ドレスアップと褒め言葉
いよいよ、社交界デビューの日がやってきた。この日の女性参加者の朝は早い。支度にとても時間がかかるからである。
「ふふ、飛び切り素敵に仕上げますわ、レセリカお嬢様!」
「え、っと。いいのでしょうか? レディ・ジョー。貴女はとても忙しい方だと聞いていますが……」
レセリカが目覚めた時間にはすでに屋敷に来て待機していたレディ・ジョーは、もっと早くから動き始めていたのがわかる。それも、いつも通りのバッチリメイクに隙のない装い。まだ夜も明けぬ時間には到着していたと思われるので、レセリカは寝ていないのでは? と少々心配になった。
「ええ、今日はとても忙しいわ。だって、貴女を最も魅力的に見えるように着飾る日ですもの。決して手は抜きませんのでお覚悟なさいませ?」
しかし、そんなことは微塵も感じさせないレディ・ジョーは、むしろ生き生きとしている。ドレッサーの前に座るレセリカの髪を持ち上げながらご機嫌な鼻歌まで聞こえてくるほどだ。
鏡越しに合った彼女目は爛々としており、レセリカはつい慌てて目を逸らしてしまった。
「コサージュはこちらにいたしましょう」
それは光沢のある、暗いゴールドの花のコサージュだった。角度によっては銀色にも見えるそれは、髪飾りにも同じモチーフを使うという。
シックな物を選ぶと聞いてはいたが、一見すると地味なその飾りを選んだのが意外でレセリカは首を傾げた。
「殿下の髪色と同じですわよ、レセリカ様。殿下のアッシュゴールドの髪はもっと透明感があって柔らかい印象ですけれどね。でも、誰が見ても一目でそれとわかりますわ。ふふ、婚約の発表をなさるのでしょう?」
もちろん誰にも言っておりませんわよ、とレディ・ジョーはウィンクをする。驚くレセリカに、彼女は随分前にオージアスから聞いたのだと付け加えた。その意味するところを彼女は正確に理解し、こうして衣装に取り込んだのである。
婚約者の色を使ったコーディネートは、周囲に認知させる上でとても有効な手段なのだ。
「他のご令嬢たちは、アピールのためにきっと殿下の瞳の色である空色のアクセサリーを使うでしょうね。でもこの色は扱いが難しいからわざわざ使う者などいませんわ。きっとレセリカ様だけですわよ? まさに真の婚約者に相応しい! 腕が鳴りますわーっ!」
オホホホと高笑いをするレディ・ジョーは、心底楽しそうである。メラメラと燃えて見えるのはそのたっぷりとした赤い髪のせいだろうか。
「それに、レセリカ様ならとてもお似合いになりますわ。愛らしいテイストのドレスに対し、アップにした髪とシックなコサージュ、そして何よりその美貌! さらに完璧なバランスを調整するのはこのわたくし。ああ、たまりませんわね! 上品さと愛らしさを兼ね備えた奇跡の令嬢としてその名が轟くかもしれませんわ! 少なくとも会場の目は釘付けになること間違いなしですわよ!」
さすがにそれは言い過ぎでは、とレセリカの常に無表情の顔がやや引きつった。
彼女としてはあまり目立たなくてもよいのだが、王太子の婚約者として名を呼ばれる身なので、ある程度は目を引かなくてはならないことくらいは理解している。
その立場に恥じぬように。認めてもらえるように。レセリカの気持ちはそこだけに向いているのだ。
髪型をセットし、軽い化粧が施される。都度、レディ・ジョーがこれでもかというほど褒めてくるのでいい加減レセリカも慣れてしまった。最初は律儀にお礼を言っていたが、もはや独り言のようなものだと気付いてからは黙って聞き流している。
「……我ながら、惚れ惚れする仕事ぶりだわね。さ、レセリカ様。準備が整いましてよ」
それから数時間後、ついにドレスアップが完成した。共に着付けを手伝った侍女たちもうっとりとレセリカを眺めている。
「本当に成長が楽しみなお嬢さまですこと」
もはや聞き飽きた褒め言葉に、レセリカは今一度お礼を告げる。その気持ちも込めて丁寧なカーテシーを披露すると、感嘆のため息が漏れ聞こえてきた。
改めて鏡に映る自分を見ると、とても素敵に仕上げてもらっているのがわかる。細部に至るまで丁寧に、そして着崩れしにくいようにと所々で工夫されているのは見事の一言に尽きる。
侍女から支度が整ったと連絡がいったのだろう、ノック音が聞こえ、父オージアスが部屋にやってきたことが知らされる。
どうぞ、という一言でオージアスが入室してくるのをレセリカはほんの少しドキドキしながら待った。そして、緊張している自分にハッとする。
前の人生ではドレスアップした後も素っ気ない態度だった父に対し、今回は少し褒めてもらえるだろうかとわずかに期待していることに気付いたのだ。
(勘違いをしてはダメよね。少し仲良くなれただけで褒めてもらおうなんて……)
きっと、レディ・ジョーや侍女たちがたくさん褒めてくれたから父も、と期待してしまったのだ。
そんな自分を恥ずかしく思って目を伏せていると、入り口で父が立ち止まっていることに気付く。何かあったのだろうかと視線を上げると、オージアスはレセリカの姿を真剣な眼差しで見つめていた。
「あ、あの、お父様? 何かおかしいところがあったでしょうか……」
あまりにも無言が続くので不安になったレセリカは父に訊ねた。それとほぼ同時に、レディ・ジョーがあろうことかオージアスの背中を軽く小突く。
「何かおっしゃいませんと、お嬢様に嫌われましてよっ」
「はっ」
笑顔を絶やさないままオージアスにだけ聞こえるような小声で呟くレディ・ジョー。その間も、レセリカの目は不安に揺れている。
ようやくこれはまずい、と気付いたオージアスは、わざとらしく咳をすると一歩ずつレセリカに近付いた。
「その、レセリカ。とても……」
「姉上っ! 今日は一段とお美しいです! きっと会場のシャンデリアも霞むほどですよっ! ああ、あまり他の人には見せたくないですね……! ずーっと眺めていたいです……」
しかし、遅れて部屋にやってきた弟のロミオが姉の姿を見た瞬間に褒めちぎり始めたため、オージアスの言葉は遮られた。
「ありがとう、ロミオ。貴方もとても素敵だわ。姉として誇らしい気持ちよ」
明るいシルバーのスーツにレセリカのドレスと同じピンク色のネクタイとハンカチーフを胸にあしらったロミオは、両手を組んでうっとりとレセリカを見つめている。
さらに告げられた姉からの褒め言葉には顔をほころばせた。
「さすがは、次期ご当主。女性の褒め方がとてもお上手ですわね。ねぇ、ベッドフォード公爵?」
「……」
息子に先を越されたオージアスは、レディ・ジョーにまで嫌味を言われて立つ瀬なしである。
しかし、ここでまだ何も言わないままなのは父として、一人の紳士として大変よろしくない。オージアスは再び軽く咳をしてから改めて娘に向き合った。
「レセリカ。……とても、似合っている」
「あ、ありがとうございます……」
ロミオの褒め言葉はもちろん、父にも褒められて幸福感に満たされたレセリカは頬を染めた。期待してはダメだと言い聞かせたものの、やはり褒められるのは嬉しい。家族からの褒め言葉は特に。
「王城までは私がエスコートしよう。ロミオは会場に着いてから頼むぞ」
「むー、仕方ありませんね。今は父上に譲ってあげます!」
「……言うようになったな、ロミオ」
「父上の息子ですから」
父と弟のこんな気さくなやり取りも最近では珍しくない。本当にあの記憶とは違ったように日々が過ぎており、レセリカはそれがとてつもなく幸せだと感じていた。
(先のことはまだわからないけれど、きっと良い未来へ進んでいると信じたいわ)
オージアスにエスコートされながら、レセリカは蕾が花開くかのごとく微笑みを浮かべたのだった。




