お節介とチャンス
婚約発表前にあまり人目には触れたくないということで、ベッドフォード家の馬車は城の裏口から通してもらえた。
指定された位置に馬車を停めて順に降りていく。レセリカはオージアスにエスコートされながら王城内へと歩を進めた。背後ではやや拗ねた様子のロミオがついて来ている。
そのまま二階へ上がり、客室の一つに通された。ベッドフォード家の三人と二人の侍女、そして入り口近くに兵士を残し、ここで待つよう告げられる。
宴の準備の都合上、国王夫妻と王太子がわざわざこの部屋に赴くそうだ。
「き、緊張してしまいます。自分のことでもないのに、おかしいですよね」
ドアが閉められ、室内が親子と侍女だけとなった時、ロミオがはにかみながら小声で告げる。
こういう時に素直に言ってくれるのがレセリカにはありがたかった。王家の方々に会うのは確かに気を張らねばならないが、ただ会うだけならここまでの緊張はしなかっただろう。
レセリカは、国王の顔を見た時にあの記憶が蘇って震えてしまわないか、それだけが気掛かりであった。
しばらく室内で待っていると、ようやく国王夫妻と王太子が来たという連絡が入る。
オージアスが室内の中央、やや扉寄りに立つと、レセリカとロミオがその両隣に立つ。それから膝を折って頭を下げ、国王たちの入室を待った。
準備が整うと部屋の扉が開けられ、護衛の兵士とともに国王が入室してくる。国王パーシヴァルは距離を開けてオージアスの前に立つと、そのやや後ろに王妃ドロシアが立った。反対側、ちょうどレセリカの前に立つのは王太子セオフィラスだ。
「よく来てくれた、ベッドフォード公爵とその子らよ。顔を上げよ」
国王が最初に口を開き、許可を得てようやく顔を上げる。レセリカは下を向いたまま小さく深呼吸をすると、隣に立つオージアスに合わせてゆっくりと上体を起こした。
目の前に立つ国王夫妻と王太子の姿。国王の表情は柔らかく、温かい目でレセリカを見つめている。
王妃と王太子の表情は読み辛く、二人とも同じように緩く微笑みを浮かべていた。
「まずは、礼を述べねばな。此度はセオフィラスの婚約を受けてくれてありがとう、ベッドフォードの娘よ」
国王パーシヴァルはまだ子どもであることを配慮してか、やや言葉を崩して声をかけた。その優しい声を聞いてレセリカは思い出す。
(ああ、そうでした。陛下は前の時も、最初はこうして優しく声をかけてくださったわ)
あの恐ろしい態度は、国王が罪人に向けたものだ。レセリカは無実だったけれど、大切な息子を亡くして感情が抑えられない王としての、父としての怒りだったのだ。
今のレセリカはただ王太子の婚約者として前にいる。あの目や感情を向けられることはない。
わかってはいるものの、あの恐怖は簡単には消えてくれない。けれど、今この場では大丈夫なのだとなんとか落ち着くことが出来た。
ここで国王がもし、大人に向けるような厳しい視線と言葉を向けていたとしたら、この場で何も喋れなくなっていたかもしれない。レセリカは国王の気遣いに心から感謝した。
それからレセリカはスッと片足を斜め後ろの内側に引く。そしてもう片方の膝を軽く曲げて上体を倒し、深くお辞儀をした。それは見事な最敬礼のカーテシーだった。
八歳とは思えぬ隙のなさと美しさに、国王夫妻はもちろん、使用人も含めたその場にいる全員が息を呑む。
「オージアス・ベッドフォードが娘、レセリカにございます」
レセリカは名乗った後、再び姿勢を戻す。背筋を伸ばして真っ直ぐに国王を見つめ、婚約の話については光栄ですとだけ答えた。
初対面であるし、この場ではこれ以上のことは言わないのが最善であると判断したのだ。
「……これは驚いたな。オージアス、お前の娘は本当に八歳か?」
国王はその挨拶も含めていたく感心したように目を見開く。後ろに控えていた王妃ドロシアも態度にはあまり出さないが驚いているようだった。
この年頃の娘は、セオフィラスが目の前にいたら見惚れる者が多い。噂でレセリカはそのようなタイプではないと聞いてはいたが、婚約者に選ばれたのだからきっと喜色を滲ませるだろうと国王夫妻は思っていたのである。
それが微塵も興味を示さないとは。レセリカはほとんどセオフィラスに目を向けず、真っ直ぐ国王を見つめてくるではないか。
しかし国王はすぐにある可能性に思い至り、考え直す。もしかすると、父親と同じで感情が表に出にくいだけで、内心では喜んでいるではないか、と。先ほどから表情が変わらない様子であるし、その考えはあながち間違いではないだろうとも。
「婚約をしたとはいえ、まだ互いを知らぬ。緊張もしておろう? セオフィラスとてそれは同じ。レセリカよ、どうかな? 少し二人で話をしてみるというのは」
「なっ!?」
「え」
そんな思考から、国王はお節介を焼くことに決めたようだった。
真っ先に声を上げたのは恐らくセオフィラスだ。
恐らく、というのは、皆が彼に注目した時にはすでに穏やかに微笑んでいるだけだったからだ。今のは本当に王太子の声だったのか、誰もが自信を持てなかったのである。
レセリカの記憶にあるセオフィラスは、基本的にいつも同じ笑顔を人前で見せてくれる人で、それを崩すのを見たことはない。
今の殿下は九歳。まだ子どもではあるのだが、記憶にある印象とほとんど変わらなかった。だからこそレセリカも、慌てたように声を上げたのがセオフィラスとは思えず、気のせいと思うことにした。
「おや、まだ心の準備が出来ていないかな? それならば、また別の日にその機会を設けてもよいが……」
すぐには答えられず黙っていたのを、拒否と捉えたのだろう。国王は残念そうに眉尻を下げながらも、無理強いする気はないようだった。
(でも、それでいいのかしら? またの機会っていつになる? 結局、忙しくなって時間が取れなくなりそうだわ。来月になれば殿下は学園に通う準備で忙しくなるもの)
セオフィラスと二人で話せるのは、今がチャンスかもしれない。話題を変えそうな雰囲気になる中、レセリカは父に初めてワガママを言った時以上の勇気を振り絞った。
「あ、あのっ!」
少しだけ大きくなってしまった声に、誰もが目を丸くしてレセリカを見た。落ち着いて、と自分に言い聞かせ、レセリカは告げる。
「出来ることなら、少しお話しさせて頂きたく存じます。あ、あの。殿下さえ了承してくださるのなら」
これまで無表情を崩さなかった美少女レセリカのはにかんだ表情。その威力は凄まじい。
父や弟はもちろん、国王夫妻、さらにはセオフィラスの心にも矢が刺さった瞬間であった。




