婚約と決意
あれから丸一日、頭を悩ませたオージアスはエグバートやバートンの説得もあって泣く泣くレセリカに報告をすることに決めたようだった。
次の日の朝、いつも通り見送りの挨拶をするため玄関ホールに来ていたレセリカは、オージアスからついでを装って王太子との婚約について聞かされる。娘に対してつくづく臆病な父である。
「セオフィラス殿下との婚約ですね。わかりました」
「……そ、そうか」
レセリカの反応はあっさりとしたものである。彼女にとっては予定通りであったし、そうなってもいいよう教育を受けてきたのだから当然だ。
一方、オージアスは拍子抜けしたのか僅かに眉を上げて一言返すだけであった。
「き、聞いていませんよ、父上! どういうことです!?」
むしろ、一緒に見送りに来ていた弟のロミオの方がこの世の終わりと言わんばかりに青ざめている。
そんなロミオを見てすぐに目を逸らしたオージアスは、息子の追及から逃れるためにそそくさと馬車に乗りこんで仕事に向かってしまった。
父に逃げられたロミオは頬を膨らませつつ玄関の外まで出て、遠くなっていく馬車を睨んでいる。そんな弟の様子を、レセリカは目を丸くして見ていた。
父親が怖くてビクビクしていたロミオがあんなにも強気に物を言うなんて、と驚いたのである。いつの間に弟はこんな風に堂々と発言出来るようになっていたのだろうか、と首を傾げていた。
(前の人生では、あり得なかった光景だわ)
それが状況的に良い変化なのか、逆に悪化しているのか。レセリカにその判断は出来ないのだが、悪くはないと感じる。少なくとも、ロミオが自然体でいるのだから。
「ね、姉様ぁ……姉様はそれでよいのですか? そんなにあっさりと了承してよいのですかぁ?」
それよりも、今は涙目になって聞いてくる弟の相手をしなければ。ただ、なぜロミオが泣きそうになっているのかがレセリカにはよくわからない。
最近は姉上と呼ぶようになっていたのに、動揺からか姉様呼びに戻っているほど取り乱している。
愛する弟に泣かれるのは少し弱い。ちゃんと向き合うため、レセリカはきちんとロミオに向き直り、ハッキリと答えてやった。
「ええ。光栄なことだもの」
「そうではなく!」
しかし、ロミオはそれで納得しなかった。ズイッとレセリカに詰め寄ると、両拳を胸の前で握りしめて訴えてくる。
「姉様のお気持ちはそれでいいのですか? 姉様のお心は、本当にそれでよいと言っているのですか?」
続けて言われた言葉に、レセリカはわずかに目を見開く。まさかそんなことを聞かれるとは思っていなかったのだ。潤んだ緑の瞳に自分の驚いた顔が映って見える。
「僕は、姉様には本当に愛した人と結婚してもらいたいです。あ、出来れば結婚なんてさせたくないんですけど……とにかく! 姉様が幸せでないと、嫌です!」
さらに予想外の言葉が続き、レセリカはすぐに反応を返すことが出来なかった。貴族社会では子どもの内から婚約者を親が決めるのは当たり前のことなのに、まさか愛という単語が出てくるとは。
そこまで考えて、レセリカは弟が意外とロマンチストなのだと知った。
目を細めながら無意識に弟の頭に手を伸ばす。ロミオのホワイトブロンドの髪は、レセリカと色は同じだが髪質が違ってフワフワだ。
「ね、ねねね姉様!?」
「ああ、ごめんなさい。つい」
急に頭を撫でられたロミオは顔を真っ赤にしていた。大好きな姉に撫でられた嬉しさと、小さい子ども扱いをされたようなちょっとした恥ずかしさとが混ざって、心中複雑なのだろう。
実際、六歳という年齢はまだ頭を撫でられてもおかしくない年齢なのだが。
「ロミオは愛する人と結婚出来るよう、父様には私からも言っておくわね」
「そっ、そうでもなくっ!!」
てっきり、自分は恋愛結婚したいからこその発言だと思っていたレセリカは、ついに弟の意図がわからず困惑してしまう。
少し考えてから、レセリカは自分の思っていることを正直に伝えることにした。ロミオは信頼出来る家族なのだし、もう心の内に隠すのは止めると決めたのだから。
「婚約は、もう決まったことだもの。実質、お断りは出来ないってわかっているでしょう」
「それはそうかもしれませんが、姉様が嫌だとおっしゃるのなら、僕は、僕は……!」
レセリカはここでようやく、自分が弟にとても心配されているのだと気付く。そしてその優しさと勇気に感動を覚えた。
けれど、セオフィラスとの婚約は前の人生でもこの時期に決まっていたことだ。今更レセリカは驚かないし、断る気もなかった。
ただ、前回と違うのはその婚約発表の場に自分もいる予定であるということ。それを考えると少し緊張はするかもしれない。
とにもかくにも、レセリカは婚約についてその程度にしか考えていなかったのだ。ロミオに言われて初めて、普通は自分の気持ちも考えるところなのかと気付いたくらいだ。
「ロミオ。心配してくれてありがとう」
それならば、安心させる言葉をかけるべきだろう。今度はレセリカがロミオの手を優しく取ると、目を合わせて静かに告げる。
「今は確かに、気持ちが伴っていないけれど……愛する努力をするわ。愛していただけるかはわからないけれど、歩み寄ることは出来ると思うの。それではダメかしら?」
「姉様……でもっ」
「それにね?」
さらに心配の言葉を言いそうなロミオの唇に、レセリカは人差し指をそっと当てて遮った。少しだけ微笑んだ表情といい、その行動といい、まんまと心を掴まれたロミオは思わず息を呑む。
「私の幸せは、私が自分で守るわ。大丈夫、きっと幸せでいてみせるから」
そう、未来は自分で切り開く。自分にとっての幸せがなんなのかさえまだわからないが、レセリカは今、そう決めたのだ。
あの恐ろしい運命を回避するだけでなく、出来れば幸せに。それに、あの未来でさえなければどんな状況でも耐えられる、そう思っていた。
「……もう、姉様には敵わないです」
ロミオは苦笑を浮かべながらついに折れた。ただ、もし泣かされることがあったら僕が殿下を殴りにいきます、という勇ましい言葉を添えて。
レセリカは弟の頼もしさと愛らしさに心が癒されていくのを感じた。
 





 
