようだけれど。勘違いも甚だしいわね。ふんっ、いずれ我が国の支配下に置かれるというのに。依頼が終わったら、わからせてやらないと」
どんな拷問をしてやろう、シンディーはうっとりとその光景を想像してクスクス笑う。先ほどまでの不機嫌さは、たばこの力でどこかへ行ってしまったようだ。
絶対に来ない未来に思いを馳せるなど、随分と幸せなものである。
元素の一族は、この地にいるからこそ能力を発揮する。そして、自らの意思でない限りは力を使うことは出来ないのだから。
そして、誰かを人質に取られて仕方なく従ったヒューイや、誰かを守るために動くダリアのような者の方が稀である。
彼らは本来、誰が死のうがどうでもいいのだ。多少、悲しむことはあっても、それが運命であると切り捨てるのが当たり前という価値観を持っている。
ゆえに、彼らを支配することは出来ない。一族の変わり者を一人か二人ほど利用することは出来ても、それが限界。
二本目のたばこに火を点けて上機嫌なシンディーが、自らの手で己の首を絞めていることに気付くことは……最期の瞬間までないのであった。




