香水と決意
クライブがこの場を去ってからしばらくの時間を置いて、ようやく部屋のドアが開かれる。
中からはとても嬉しそうな顔をしたシスターテレサを先頭に、こちらもどこか満足げな様子のレセリカたちが出てきた。
そんなレセリカの様子を見たダリアはホッと肩の力を抜いた。先ほどのことを悟られぬよう、いつも通りの所作で軽く頭を下げてみせる。
「お待たせ、ダリア。たくさん待たせてしまったわね」
「いえ。そのご様子ですと、良い話が出来たようですね」
「そうなの。突然な話だというのに、こちらの考えに理解を示してくださったわ」
これから少し忙しくなりそう、と告げるレセリカはとても充実しているように見える。
(後悔なんて、何もない。レセリカ様の、こんなにも幸せそうなお顔を見られたのですから)
これは本心だ。禁忌は許されざる行為であり、いくら未来の出来事だったとしても関係のないこと。
そもそも、それ以前の過去の罪までなくなるわけではないのだ。
幼少期から火の一族として英才教育を受けてきたダリアは、数えきれないほど人の命を奪っているのだから。
今さら、救われる気もなかった。
(でも……最後の最後まで油断は出来ない。せめてレセリカ様が無事にご結婚されるまでは)
キャロルとポーラの二人の親友と会話を続けるレセリカの背後で、ダリアは無意識に胸元で拳を握りしめる。
(この命も、持ってくれるといいのですけれど)
禁忌を犯した身なのだ。髪と瞳の色の変化だけで終わるはずがない。
火の一族としての力をほとんど失ったダリアに残されたのは、ナイフの腕と幼い頃から磨いてきた暗殺者としての技術と勘だけ。
実をいうと、あれだけ強がっていたがヒューイとまともにやりあったところで勝てるかどうかは五分五分なのだ。
そして、その寿命が大きく削られているのをダリアは感じている。感覚でしかないが、間違いないと確信しているのだ。
(王太子の首を切る時に見た、彼の遺体。手には香水が握られていた。毒は……香水に仕込まれていた)
あの日は夜会へ向かうため、セオフィラスがレセリカをベルティエ学院まで迎えに来る予定だった。
数えるほどしか顔を合わせていないとはいえ、己の婚約者。気まぐれで香水を手に取ったのかもしれない。
なぜなら、その香水はレセリカからの贈り物だったのだから。
だが、そんな確実性の低い方法をとるわけがないとダリアは考えている。
もしかすると、事前に手紙でレセリカから贈られた香水を付けるという約束でもしていたのかもしれない。
その手紙の内容を犯人が知っていたら。もしくは、手紙を捏造されていたら。
すでに確かめようのない、消した過去のことだ。全ては推測でしかなかった。
だがまず間違いなく、香水から見つかった毒のせいでレセリカが断罪されることとなったのだろう。
当然、レセリカは前の人生でもセオフィラスを殺そうとなど思ってはいなかった。そもそも、香水もレセリカが香りを確かめながら選んだだけで、手に触れてさえいないのだ。
怪しいのはその香水を手にした者。
仕入先、商人、または贈り物を検品した者。いや、それさえ無意味かもしれない。
水の一族、シィ・アクエルなら贈り物の香水に毒を仕込むことなど容易い。
(レセリカ様の歩む道は大きく変わった。でも、レセリカ様が関わっていない他の者たちの歩む道が大きく変わることはない、と考えるべきでしょう)
つまり、前の人生でも今の人生でも、シィ・アクエルは同じ者から同じ依頼を受けている可能性が高いということだ。
(やはり、シンディー・バラージュが王太子暗殺を……)
やり直した当初、ダリアはただレセリカが断罪されるのを阻止するだけで良いと考えていた。つまり、王太子が暗殺されても構わないと思っていたのだ。
しかし、今のレセリカは……セオフィラスに好意を抱いている。
その想いはいずれ、愛に変わっていくだろうという予感もダリアは感じていた。
(とても難しいことだけれど……そもそも、レセリカ様は最初から暗殺の阻止をするつもりでいらした)
ならば自分が出来ないなどと弱音を吐くのはおかしいというものだ。
「ダリア。帰りにお買い物をしたいのだけれど、いいかしら。その、ろ、露店で……」
くるりと振り返り、少し恥ずかしそうに問うレセリカを見て、ダリアは微笑んだ。
「もちろんです。護衛はお任せください」
なぜか、やり直す前の記憶を持っているレセリカ。
それだけがいまだに不思議で仕方ないダリアだったが、今はなんとなく理由がわかる気がした。
(私が禁忌を犯した時に望んだことは、レセリカ様が記憶をお持ちでないと叶わない願いだったのかもしれない)
だとしたら、運命に抗うという己の勝手な願いに、何よりも大事なレセリカを巻き込んでしまったことになる。
生きているのだからそれで良いではないか、と割り切ることなどダリアには出来なかった。
ただし、巻き込んでしまったのだから今度こそレセリカを守りたいという決意も固い。
そう、たとえ暗殺の阻止が失敗したとしても。他のどんなものを犠牲にしてでも、レセリカだけは守るのだという決意が。
「おい、顔色が悪くね? なんかあったのか」
ふと、背後に降り立つヒューイの気配を感じてダリアはチラッと顔を向ける。
どうやら、クライブが来ていたことには気付いていないようだ。やはり、風は火に弱い。
「別になにも。この場所が薄暗いからでは?」
「まぁ、学園や屋敷に比べりゃ暗いかもしんねーけど、これでも前よりかなり明るく……って、おいっ」
ブツブツと呟くヒューイを無視して、ダリアはレセリカの後を追うように歩き出す。
納得がいかないというように盛大なため息が後ろから聞こえてきたが、すぐ護衛任務に戻ったのだろう。気配が一瞬で消えてしまった。
脳裏に再び死に際のヒューイの顔が過ったが、ダリアは気付かないフリをした。




