呼び出しと呼び方
学年末試験が終わり、生徒たちは長期休暇となった。次に学園へ通う時は、それぞれが一学年上へと進級する。
レセリカはいよいよ一般科へと進むのだ。未知の世界に足を踏み入れるようで、期待と不安で今から緊張気味である。
だが、そんな緊張もどこかへ行ってしまいそうなほど、最近は少し困っていることがあった。
困っている、と言うのは少し違うかもしれない。嬉しいことではあるのだから。
「レセリカ、待たせてしまったかな?」
「セオフィラス様。いえ、先ほど到着したところです」
ほんの二ヶ月ほど前からだろうか。セオフィラスの距離がどうも近いように感じるのだ。物理的な距離だけではない。これまで以上に頻繁に会いにくるようになったのである。
それどころか、休みの日になればほんの少しの時間であっても二人きりになる時間を作ろうと誘ってくる。セオフィラスの手が空いていない時は、護衛の二人の内どちらかが必ずレセリカの下にやってきて近況を聞いてくるのだ。もちろん、聞いた話をセオフィラスに逐一報告しているのだろう。
有り体に言うと、やたらと過保護になったのである。
「ベッドフォード公爵やロミオに申し訳ないことをしたね」
「? いえ、特に渋られることもありませんでしたが……」
さて、今はセオフィラスと共にレセリカは馬車に揺られている。今日から長期休暇となるため、本来ならベッドフォード家の馬車でロミオと共に帰省する予定だった。
それがなぜ王族の馬車に乗っているかというと、現国王陛下パーシヴァル直々に、レセリカと会ってゆっくり話をしたいという誘いが来たためだ。
陛下というより、王妃ドロシアがお茶会に誘いたがっている、というのが本当のところだという。
国王夫妻と言葉を交わすのは、婚約が決まって初めて顔合わせをした時以来である。確かに、そろそろ会っておくべきだ。学園での様子や、進路も決まったちょうどいい頃合でもある。
「そりゃあ、国王の頼みとなれば断ることも出来ないでしょう。内心では、大好きな娘と一緒に過ごす時間が減ってガッカリしているんじゃないかな」
「そんなことは……」
「ないと言える? 少なくとも、ロミオは寂しがっているんじゃないかな」
正直な話、否定は出来なかった。学園に通うようになって昔ほど甘えてこなくなった弟のロミオではあるが、顔を合わせれば目を輝かせ、レセリカのためならなんでもすると意気込む姿勢は変わらない。むしろ激しくなったかもしれない。
ただ、父親に関してはそこまでではないと思うのだが……それはレセリカの認識が甘いだけである。
「私は、学園が終わった後も君と一緒にいられて嬉しいけれどね」
ドキリと胸が弾む。レセリカが困るのはこういう時なのだ。セオフィラスは会うと必ずこうして落ち着かなくなることを言う。
もちろん嫌な言葉ではない。ちっとも不快ではなく、むしろ逆でとても嬉しいのだ。だからこそどう反応したらいいのかわからなくなって、すぐに顔を赤くしてしまう。それが困りごとであった。
「……私も、嬉しいです。その、セオフィラス様と一緒に、いられて」
「レセリカ……!」
けれど、いくら恥ずかしくとも本当の気持ちは伝えたい。自分は表情にも態度にも出にくいのだから、きちんと言葉にしなければ誤解されてしまうと学んでいるのだから。
ちなみに、セオフィラスは言葉などなくてもきちんとレセリカの気持ちを察することが出来るようになっている。むしろきっとそう思って頑張ってくれているのだろうな、ということまで察していた。
顔を真っ赤にしながら言葉にしてくれるレセリカが見たいがために、あえて察していないフリをしているだけである。
「実はね、レセリカに頼みたいことがあるんだけど」
「頼み、ですか?」
セオフィラスは、穏やかに微笑んで話を切り出した。
「私のことは、セオと呼んでくれない?」
「え……でも、それは」
余裕の態度に見えるが、おそらく内心では緊張していただろう。ギュッと握りしめる拳がわずかに震えていたのだから。
一方で告げられたレセリカは困惑する。フローラ王女との大切な思い出であるその呼び方を、自分がしてしまっても良いのかという戸惑いと動揺でいっぱいいっぱいだからだ。
「レセリカには、そう呼んでほしい。特別な呼び方だからこそ、特別な君に呼んでもらいたいんだよ」
ダメかな? と首を傾げてくるセオフィラスに、当然レセリカは無理とは言えない。そもそも、愛称で呼ばせてもらえるのはとても光栄で、嬉しいことなのだ。
「わ、わかりました。セオ、様」
本当に大丈夫なのかを確かめるように、レセリカは恐る恐る名を呼んだ。そんなレセリカの様子にセオフィラスはさらに笑みを深める。
「プライベートの時は、様もいらないよ」
愛称で呼ぶだけでも勇気を振り絞ったのに、呼び捨てにしろとまで言ってくるセオフィラスにレセリカの眉尻が困ったように下がる。
けれど、他ならぬセオフィラスの頼みだ。それに、セオフィラスも軽い気持ちで提案したわけではないことくらいレセリカにもわかっていた。
レセリカはさらに顔を赤く染めて、再度勇気を振り絞った。
「うっ、え、っと。セオ……?」
レセリカの声を目を閉じて聞いたセオフィラスは、余韻を噛み締めるように何度か頷くと、とても幸せそうに微笑んだ。
いつもの、誰にでも見せる笑みではない心からの笑顔だ。
「……うん。やっぱり君なら嬉しいと感じる。ありがとう、レセリカ」
お礼を言いたいのはこちらの方だとレセリカは思う。特別な呼び方をさせてもらえて、自分を特別だと言ってもらえて。
(少しずつでも、親しくなれているのかしら)
未来の国王で、婚約者。自分はその隣に立つに相応しい人物になれるだろうか。
(いいえ、なるのよ。……セオ、の隣に、胸を張って立ちたいもの)
これから国王夫妻に会う。レセリカは自分の心配ごとを、王妃ドロシアにそっと打ち明けてみようかと考え始めた。




