挑発とフォロー
スッと控えていたダリアがレセリカの前に立つ。背筋の伸びた優秀な侍女の背中がとても頼もしい。
「レセリカ様は約束がありますので」
毅然とした態度で軽く頭を下げるダリアに対し、不機嫌を隠すことなくフレデリックがフンと鼻を鳴らした。
「本当に失礼だな。侍女風情が偉そうに。発言を許した覚えはないんだが?」
わかりやすく高圧的な態度をとるフレデリックに、レセリカは内心で眉を顰めた。現王族の中でこのようにあからさまな態度を取るものは少ない。一部の貴族の中にはちらほら見受けられるが、まさかフレデリックがそのようなタイプだとは。
以前会った時にはそこまでわからなかったが、こうして人を見て態度を変える場面を目の当たりにするとつくづく分かり合えないとレセリカは感じた。
「私が許したんだよ、フレデリック。失礼なのは君の方だ」
さてどうしたものかと悩んでいると、背後から声が聞こえてきた。声の主であるセオフィラスはそのままそっとレセリカの肩を抱き、自分の方へと引き寄せる。その行動にレセリカは僅かに胸がドキリと鳴った。
「レセリカ、大丈夫?」
「は、はい」
先ほどフレデリックに向けた厳しい声とは違い、とても優しい声でレセリカを案じるセオフィラス。おかげでレセリカの肩に入っていた力がスッと抜けていく。自分でも思っていた以上に緊張していたようだ。
だが、フレデリックは目の前にいる。気を抜くのはまだ早いのだ。レセリカは再びお腹に力を入れ直してフレデリックに向き直った。
「へぇ、随分と入れ込んでいるんですね。お気に入りってわけですか」
「大事な婚約者だ。当たり前のことだろう」
だが、今のフレデリックはセオフィラスのことだけを見ていた。ニヤニヤと口元に薄い笑みを浮かべて告げるその言葉には、どこか馬鹿にしたような響きがあるように感じる。
「ああ、そうでしたね。レセリカ嬢は、王太子妃になるべく教育を受けているのでしたっけ。王太子妃に」
妙に「王太子妃」を強調した言い方に、いつも穏やかに微笑むセオフィラスの目が鋭くなる。そのことを意外に思うとともに、それほどまでに警戒をしているのかとレセリカはより緊張感した。
「何が言いたい」
スゥッと目を細め、低い声で告げたセオフィラスの雰囲気はこれまで見たこともないほど冷たいものだった。もしかすると、もともとこの二人の仲はあまりよくなかったのかもしれないという考えが過る。
「王太子妃になるのであって、まだセオフィラスと結婚するとは決まっていないでしょう?」
フンッと鼻を鳴らし、フレデリックは腕を組む。相変わらずニヤニヤとした笑みを崩さないその態度に、レセリカの不快感は増していく。
「ほぼ確定でしょうけどね。でも、もしも。万が一ですよ? もしも僕が次期国王になったのなら、彼女は僕の婚約者となりますよね」
あまりにも場を弁えない発言に、ヒュッと息を呑む。セオフィラスはもちろん、護衛二人もフレデリックに対して敵対心を向けているようだった。
ピリピリとした雰囲気がこの場に漂っており、周囲にいた者たちも遠巻きながら微動だにせずこちらの様子を窺っている。
(離れているし、話の内容までは聞こえていないでしょうけど……)
誰に聞かれていてもおかしくないこの状況で、危険すぎる発言であることは間違いない。それこそ他ならぬフレデリックが、セオフィラスを支持する誰かに目を付けられかねないというのに。
「……その発言は危険だ、フレデリック。王位を狙っているのだと受け取られても文句は言えない」
その危険性をセオフィラスとて気付かないわけがない。ハッキリ正面から苦言を呈する毅然とした態度はさすがであった。
「お優しいですねぇ、僕の心配をしてくれるなんて。ははっ! やだなぁ、ただの軽い冗談じゃないですか」
「受け取る側が笑えない冗談はただの挑発だよ。君はもっと言動に気を付けるべきだと思うね」
軽い調子を崩さないフレデリックに対し、真剣な眼差しで相手から目を離さないセオフィラス。それだけで、事の重さがわかるというものだ。
「これはこれは、未来の国王陛下のありがたいお言葉。しかと胸に刻みますよ。セオ兄様?」
だというのに、フレデリックは最大級の挑発をしてみせた。セオフィラスが誰にも呼ぶことを許さない愛称で呼んだのだ。
セオフィラスの亡き姉、フローラ王女だけの特別な呼び方。王女が亡くなってからというもの、彼は何人たりともその呼び名を使うことを許さないというのに。
セオフィラスの纏う空気がさらに冷たくなった気がする。肩を抱かれたままのレセリカは最も距離が近いため、その変化がよくわかった。
と同時に、心配になる。このまま挑発に乗ってしまうのではないかと。
なぜなら、明らかにフレデリックはセオフィラスを怒らせようとしているのだから。ここでセオフィラスが怒りを露わにしてしまったら、これまでの冷静な対応も台無しになってしまう恐れがあった。
(……守らなきゃ。私は、セオフィラス様をお守りすると決めたのだから)
レセリカは、この場の雰囲気に吞まれかけていた己の心を奮い立たせる。
「昔はそう呼ばせてもらっていたじゃないですか。つれないなぁ。セオ兄様はいつからこんなに冷たくなってしまったのだろう。ああ、そうか。あの時ですね? フローラ様が亡く……」
「フレデリック殿下。昼食の時間がなくなってしまいます。早く食事を済ませませんと、午後の授業に遅れてしまうのではありませんか」
なおも続くフレデリックの挑発を遮るように、レセリカはいつもより気持ち大きめの声を意識して口を挟んだ。
抱かれていた肩に置かれた手が、わずかにピクリと動く気配を感じながら。
一瞬、フレデリックの目が大きく見開かれたのをレセリカは見逃さなかった。不意を突くことに成功したのだとわかり、少しだけ溜飲が下がる。
「へぇ……やっぱり君っていいね、レセリカ嬢」
しかし、すぐにこれまで通りのニヤついた笑みを浮かべたフレデリックは、機嫌良さげに腕を組む。
「君の言う通りだよ。僕はそろそろ食事をしに戻る。ではまたね、セオ兄様?」
最後には口調も気安いものとなっていたフレデリック。その態度や言葉に色々と思うことがあるのか、レセリカの肩を掴む手の力がギュッとわずかに強くなった。
きっと心中穏やかではいられないだろうことを思い、レセリカは自然とその手に自分の手を添える。
「食事にしましょうか、セオフィラス様」
「レセリカ……うん、そう、だね。……ありがとう」
至近距離で見つめたセオフィラスの目がやや潤んでいたように見えたが、レセリカは気付かないフリをして優しく彼の手を引いたのだった。




