わかりにくい主張
その日、ラティーシャは少しだけ動きやすいワンピースに身を包んでいた。
リファレットからの手紙に返事を出すと、その数日後にはまた返信が来ており、三日後にはフロックハートの領地に馬で向かうと記されていたのだ。
思い立ったらすぐ、しかも馬に乗って一刻も早く駆けつけようとするその行動力。まさしくイメージにある通りの脳筋のそれで、思わず引き攣った笑みを浮かべながらラティーシャはその手紙を読んだ。
自分としても、こういう憂鬱な案件は早いところ終わらせてしまいたい。そのため、すぐに来てくれる分にはむしろありがたい話ではある。
だがなんとなく、がっつかれているような気がしてラティーシャは鳥肌が立ってしまうのだ。
こういった男性が好きだという人もいるのはわかっている。ただラティーシャが苦手なだけである。人の好意を嫌な方に受け取ってしまう自分がまた嫌でもあった。
「……この度は、貴女と会うチャンスをもらえて、嬉しく思う」
屋敷に到着したのは午前中であった。予定ピッタリの時間である。それが彼の生真面目さを表しているようだった。
「外で話しませんこと? 今日は心地好い天気ですし、このような田舎でしたら外の方が人に邪魔されずに話が出来ますもの」
「そ、それは、構わないが……二人きりになってしまう。貴女が不快にならないか?」
リファレットには、ラティーシャに嫌われているという自覚があるらしかった。出来るだけ大きな声にならないよう、威圧感を与えぬようにと気を配っているのがわかる。
本来なら素晴らしい配慮である。だがラティーシャはそれが気に食わなかった。自分に気を遣われれば遣われるほど、惨めな気持ちになるのだから。
「誰かに盗み聞きされる方が不快になりますもの。それに、別に二人になったところで何も問題はありませんでしょう?」
「それはもちろん。危険がない限りは貴女に触れないと約束しよう。一定の距離も保つ」
「当たり前ですわ」
ツンとしたまま先に歩くラティーシャだったが、リファレットはそれでも満足そうであった。それがまたラティーシャを苛立たせる。
(なぜこんなにも苛立ってしまうのかしら)
たぶんだが、自分の気に入らないリファレットという人物に幸せそうにされるのが腹立たしいのかもしれない。あっさりとそう結論付けたラティーシャは、つくづく自分は性格が悪い、と自嘲気味に笑った。
フロックハートの領地を見渡せる丘に登ってきた二人は、頂上付近にある大木の前に腰を下ろす。なんの躊躇もなく地面に座り込んだラティーシャを見て、リファレットは目を丸くした。
「なんですの? 伯爵令嬢が何も敷かずに地面に座り込んだことを、はしたないとでも思いました?」
「い、いや! はしたないなどとは全く思わないが、ただ、驚いて」
「私にどんなイメージを持ってらしたのかしらね。美化しすぎているのではない?」
ラティーシャが前を向きながら嫌味を投げると、数秒後にリファレットが少し距離を開けて隣に座った。胡座をかいて、手を後ろに置いてリラックスしている。
「いいや。むしろ好ましいと思う。その方が私も気楽でいい」
「……そうですの」
ほんの少し。そう、ほんの少しだけリファレットが素の顔を見せた気がした。彼もまた、常に生真面目で堅苦しいわけではないのかもしれない。
だからといって、絆されるわけではないのだが。
「ハッキリ、申し上げますわ」
ラティーシャは決めていた。今日は、本音をぶつけてやるんだと。遠回しに嫌味を言うのではなく、正直な気持ちを本人にだけ言ってやろうと。
それもこれも、無表情なくせに顔を真っ赤にしながら本当の気持ちを告げる人が近くにいたせいだった。
レセリカ・ベッドフォード。
彼女は本当に嫌になるくらい真っ直ぐな少女で、張り合うのが馬鹿馬鹿しいと最近になってラティーシャはようやく気付いたのだ。
自分には自分の良さがあるのだから、同じ舞台に立とうとするのが間違っていたのだということに。
「私、大柄な男性が苦手ですの。堅苦しい方も、筋肉質な方も。私は今も小柄な方ですし、きっと将来もそんなに大きくはなりませんから余計に怖いのですわ」
ラティーシャの父も兄も背はそれなりに高く、筋肉もついているが全体的に細身である。つまり大きな男性に耐性がないのだ。厳しい男性にも耐性がない。
だが、嫌味には耐性がある。幼い頃から兄に散々言われ続けながら育っているからだ。フロックハート家の兄妹仲はとても悪いのだ。それもこれも両親、特に父親が娘を溺愛していることが原因である。
「リファレット様は、今はまだ少し体格が良いくらいですけれど。その年齢にしては大きい方ですし、毎日鍛えてらっしゃいますし、きっとどんどん大きくなっていくのでしょう?」
彼の父親であるドルマンもかなりガタイがいい男性だ。リファレットも同じように大柄な男性になるだろうことは簡単に予想出来る。
「わかっていますの。それは騎士を目指す者にとってはとても良いことなのだと。貴方に大きくならないで、なんて言うつもりもありませんのよ? でも」
なぜだか鼻の奥がツンとして、ラティーシャの声が涙声になっていく。
リファレットはそのことにハッと気付いたものの、指先一本動かせずにラティーシャの横顔を見つめていた。
「恐怖とは、そう簡単に克服出来るものではありませんのよ……」
言い終わると、しばらく沈黙が流れた。時折、風が草葉を揺らすサァッという音だけが聞こえるのみだ。
それからどれほどそうしていただろうか。口を開いたのは再びラティーシャであった。
「こういう時、気の利いたことの一つも言えませんの?」
「うっ、も、申し訳ない……」
飛び出したのはやっぱり嫌味で、自分の性格に嫌気がさすとともに、なぜこの人が自分を好いてくれているのかラティーシャは不思議で仕方なかった。
(察して、と言う方が無理な話だったわ)
この生真面目男に小難しいことを求めること自体が間違いだった。ラティーシャはキッとリファレットを睨みつけた。
「鈍いですわね! ですから、克服出来るように協力してほしいと言っていますのよっ!」
「え、は……?」
ラティーシャの文句はかなり理不尽であった。さすがにこれでは鋭い人でもなかなか気付けなかっただろう。
まさかラティーシャが、リファレットに歩み寄ろうとしているなんて。
戸惑いの声を漏らすリファレットに向き直ったラティーシャは、耳まで真っ赤にしながら叫ぶように告げた。
「今の貴方ならまだそんなに怖くはありませんの! ですから、怖くないうちから出来るだけ側にいて、少しずつ慣らしてほしいってことですわっ!!」
「っ! そ、それは、婚約を許してもらえるということか?」
「ゆっ、許してもらいたいのなら、私に好かれるような努力をなさいませっ!」
ラティーシャはそう言い放つとプイッとそっぽを向いてしまう。
別にリファレットのことなどなんとも思ってはいないのだが、告白をしたみたいで嫌だったし、やたらと恥ずかしかったのだ。
一方のリファレットは言葉を噛み締めるように何度か頷くと、一度立ち上がってからラティーシャの前へ回り込み、そのまま膝をついて胸に手を当てた。
「わかった。必ずや貴女の心を射止めてみせよう。……側にいる許しをくれてありがとう、ラティーシャ」
「……お、大袈裟ですのよ。本当、こんなに冷たくしているというのに、貴方は物好きですわ」
「なんとでも言えばいい。だが、これで私の貴女への想いは変わらないという、その証明になるのではないか?」
広い野原の丘の上にて、二人だけで行われた誓いのようなもの。
ラティーシャにとっては不本意でしかない出来事ではあったが、おそらく一生忘れることなど出来ない思い出となったことだろう。
その数日後、リファレットとラティーシャの婚約は正式に発表され、貴族界隈に話が広まるのであった。




